『資本論』も大谷翔平は「すごい」と言っている

文=白井聡
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 そもそも分業は、独立した商品生産者として働いていた人々が、雇われて工場で働くようになるという状況の下で本格化し、高度化します。分業が高度化すればするほど、ひとつの工程で行なわれる作業は、断片化し、専門化します。

 かつては一人でさまざまな作業をして工夫を凝らしながら完成品をつくっていた人が、流れ作業のなかの一工程で決まりきった動作だけをすることを強いられるようになるのです。

 そうなれば、労働者は、自立性を失うだけでなく、単調な作業を強いられ、精神的および肉体的に萎縮させられる、とマルクスは指摘しています。

工場手工業的分業は…資本の自己増殖を、労働者の犠牲において高めるための、特殊な一方法にすぎない。それは労働の社会的生産力を、労働者のためにではなく、資本家のために発展させるのみではなく、個別労働者の不具化によって発展させる。それは労働にたいする資本の支配の、新たな諸条件を生産する
(『資本論』岩波文庫、第二分冊、316₋7)

 なぜ分業の細分化が際限なく進むのか。それは、資本主義システムには生産力の向上を追求することが宿命的に組み込まれているからです。

 独立した職人の労働が淘汰される傾向にあるのは、より生産効率が高く、生産力の大きな企業との競争に勝てないからです。

 こうして社会全体の生産力は上昇し続け、一面では私たちは豊かになります。しかしその「達成」は、「労働者の犠牲」「個別労働者の不具化」という代償と引き換えに得られるものだ、とマルクスは指摘したのです。

 主要な労働の在り方がマルクスの時代から移り変わって、肉体労働からサービス労働へと変化しても、根本の問題は変わりません。私たちは、巨大な経済機構のごく一部に一片の歯車として参与するのみで、何かをやり遂げたという満足感を得ることができず、同時に、その巨大機構に生活の糧を依存することを強いられて、自立性を失うばかりです。

 現代野球の歴史と資本主義の歴史がそっくりであることに、気づかれたと思います。

 スポーツは、資本主義が資本の増殖と生産力の向上を至上命令とするのと同様に、際限なく合理性を追求して、分業を細分化してきました。

 選手の偉大さを誇示し、ひいては人間のなしうることの偉大さを証明するというロマンに代わって、冷たい統計と確率論がスタジアムを支配します。

 先発投手でさえも、「単に最初に投げる人」以上のものではない存在になる日も遠くないと感じられます。

 そんな時代に現れたのが大谷翔平でした。いかなる統計も確率論も、彼の出現を予想することも、また許容することもできなかったでしょう。しかし彼は、「エースで四番」でなくなることを「不具化」であるとして拒否してみせたのです。

 マルクスは、共産主義社会の到来を展望することにより、「労働の社会的生産力」が、労働者=人間を犠牲にするのではなく、労働者=人間の能力の発展と調和して発展する世界を思い描いていました。

 大谷選手の才能がどのように、なぜ花開くことができたかを問うことは、マルクスの待ち望んだ理想世界を引き寄せるためのヒントになる気がします。

(白井聡)

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