アメリカの人種差別は暴力に直結する。
1965年にマルコムXが暗殺され、わずか3年後の1968年にはキング牧師も暗殺された。
【シリーズ黒人史8】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~キング牧師・マルコムX
キング牧師とマルコムXは、共に1950年代から1960年代の公民権運動時代に活動した黒人リーダーだ。この時代、多くのアフリカ系アメリカ人が活動家となり、自…
そのはざまの1966年に結成されたのが、黒人の若者たちによる政治団体プラックパンサー党だ。
黒人地区の自警団として出発したブラックパンサー党もまた、凄惨な暴力にまみれていくのであった。

1967年、カリフォルニア州議事堂にて銃規制法案への抗議行動を行うブラックパンサー党員 by CIR Online(wikipediaより)
プラックパンサー党(BPP = Black Panther Party)は1966年にカリフォルニア州オークランドにて2人の黒人青年、ボビー・シール、ヒューイ・P・ニュートンによって設立されている。2人は共に貧しい家庭に生まれ、苦労を重ねながらも大学に進んで「アフロ・アメリカン同盟」というグループに参加して知り合い、BPPを結成。シールは30歳、ニュートンは24歳の若さだった。
BPPはマルコムXに大きな影響を受けていた。ただしマルコムX、およびマルコムXが所属していたネイション・オブ・イスラム(NOI)とは異なる部分もあった。BPPメンバーの大部分はイスラム教徒ではなく、また、NOIのように白人を「金髪碧眼の悪魔」と捉え、米国内に白人と隔絶された黒人社会を作るという思想は持たなかった。BPPはすでにある「ゲトー」「スラム」(共に都市部の黒人貧困地区)の生活環境向上と、それにも増して長年にわたる抑圧によって封じ込められていた黒人としてのプライドの回復を目指した。
BPPはキング牧師の非暴力主義とは完全に決別していた。キング牧師の非暴力主義とは、人種差別を撤廃するために白人至上主義者からの暴力を前提にマーチやボイコットを行う手法だった。いかなる犠牲を払ってでもボイコットを続け、白人ビジネス側が経営難に陥って折れるまで粘った。後には警察を含む白人側からの壮絶な暴力シーンがテレビで放映され、大統領でさえ差別撤廃のための法案に譲歩せざるを得なくなった。この手法を貫くために、ボイコットやマーチの参加者は暴力を受けてもやり返さない訓練を積んだ。キング牧師は子供のマーチすら企画実行し、子供たちも逮捕、収監された。
キング牧師自身を含む参加者たちは脅迫を受け、時には重症を負い、自宅を爆破され、殺害すらされた。これがキング牧師の非暴力主義だった。BPPはこの手法を拒んだ。
ブラック・イズ・ビューティフル
ブラックパンサー党の当初の党名は「自己防衛のためのブラックパンサー党」だった。黒人地区で連綿と続く警察暴力を防ぐために、銃を携帯して地区内でのパトロールを開始した。当時、カリフォルニア州ではオープン・キャリー(銃を見えるように携帯する)は合法だった。パトロール以外に地域の子供たちに無料で食事を配るプログラム、医療クリニックなどを運営した。
BPPが全米に知られる存在となったのは翌1967年5月のことだった。BPPの活動を抑え込む目的で、カリフォルニア州議会にオープン・キャリー禁止法案が出された。これへの抗議として30人のBPPメンバー(女性6人を含む)がライフル、ショットガン、拳銃を手に州議事堂に乗り込み、警官と衝突した。
銃の所持は合法行為ではあったが、FBIは「黒人主義者によるヘイト団体」としてBPPの監視を始める。メディアもこの件を大きく取り上げ、BPPは過激な団体としてのイメージを定着させる。同年10月には警官殺害容疑で設立者の1人であるニュートンが逮捕され、BPPへの警戒がさらに高まると同時に支持者も増えた。
翌1968年4月、キング牧師が暗殺され、ショックを受けた全米各地のアフリカ系アメリカ人たちが次々と暴動を起こした。アメリカの人種問題は幾度目かの沸点に達しており、白人を信用できない黒人の若者たちが全米各地に開設されていたBPP支部に続々と入党した。
BPPの中心メンバーは高等教育を受け、または独学で共産主義、社会主義を学んでおり、熱狂的な演説は若者たちを強く引き付けた。また、軍隊式の厳しい規律を取り入れており、リーダーの指揮に従ってメンバーが隊列する姿も規律を学ぶ機会のなかった都市部の黒人貧困地区の若者たちには新鮮に映った。
BPPメンバーは黒い革のジャケットに黒いベレー帽を被った都会的ないでたちがトレードマークだった。奴隷制の時代よりアメリカにおける美の基準は白人の容姿にあり、肌の色、髪の質、目鼻立ちが白人とは異なる黒人は「醜い」とされていた。それを覆し、黒人には黒人固有の美があると主張するスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」が浸透した。それを象徴したのが、手入れの行き届いた大きなアフロヘアだった。この点も短髪にスーツで「きちんとした」身なりのキング牧師、マルコムXとの大きな違いだった。
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