否決されることが決まっている内閣不信任案を提出する意義とは

文=平河エリ
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写真:つのだよしお/アフロ

連載「議会は踊る」

 党首討論、内閣不信任案、そして深夜国会。会期が延長されなかった結果、終盤の国会はジェットコースターのように進み、閉会した。

 新型コロナウイルス感染症の対策が必要な時期に(しかも、まだ今年も中盤というのに!)国会を閉じることの是非は当然議論されるべきだが、今回のテーマは内閣不信任案である。

 枝野幸男氏によって行われた内閣不信任案の趣旨説明は、1時間半にも渡り、さながら「枝野内閣の所信表明」と呼べる趣旨のものとなった。

 不信任案を巡っては、「否決される内閣不信任に意味があるのか」という議論がある。

 不信任の意義について説明する前に、内閣不信任案はなぜ「切り札」と呼ばれるのかについて整理しておこう。内閣不信任案は特別な手段である。唯一、行政に対して直接、立法府が影響を及ぼすことが出来る方法であるからだ

 内閣不信任案に類似するものとして、大臣不信任案、正副議長不信任決議案、委員長解任決議案などがある。また、参議院では「問責」という名前で不信任が存在する。

 しかし、内閣不信任案以外は、可決されても「評決の記録が残る」以上の意味はない。大臣不信任案が可決されたとしても、辞める必要はない。衆参の正副議長も、委員長も同様だ。

 同様に「ねじれ国会」で、参議院と衆議院の多数政党が異なる際に問責が可決されることはあるが、たとえ首相への問責が可決されたとしても、首相が辞任することはない。

 これは、憲法上、内閣総理大臣の指名に関しては衆議院の優越が定められているからである。国会にありとあらゆる形で存在する「不信任」「問責」「解任決議」の中で唯一、実際に効力を持つ「切り札」が内閣不信任案なのだ。

 この内閣不信任案は、会期中に一度しか出すことが出来ない。必然的に、不信任案を巡る攻防というのは「政局」的には大きな話題となる。

 これまで内閣不信任案は二回可決されている。更に森内閣不信任案(いわゆる加藤の乱)など、可決されなかった不信任案も大きく政局を動かしたことから、メディアの報道はどうしても「可決か、否決か」という部分に焦点が行きがちだ。

 しかし、考えてみればわかるが、原則的に内閣不信任案は可決される見込みのほとんどない議案である。

 内閣総理大臣とは、衆議院議員の多数によって指名される役職であり、内閣不信任案はいわば、一度投票したものを取り下げるようなもので、よほどの理由が必要だ。

 では、内閣不信任案を提出する意義とはなにか。それは、時の政権に関する問題点を記録し、しっかりと議事録に刻むことだ。

 議院内閣制とは、権力分立が不完全な仕組みである。立法府の多数政党が行政府のトップを選ぶという仕組みによるもので、これが議院内閣制における行政の強靭化に寄与しているという面もある(アメリカの大統領とイギリスの首相を比べれば明らかだ)。

 すなわち、立法府の重要な権能としての行政監視は、行政と一体化する多数派政党ではなく、少数政党、つまり野党が一義的に担うことになる。

 そしてこの少数政党の代表者により、政府の問題点を総合的に指摘する場が、内閣不信任案である。

 民主国家と非民主的国家の違いを分けるものは何か、と言われれば「少数者の声を消さないこと」ではないかと私は考える。

 私はよく例として、ヴァイマル共和政下におけるオットー・ヴェルス社民党党首、アメリカ民主党のバーバラ・リー上院議員、反軍演説における斎藤隆夫議員の名を上げる。

 オットー・ヴェルスは、ナチ党が提出した「全権委任法」に政党として唯一反対したドイツ社民党の党首であり、ヒトラーに向かって「我々は無防備だが、名誉はある」と述べた。

 バーバラ・リーは、9.11の傷が大きく残る中、報復戦争への決議で420人が賛成する中「私たちは過ちを犯そうとしている」と訴えた。

 斎藤隆夫は帝国議会で日中戦争をめぐる軍部の動きに対する疑問を訴え、除名された。

 多数であることは正しいことを意味しないし、少数であることは間違っていることを意味しない。それは歴史が証明する。上記の三人は、まさに、少数が正しかったことが証明された例である。

 そして、歴史の手に判断を委ねるためにも、少数者が堂々と多数の問題点を指摘する内閣不信任案という制度は、議会の中で重要な意味を持っている。

 我々有権者、あるいはメディアが行うべきは「不信任が可決するか否決するか」というような政局の議論や「野党の戦術として、支持率が上がるのか」といった永田町の内輪のゲームの評論ではない。

 立法府が突きつけた「不信任」という趣旨説明に対して、「この内閣は信任に値するのか」ということを、考え、意見を述べることだ。

 枝野代表の不信任案は、信任する人にとってもしない人にとっても、わかりやすいものであったのではないか、と考える。

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