『大豆田とわ子』が書き足した、悲しい現実の“続き”。「軽く」て「深い」ドラマは何を描いたのか

文=原航平
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「悲しいお話の続きを書き足すしかない」

 最終話を観ていて思い起こしたのは『それでも、生きてゆく』という2011年に放送されたドラマの中に登場するセリフだった。少し横道にそれるが、その言葉を引用したい。

 少年時代に妹の亜希を殺された主人公の深見洋貴(永山瑛太)が、その犯人であり親友だった三崎文哉(風間俊介)と15年ぶりに対面し、更生のための説得のようにして振り絞られた言葉だ。

「亜季がさ、『何のために悲しいお話があるのか』って聞いてきたことがあった。『何でわざわざ人間は悲しいお話を作るんだろう』って。亜季が殺されて、友だちが犯人で、ばらばらになった家族があって、兄貴の無実信じながら苦しんで生きた人がいて、悲しい話ばかりで逃げたくなる。だけど逃げたら、悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみが増える。増やしたくなかったら、悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ」

 前述の『太陽と海の教室』では『人魚姫』、『それでも、生きてゆく』では『フランダースの犬』がその代表として挙げられていたが、世の中には“悲しい物語がある”ことを坂元裕二のドラマは何度か強調する。

 それに呼応するように、坂元裕二のドラマも端的に言えば“悲しい物語”が多かった。しかし観ているとわかる。悲しい物語があるのは、物語以上にこの世界が悲しさに満ちているからだからだと。そして物語には、そうした悲しい現実の続きを書き足していくことができる。

 途中まで書かれた手紙の続きを確認しようするとわ子と唄もまた、“悲しい物語を書き足す”という行為を体現しているように思えた。風吹ジュンによって演じられたマーさんに会ったとわ子は、母にちゃんと愛されていたことを知る。それを30年以上連絡をとっていなかったマーさんが語るのだから真実はわからないが、「愛を守りたい。恋に溺れたい。ひとりの中にいくつもあって、どれも嘘じゃない。どれもつき子」との言葉には説得力があった。それは、「ひとりで生きていける」「けど、」「誰かに大事にされたい」と混淆した気持ちを抱くとわ子とつながった瞬間だったからだろう。

 悲しいお話は書き足される。ひとつの手紙が、つき子ととわ子、唄の三世代をつなぐ。そうして、唄は再び医者を目指すことを決める。

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