「LGBT」や「LGBTQ+」という言葉を、最近はSNSや雑誌、テレビドラマ、ニュースなど、様々な場所で見聞きする機会が多くなりました。しかし、その言葉と自分自身との距離感は、きっとまだ、人それぞれで大きく異なっていることと思います。
「自分はまさにその当事者だ」という人もいれば、「身近にそういう人がいる」という人も、あるいは「最近よくそのワードを耳にするけど、実際に周りにはいないし、自分にはあまり関係ない」という人もいるかもしれません。
そういう私は、10代後半の頃から「よくわからないけれど、なんとなく当事者だと思っている」という、曖昧で煮え切らない思いを抱いて日々を送りながら、30歳を間近に控えた今年になって、自分は本当にその当事者の一人だったのだ、と初めて自覚することになりました。
私自身は、LGBTQ+の中でもとりわけ少数派な、「+」に含まれる「アセクシュアル(他人に対して恋愛感情や性的欲望を抱かない/抱きにくい)」という性的指向を自認しています。しかし先程書いたように、私はつい最近まで自分がそうであることにはっきりと気づけなかっただけでなく、そもそも自分の恋愛や性的指向に対する感覚が「アセクシュアル」という言葉で定義づけられるものであることや、そういった言葉や概念が存在すること自体も、ほぼ知らずに生きてきました。
こんなふうに「LGBTQ+」の当事者ですら、セクシュアリティに関する教育や理解が不十分であるために、場合によってはその言葉や概念や存在についてあまりよく知らなかったり、自分と異なるセクシュアリティを持つ人はおろか、自分と同じセクシュアリティを持つ人同士の間にも多くの差異が存在すると理解できていなかったりすることが、大いにあり得ます。
とにもかくにも、自分が「LGBTQ+」と呼ばれる属性の中に含まれる人間なのだと気づいたからこそ、まずは自分自身のことを、そしてこれまであまり深く知ることも考えることもしてこなかった、自分とは違うセクシュアリティを持つ人々のことをもっとよく知りたいという思いから手に取ったのが、今年の4月に発売された『マンガでわかるLGBTQ+』(著:パレットーク マンガ:ケイカ 講談社)という本でした。
この本は、LGBTQ+の基礎的な知識や、ジェンダーにまつわる様々な概念や問題が、当事者の体験談を元にしたマンガをベースに、統計データや現行の法律・制度の情報、コラム、Q & Aなども交えながら幅広く紹介されている、非常にわかりやすくて読みやすい入門書になっています。
様々な事例や情報が取り上げられているこの本の中でも、とりわけ「これは……!」と、自分の中でストンと腑に落ちたのが、第1章p-18-21の中で紹介されている「SOGI(ソジ)」という性の捉え方でした。
最近になって「LGBTQ+」と並んで使われるようになったという「SOGI」は、「誰を好きになるか」を表す性的指向(Sexual Orientation)と、「自分の性をどう認識しているか」を表す性自認(Gender Identity)という二つの言葉の頭文字から構成されている言葉のこと。
「LGBTQ+」が、セクシュアルマイノリティである特定の人々だけを指す言葉であるのに対して、「SOGI」はマジョリティであるシスジェンダー(出生時の性別と性自認が一致)・ヘテロセクシュアル(異性愛)の人も含めた、すべての人の性の在り方を同じ枠組みの中で捉えることのできる言葉・概念になっています。
例えば、出生時の戸籍の性別が「女性」、性自認も「女性」、恋愛対象も「女性」の人のSOGIは「シスジェンダーのレズビアン」となるし、出生時の戸籍の性別が「女性」、性自認が「男性」、恋愛対象が「女性」であれば「トランスジェンダー(出生時の性別と性自認が不一致)のヘテロセクシュアル」となります。そして、出生時の戸籍の性別が「女性」、性自認が「女性」、恋愛対象が「男性」であれば「シスジェンダーのヘテロセクシュアル」、つまりLGBTQ+ではないマジョリティのセクシュアリティを持った人、ということになります。
人間には「男」と「女」の2種類の性別しかないこと、そして異性愛者であることが「普通」とされてきた社会の中で、そうではない「LGBTQ+」という言葉や存在が人々の間で広く認識されるようになってきたのはとても重要なこと。
でもその一方で、あくまでそれは一部の「特殊な」人々のことであり、その「普通ではない」人々への配慮が必要だ、というように、結局は「普通」と「普通ではない」人とに区別され、マジョリティにとって自分事にはならない捉え方であるとも言えるかもしれません。
それに対して「SOGI」は、マジョリティとマイノリティを分けず、すべての人の性の在り方やその違いを、要素(出生時の性別・性自認・恋愛対象)の組み合わせとして同じように捉えることができる点が素晴らしく、また本来白黒はっきり断定することの難しい、性の在り方の実態にもより即しているように思えます。
一見、その二つにはそれほど大差がないように感じるかもしれませんが、「普通とそれ以外」として捉えるのではなく、誰しもの性の在り方が「いくつもあるパターンのうちの一つ」なのだと捉えることには、とても大きな意味があると思います。
そういう捉え方をすることが「当たり前」になれば、性の在り方は人それぞれ違うことが自然と理解されるようになり、マイノリティに対する差別や偏見、無関心もなくなっていくはず。
さらにそれだけでなく、実はマジョリティも含むすべての人の中に様々な性の在り方のグラデーションが存在することがわかるようになってくると、自分自身のことをより深く考え理解し、社会の中で作り上げられた「男らしさ」「女らしさ」のイメージや役割に捉われることなく、「自分らしく」生きやすくなるきっかけにもなるからです。
たとえ性自認が一致している異性愛者だったとしても、「男のくせにそんなものが好きなんておかしい」「女なんだから家事をやって当たり前」と、勝手に性別によってその人の好きなものを否定され、好きではないものを好むことを強制されたり、ある特定の役割を押し付けられたりすることは、本来の自分の心や性質に反する、とても苦痛で窮屈なことだと思います。
それは、恋愛することもしないことも、結婚することもしないことも、子どもをもつことももたないことも、どちらかが「普通」や「こうあるべき」ではなく、どちらも本人の意思や性質によって自由に選ぶことができ、他人からとやかく言われるべきでない、尊重されるべき選択であり権利であるのと同じことです。
「認める」「認めない」ではない
日本では特に異性愛主義的傾向が強く、当事者がカミングアウトしづらいと感じる環境(LGBTQ+であることを周囲にカミングアウトしている人は全体の1-3割ほど)のため、「周りにLGBTQ+の人はいない」と思っている人もまだまだ多いようです。けれども実際には、人口の8.9%、11人に一人がLGBTQ+であり、それは左利きの人と同じくらいの割合だといいます。(p.17)
私自身も、アセクシュアルという言葉を知り自覚するまでは、自分が持つ「友情と恋愛の好きの違いがわからない」という感覚や、「物語や友人の恋愛話の中で何度も触れてきたような恋愛感情が自分にはないのかもしれない」という思いを「普通ではない」「おかしいのかもしれない」と感じ、ほとんど誰にも打ち明けられずにいました。そして自覚した今でも、特に職場などではどう受け止められるかわからず、気まずい思いや傷つく経験をするかもしれないという不安から、あえて積極的に伝えようとは思いません。
それでも当事者がカミングアウトするかどうか、あるいは周囲がその存在を認識しているかいないかにかかわらず、身の回りには思っている以上に多くのLGBTQ+の人が、当たり前に存在しています。
その事実を知り、そしてLGBTQ+は「特殊」なのではなく、あくまで数多くあるうちの性の在り方の一つであると捉えるならば、今の日本での社会や法律の在り方が、その中の一部の人々の権利しか保障していない、不平等なものであることの問題が改めてはっきりと見えてきます。
今年5月に、LGBT理解増進法案についての自民党の会合の中で、参加した議員による「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」といった発言や、山谷えり子参議院議員によるトランスジェンダーへの偏見や差別を助長するような発言が大きな問題になりました。
世界80以上の国でLGBTQ+に対する差別を禁止する法律が整備され、29の国と地域で同性婚が認められているような状況の中で(p.152-154)、日本ではいまだにそのいずれの法的整備もなく、LGBTQ+の理解を促すための法案を議論する場ですら、差別的な認識や発言が当然のようにまかり通っているようなひどい有り様です。
「認める」とか「認めない」ではなく、LGBTQ+の人々は今も当たり前にこの社会に存在していること、性の在り方に関する教育や理解が十分に進んでいないことによって、傷つけたり傷つけられたりしている人がたくさんいることを、もっと多くの人が知り、考える必要があると思います。
そして、セクシュアリティに関する理解を深め、それに対する差別や偏見をなくしていくことは、決してマジョリティにとっても無関係なことではなく、そのまますべての人にとってより生きやすい社会になることに繋がっているはずです。
今「LGBTQ+」との距離が近い人も遠い人も、誰もが必ず何かしら共感したり反省したり新たな気づきを得られる、性の在り方を丁寧に紐解くことで自分も他の誰かもきっと少し生きやすくなることに近づくことのできる、そんなきっかけをくれるのがこの本。
まさにプライド月間(世界各国でLGBTQ+の権利を啓発する活動やイベントが行われる期間)でもあるこの6月に、ぜひ多くの人に手にとってみてほしいと思う一冊です。