
(C)MandarinVision Co, Ltd
周りとテンポがずれていて、これといった趣味や特技もなくて、楽しい職場じゃないけれど惰性で仕事を続けている。恋人なんてずっといないし、親友と言える存在もいない。狭いアパートでビーフン(おそらく母親から送られてきた)をゆで、ひとりで簡単な夕食をとるーー台湾映画『1秒先の彼女』の主人公シャンチーの日常だ。
趣味はないけれど、Facebookにせっせと盛りに盛った投稿をすることは欠かさない(行ったこともない海外旅行先から「自分宛に出したハガキが今頃届いたわ!」という類の)。親友はいないけれど、ラジオを話し相手にして、一日の終わりを過ごす。つまり、映画やドラマで描かれる、わりとステレオタイプな「結婚できないアラサー女子」「イタいおひとり様」キャラである。

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シャンチーは子供の頃から何をするにも人よりワンテンポ早い。かけっこをすればフライングで同級生にブーイングされ、映画を見に行っては周りより先に爆笑するので迷惑がられ、写真を撮れば必ず目をつむってしまう。
今の仕事は郵便局の窓口係。上司や利用客から隣の席の「職場の花」と比べられてイラっとしたり、クレーマーや毎日1通だけ手紙を送りに来る風変りな青年の相手をしたり。ぱっとしない日常だけど、いつかネットで見た「自分を愛そう。誰にも愛されないから」という言葉を胸に何とかやり過ごしている。
一見明るいシャンチーにも、失ったものはある。高校生の頃、「豆花(トウファ)を買いに行く」と言って家を出たきり、戻らなかった父親だ。
「イタいね」と言われる言動は、自覚が伴うと多くの場合、自分を守る鎧になり得る。盛ったSNSもラジオとのおしゃべりも、シャンチーにとっては自分を楽しませるスキル。人とちょっと違うことや、父親が消えた寂しさをやり過ごすために身に付けた強さとも言える。
無くした時間と記憶を取り戻す物語
そんな彼女に、突然の出会いが訪れる。
ある日の仕事帰り、公園でダンスを教えているイケメン講師と出会い、彼からの積極的なアプローチを受けるのだ。「七夕バレンタイン」(旧暦7月7日。台湾では「七夕情人節」と呼んで盛り上がる)にデートの約束を取り付けて、舞い上がるシャンチー。それなのに、当日の朝、目が覚めるとなぜかバレンタインの1日が終わっていて……。シャンチーの1日はどこに消えたのか? 物語はここから急展開を見せる。主人公が、毎日1通だけ手紙を出しに来る男グアタイにチェンジするのだ。
そこから、シャンチーの忘れた過去と、果たせなかったある約束が徐々に明らかにされていく。呼び戻される記憶が「どこかで誰かがあなたを愛しているよ」と優しくシャンチーを包み込み、この映画が「無くした時間と記憶を取り戻す物語」であることが分かる。
片方がどれだけ相手を思っても、相手が同じだけ自分を思っているとは限らない。シャンチーは個性的で魅力的なキャラクターだが、相手にとって大事な約束をあっさり忘れてしまえるような、デリカシーに欠けるところがある。大事な物をどこかに置き忘れ、そのまま気づかないような危うさだ。『1秒先の彼女』は、「癒し系」のパッケージに覆われてはいるけれど、決して甘いファンタジーではない。人生には、失ったまま二度と思い出されない大事なものが、どれだけたくさんあるのだろう。さりげなく、そんな厳しい現実を突きつけ、でも前に進むしかないと背中を叩く。苦味と優しさがいい塩梅で共存し、これまでにないラブストーリーを醸成している。

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台湾での本作の評判を検索してみたところ、この作品に対して、セクハラ行為を美化しているという批判の声もあることを知った。映画後半で、グアタイが思いを寄せる女性を追い続け、ある「仕掛け」で人形のように固まった彼女を思い通りに動かす描写があるためだ。
こうした指摘に対し、本作のチェン・ユーシュン監督はFacebookで自身の見解を表明。この映画の物語は20年前に書いたもので、監督は童話の登場人物のようにピュアなキャラクターを描きたかったのだという。誰かを好きになると盲目的に極端な行動をとってしまうこともあるが、この映画の人物は冷静に考えて諦めることを学ぶのだ、とも書いている。
正直、筆者は最初にこの映画を見た時、「一歩間違えばストーカーじゃん」とは思ったものの、問題視する人がいるとまでは考えが至らなかった。それはおそらく、『熱帯魚』(95)、『ラブ ゴーゴー』(97)といった過去作も含め、チェン監督の作品は女性を表面的にジャッジせず、どんな境遇の人に対しても視点が優しいからだ。さらに、2014年に『祝宴!シェフ』が公開された際に来日した監督を取材した時の印象から「この監督が女性の権利を軽視した作品を撮るはずがない」という前提のもとで作品を見たからだと思う。面白いものを撮ることに一生懸命で、「性善説」で人をとらえるタイプだと語っていたチェン監督。本作には男性による痴漢まがいの行為が描かれるシーンもあるのだが、彼らにはそれぞれ制裁が下るし、グアタイの行動にも配慮はなされていたと思う。
しかし、それでも足りないくらい、映画における表現にも配慮や責任感が必要になったということなのだろう。「ファンタジーだから」「コメディだから」「ラブストーリーだから」と言って「目くじら立てるなよ」では済まされない。作る側だけでなく、見る側にも意識の変化が求められている。
『1秒先の彼女』
6月25日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開
第 57 回台湾アカデミー賞(金馬奨)最多 5 部門受賞
(作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、視覚効果賞)
監督・脚本:チェン・ユーシュン(『熱帯魚』『ラブ ゴーゴー』)
出演:リウ・グァンティン、リー・ペイユー、ダンカン・チョウ、ヘイ・ジャアジャア
配給:ビターズ・エンド
英題:My Missing Valentine /原題:消失的情人節
台湾映画/2020年/119分
公式サイト http://bitters.co.jp/ichi-kano/
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