老いが滲み出す手の表象
そのような若さの呪縛に囚われた映画女優の一人がドイツ出身の女優マレーネ・ディートリヒである。ヴァイマル共和国時代に映画デビューし、1930年にパラマウント社にアメリカ合衆国へ招かれて『モロッコ』(Morocco、ジョセフ・フォン・スタンバーグ)に主演して以降、ファム・ファタールの役柄と密接に結び付けられ活躍したハリウッドの「セックス・シンボル」の一人である。また、『モロッコ』で見せる女性へのキス以降、彼女はレズビアンやバイセクシャル女性のファンを魅了し続けた側面もあり、ジェンダーベンディングな役柄も評価されてきた(Kuzniar 2007)。同時に、黄金期のハリウッド映画産業が映画「女優」に要請した若さの維持に応えるように、彼女は加齢がスクリーンやゴシップ誌で露呈されるのを嫌い、金髪のカツラや体型の維持などによって老いを感じさせなかった。
「『さよならパリ』の二つの世代」において向田はディートリヒの若さを以下のように表す。
「マレーネ・ディートリッヒをみて下さい。彼女、五十七歳にみえますか? 一世を風靡した美しい脚は今も全然崩れをみせず、若々しい体の線も変りません。世界で一番チャーミングなおばさま、という称号をもっているそうですが、彼女の場合はまさしく世間なみの五十代のおしゃれをしたらその個性は半減してしまうことでしょう」(1991、141-142)。
このように向田はディートリヒの魅力の一つが加齢をものともしない姿に見出せると読者に伝えている。そのような魅力に引き寄せられたのは向田だけではない。
フェミニスト映画理論家のジュディス・メインが「マレーネ・ディートリヒはいつ老女になったのか」という問いからディートリヒの老いをめぐる論考を始めるように、1901年生まれのディートリヒのキャリアにおいて彼女の年齢に対する大衆やメディアの関心は、特に彼女が1978年に表舞台から去って以降強くなったと言われている(2007、347)。例えば、マクシミリアン・シェル監督のドキュメンタリー映画『Marlene』(1984年)は、デビュー当時から1979年の『Just a Gigolo』(デヴィッド・ヘミングス)までに出演した映像クリップを時系列に並べて若さに溢れる彼女の姿を提示する一方で、決して画面内に現れない老年のディートリヒのインタビュー音声によって形成される肉体の不在が皮肉にも彼女の若さの喪失を強調した。
向田がディートリヒの若々しさを1950年代にすでに指摘した一方で、それは決してディートリヒがそのキャリアにおいて老いを絶対的に回避できたことは意味しない。実際、ディートリヒは実生活において年齢を語ることを避けたが、映画の中ではベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォード、グロリア・スワンソンのように次第に若い女優と対比して配置される役をこなしていく。
例えば、アルフレッド・ヒッチコック監督の『舞台恐怖症』(Stage Fright、1950年)では、若い役者志望のイヴ(ジェーン・ワイマン)に殺人容疑で詮索される中年の女優シャーロン・インウッドを演じた。ハリウッドの古典的な慣習で言えば最終的に化けの皮が剥がされるべきはシャーロンであり、映画はその通りに進むが、若い女優との対比においても劣らないディートリヒの自信は、タバコの煙に彼女の顔が包まれるクロースアップが見せる美しさによってその揺るぎなさを感じさせる。
1950年代にディートリヒが演じた役柄の中で最も彼女の老いを強調する映画は、1957年公開の法廷劇『情婦』(Witness for the Prosecution、ビリー・ワイルダー)だろう。ディートリヒは殺人容疑をかけられたレナード(タイロン・パワー)の妻クリスチーネを演じ、年下の夫の無罪を主張するために証言台に立つ。検察側の証人として現れるクリスチーネの証言によってレナードが一転して有罪になりかけるものの、レナードの弁護士ウィルフリッド卿の前に現れる中年女性から入手したクリスチーネのある手紙が証拠となり、レナードは無罪放免となる。
『情婦』においてもディートリヒは表面的には老いを感じさせない。少なくともそのように見える。しかし、ワイルダーは加齢を感じさせる身体の部位として、ディートリヒの手を巧みに演出する。ディートリヒ演じるクリスチーネが初めて弁護士事務所を訪れる場面において彼女はずっと白い手袋を身につけており、退出する際にもドアを支える白い手袋がフレーム内で強い存在感を放つ。一方で、検察側の証人として現れ、証言台で宣誓する場面において、彼女は黒い手袋を右手だけ外し、法廷場面では左手の手袋は付けたままである。彼女の身体をバスト・ショットで捉えることで、手袋の外された右手と手袋を付けたままの左手をフレーム内で見せない演出はどのような効果を持つのか。
ウィルフリッド卿がヴィクトリア駅で面会する怪しい中年女性は、実はクリスチーネが変装していたことが映画のクライマックスで分かる。その中年女性は手袋をしておらず、面会場面では深いシワだらけの手がバスト・ショットですらも明確に提示され、顔の傷をウィルフリッド卿に見せる際には画面中心に老いた手が大きく配置される。
ウィルフリッド卿はこの中年女性から入手した手紙を使って最終の法廷場面で彼女の偽証を明らかにしレナードの無罪を勝ち取るのだが、涙を流し偽証の罪を受け入れる(ように見える)クリスチーネの両手は黒い手袋に包まれていることを観客は見逃してはならない。なぜなら、その偽証やレナードの罪の真実が明らかになるクライマックスにおいてクリスチーネは素手で現れ、駅で出会った中年女性が彼女であったことを暴露するからだ。ミディアム・ロングショットで捉えたクリスチーネ/ディートリヒの手はとても艶やかでシワも少なく見えるが、彼女が真実を話すショットにおいて駅の場面同様に画面中心に提示される手は、化粧によって年齢の隠された顔と異なり、くっきりと深いシワが刻まれている。
このクライマックスで提示される皮肉は、偽証の罪を被ってまで無罪へ導いた夫レナードには若い愛人がいたことが明らかになる。レナードの肩に置かれた彼女の手はシワ一つない、張りがあり艶やかで若さで溢れている。レナードに裏切られたクリスチーネは悲哀と怒りに導かれるまま、真っ黒な手袋に包んだ手でナイフを握り、レナードを「死刑」にする。
向田邦子がディートリヒの出演作品をどれだけ観ていたかは定かではない。だが、向田がディートリヒに対して幾らかの特別な関心を持ち続けたことは確かだろう。向田が初めて刊行したエッセイ集『父の詫び状』(1978年)の最初のエッセイ「父の詫び状」で思い出されるのが『間諜X27』(Dishonored、ジョセフ・フォン・スタンバーグ、1931年)に登場するディートリヒの姿である。加えて、向田は『モロッコ』に魅せられてモロッコ旅行にも出かけているくらいだ(「ないものねだり」)。
向田が『情婦』のディートリヒの演技を観ていたとしたら、何を書き残していただろうか。向田はクリスチーネの手袋にどのような思いを馳せただろうか。「『さよならパリ』の二つの世代」以降に書かれた向田のエッセイには自分の老いを感じる瞬間を書き留めたものや、森光子や森繁久弥といった役者たちが表現する老いについて書かれたものが少なくない(「若々しい女について」等)。『家族熱』(1978年)の志村喬や『阿修羅のごとく』(1979年)の加藤治子が表現する老いの余白と深さを目にすれば、老いへの関心がエッセイ以外の創作にも影響を与えていたことが分かるだろう。
向田はずっと「手袋をさがしている」人だった(1976:1987b、517)。気にいった手袋を探し続けることは、彼女にとっては努力を重ね、怠惰を拒絶し、もっと面白いことを追求することを意味した。結婚という物差しでしか測れない平凡さや「いわゆる世間なみの幸せ」で満足する「人生コース」を選ばないことに成功し、身体的な老い自体は感じつつも、向田邦子は創作を通じて衰退することを拒み続けることを実践していたのではないか。だからこそ、彼女は老いをものともせず若々しくあり続けようとしたディートリヒに魅かれ、想像上の「手袋」を探し続けていたのかもしれない。
引用文献
向田邦子「お辞儀」『父の詫び状』(向田邦子全集第1巻)、文藝春秋、1977:1987、57-67。
向田邦子「薩摩揚」『父の詫び状』(向田邦子全集第1巻)、文藝春秋、1976:1987a、239-248。
向田邦子「手袋をさがす」『夜中の薔薇』(向田邦子全集第2巻)1976:1987b、508-518。
向田邦子『向田邦子 映画の手帖──二十代の編集後記より』徳間書店、1991年。
Kuzniar, Alice A. “’It’s Not Often That I Want a Man’: Reading for a Queer Marlene.” Dietrich Icon, edited by Gerd Gemünden and Mary R. Desjardins. Durham and London: Duke University Press, 2007, pp.239-258.
Mayne, Judith. “’Life Goes On without Me’: Marlene Dietrich, Old Age, and the Archive.” Dietrich Icon, edited by Gerd Gemünden and Mary R. Desjardins. Durham and London: Duke University Press, 2007, pp.347-362.
*本稿の執筆に際して、実践女子大学・実践女子短期大学部図書館が運営する「向田邦子データベース」を活用した。https://opac.jissen.ac.jp/repo/repository/mukoda/?lang=0
*『モロッコ』と『舞台恐怖症』はAmazon Prime Videoで、『情婦』はAppleTV+で配信中。
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