1950年代半ばから1960年代にかけて全米で公民権運動が起こり、その成果として1964年に公民権法が制定された。その前後にジョン・F・ケネディ大統領、マルコムX、キング牧師、JFKの弟で大統領選に立候補中だったロバート・ケネディ上院議員が相次いで暗殺され、同時期にベトナム戦争も泥沼化し、反戦運動が繰り広げられた。アメリカにとって1960年代は激動の時代だった。
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そのベトナム戦争も1975年にようやく終わり、アメリカは落ち着きを取り戻すかに見えたが、そうはならなかった。1981年にロナルド・レーガンが大統領となったが、経済は低迷し、失業率は上がり続けた。いつの時代の不況も白人と黒人の失業率は大幅に異なり、不況のたびに黒人社会は白人社会以上に大きな打撃を被る。
その一方、1980年代は弾けるように明るいアメリカン・ポップカルチャーが花開いた。MTVが1981年に開局し、1983年にはマイケル・ジャクソン「スリラー」が大ヒットしている。当初、MTVには黒人音楽ビデオを放映しない暗黙のルールがあり、それを切り崩した快挙だった。やがてホイットニー・ヒューストン、プリンスなどが音楽ジャンルと人種の垣根を超えた大スターとなっていった。
だが、全米の黒人地区、特にインナーシティ(都市部にある貧困地区)では「クラック」と呼ばれる麻薬が大流行し、さらなる貧困化、銃撃や殺人を含む凶悪犯罪の急激な増加、家庭とコミュニティの崩壊を招いた。
クラックはニューヨーク、ロサンゼルス、マイアミを筆頭に全米各地のインナーシティを直撃した。仕事もなく、どん底にあった貧困層は、値段が安く中毒性の強いクラックに瞬く間に飲み込まれた。クラック代のための強盗や殺人が大量に起こり、クラックを密売するギャング同士の抗争や、警察による強硬な捜査により多くの人間が死んだ。大金が絡むクラック売買に密かに加担する警官もいた。高校生はおろか中学生や小学生までが密売グループに加わり、命を落とした。
映画「ニュージャック・シティ」予告編
1986年のニューヨーク・ハーレムを舞台に、クラックの密売ギャング組織の興亡を描く。1991年の公開当時、LAの映画館で暴動が起きるなど社会問題となった。主演ウェズリー・スナイプス、監督:マリオ・ヴァン・ピーブルス
親はドラッグ売買で逮捕、収監され、またはオーヴァードース(麻薬の過剰摂取)で死に、逮捕を免れた者もクラック中毒で子育てを放棄した。多くの子供が児童養護施設や里親宅で育った。行政の担当部署は大量の子供を持て余し、虐待、ネグレクトされる子供たちが後を絶たなかった。妊娠中の女性中毒者からは胎内感染した赤ん坊が生まれ、「クラック・ベイビー」と呼ばれた。
クラック禍は1980年代初頭から始まり、最悪の期間は1984年から1990年あたりとされている。このわずかな期間にクラックは黒人社会を文字通り根底から破壊し尽くした。かつ、その後遺症は現在に至るまであちこちに残されている。
「金持ちの麻薬」は買えない
クラックはコカインからできている。コカインは主に南米に生育するコカノキの葉から作られる白い粉末状の麻薬だ。コカインは高価で貧困層には手が出ず、「金持ちのドラッグ」とも呼ばれた。
やがてコカインからクラックが作られるようになった。コカインに重曹と水を混ぜて熱し、白っぽい固まりにしたものをクラックと呼ぶ。コカインは粉末を鼻から吸引するが、クラックは砕いたカケラをガラス製のパイプに詰め、熱して発した気体を吸う。”Crack” という名称は、吸う際に熱すると固まりが割れるような音(crack!)がすることに由来する。
クラックは小分けにされ、1回分わずか数ドルで販売された。貧困層も買える値段だが、原価が安いために利潤は高く、ドラッグ・ディーラー(麻薬密売者)たちは我を競って売りまくった。注射や粉末の吸引に比べてクラックのパイプ吸引は手軽。かつコカインよりも強烈な高揚感を得られる。ただし高揚の持続時間は短い。そのため、いったん中毒になると使用回数が極度に増え、購入回数と金額も急激に膨らむ。強い中毒性のために止めるのは容易でなく、クラック代を得るための犯罪が急増した。
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