【シリーズ黒人史10】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~クラック・コカイン

文=堂本かおる
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クラック厳罰化 – 刑務所

 クラックが黒人貧困地区で爆発的に流行したのは、買い手の中毒だけが理由ではなかった。公民権法が制定されたのちも相変わらず続く人種差別と貧困に喘ぐ若者たちが、大金を稼げる”職業”として競ってドラッグディーラーとなったのだった。

 彼らは勝手知ったる地元で警察の目をかいくぐって密売ビジネスを展開し、地元民にクラックを売った。大金を稼ぎ、10代で高級車を現金購入するなど派手に振る舞い、家族にもラクをさせた。そんなドラッグディーラーを子供たちはロールモデルと見做した。

 やがて郊外に住む白人の中流層もクラックを求めて車で黒人地区にやってくるようになったが、彼らはクラックを手にするとすぐに白人地区に戻った。黒人地区ではクラック密売の競争が激化し、縄張り争いから多くの死者が出た。抗争の際に流れ弾で亡くなる者も後を絶たなかった。

 こうした混沌が全米各地で起きた。

 時の大統領ロナルド・レーガンはクラック禍を沈静するために「War on Drugs /麻薬(撲滅のための)戦争」と冠した掃討策を展開した。基本方針はドラッグ売買の厳罰化だった。

 1986年、議会は「100 to 1」と呼ばれる法を通過させた。先述したようにクラックも原料はコカインであり、白人のクラック使用者も少なくなかった。しかし「黒人低所得層=クラック」「白人中流層/富裕層=コカイン」の先入観に基づき、麻薬禍を起こしているのはクラックと断定し、クラックの所持者にはコカイン所持者の100倍の刑期を処す法だった。

 具体的には5グラムのクラック所持で刑期5年となった。非暴力犯も対象となった。コカイン所持であれば500グラムで同じ刑期5年となる。

 ファーストレディのナンシー・レーガンも「Just Say No/(ドラッグに対して)ただノーとだけ言いましょう」と銘打ったキャンペーンを開始し、国民へのメッセージを発した。ナンシー本人だけでなく、著名俳優、ラッパー、子供たちが「Just Say No」を唱えるヴィデオが何本も作られた。

俳優クリント・イーストウッドとナンシー・レーガンによる「Just Say No」メッセージ。

 厳罰化は刑務所に大量の黒人男性を詰め込むことになり、家庭崩壊、コミュニティ崩壊の問題を生みはしたものの、クラック禍の抑制には至らなかった。黒人社会が抱える根深い人種差別と貧困問題に触れず、単に「ノーと言いましょう」と唱える策にも効果はなかった。

 法案の制定から24年を経た2010年、批判されながらも放置されていた「100 to 1」を 「18 to 1」とする法案に、バラク・オバマ大統領が署名した。

クラックとヒップホップ

 レーガン大統領は「War on Drugs」の一環として厳罰化を進め、結果的に既存の刑務所では大量の服役者を収容し切れなくなり、刑務所の民営化が始まった。いったん民営化されると収益を維持するために服役者数を減らせなくなる。

 クラック禍が終わった後も刑務所人口の増加は続き、現在、全米の服役者総計230万人と、米国が世界最多となっている。人種別では白人と黒人がそれぞれ約90万人ずつだが、人口10万人あたりでは白人450人に対し、黒人2,300人となる(米国の人種別人口比は白人63%、黒人13%)。

 犯罪者の長期服役は家庭とコミュニティの崩壊を招く。服役者が一家の稼ぎ手であった場合は収入を無くす、もしくは激減する。同居家族は精神的な支えを失い、かつ子供がいる場合は子育ての負担と責任を一手に負うこととなり、精神的、身体的に消耗する。

 服役者には圧倒的に男性が多く、子供たちは父親と遮断されることとなる。そもそも低所得の黒人地区ではシングルマザー家庭が非常に多く、子供たち、特に男児は家庭のみならず、コミュニティの中でもロールモデルとなる成人男性を見ずに成長する。

 こうした環境に暮らすインナーシティの若者たちはクラック売買を行い、そのライフスタイルをヒップホップとして表現した。クラック売買によって得た資金でレコーディングを行い、世界中に名を知られる大スターとなり、のちにホワイトハウスに招かれるまでになった者もいれば、ドラッグ売買とレコーディングの間でライバル・ギャングに撃たれて亡くなった者も無数にいる。

 ニューヨークのヒップホップ・グループ、ウータン・クラン「C.R.E.A.M.」のリリックと映像はクラック売買によって15歳で刑務所に入った22歳の青年のモノローグとなっており、子供時代の両親の諍い、クラックとマリファナの同時摂取、ドラッグ売買で大金を得てのベンツとシャンパンなどが描かれている。タイトルの「C.R.E.A.M.」は「金が全て/Cash rules everything around me」を意味する。

ウータン・クラン「C.R.E.A.M. 」1993

ウータン・クランは当時から現在に至るまでヒップホップ界の最も重要なグループの一つとして高く評価され、メンバーは多方面で活躍。先日公開されたルイ・ヴィトンのメンズ春夏コレクション映像にもメンバーが出演、音楽も手掛けている。

 クラックによる長期刑を終えて出所した人々は新たな困難に直面する。犯罪歴のために就職や新たな住居探しが困難となる。また、入所時に幼かった子供が10代もしくは成人になっており、親子の関係を修復できないケースもある。つまり更生の意思はあっても容易ではなく、生活の糧を得るために犯罪に戻り、再度の逮捕・収監となるケースが後を絶たない。

 低所得の黒人コミュニティ全体にパートナー不在の女性、父親もしくは両親不在の子供、出所したものの社会復帰できない男性が溢れ、人々は精神的、経済的に疲弊し、コミュニティ全体がさらに荒廃していく。

 だが、クラックの人気は急激に衰え、1990年頃にブームの終焉を迎えた。中毒者、犯罪、暴力、家庭崩壊、コミュニティ崩壊のあまりに凄惨さに次世代の子供たちが手を出さなかったと言われている。とはいえ、クラック中毒者を親に持つ世代、自身が中毒者または密売者だった世代は今、40〜50代となっている。彼らが子供の時期に見た光景、体験した生活は消えてはなくならず、今に至るも多くの人々の心の傷となって残っているのである。(次回に続く)
(堂本かおる)

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