パブリックヒストリーによるアクティヴィズム
CCは紛れもないエンタメ作品だが、同時に弱者の立場から歴史認識へアクションを起こしているのが興味深い。さらに一歩踏み込んで、本作をある種のアクティヴィズムの一環として見ることもできる。
原作のタイトル「ゲットー・カウボーイ」が示す通り、この馬小屋がある北部フィラデルフィア地区はゲットー化した住宅街で、近年ペンシルヴァニア州の宅地指定管理局が再開発によるジェントリフィケーションを試みてきた。
住民を追い出すのはなぜか。CCでは彼らの口から説明がなされる。「トラックが登場したことで、馬が不要だと市は決めた」。馬が合理的な移動手段だった時代も過ぎた。都市部では、近隣住民から苦情も来る。彼らが大切に育てている動物を回収に来るのも、州の動物管理局だ。
しかしこれは当局の名目である。「不動産屋は馬は不要だと追い出す。馬小屋は閉鎖されていく」。地価が下がるのを恐れているのだ。アクセスの良いインナーシティから黒人・貧困層を移動させて資産価値を上げたい。既に5ブロック先には高級コンドミニアムもできている。「skinny hipster-ass latte motherfucker(※)はそんな距離を歩いてこれやしないわ!」と冗談をかます(※無理矢理訳せば、“オシャレグルメ気取りのクソ小金持ち野郎ども”というニュアンスの罵倒)。背景には人種隔離の問題がある。1960年代には黒人が白人地区に移住したことで暴動やリンチ殺人が多発した。そこには人種差別だけでなく階級差別も絡み合っている。
フレッチャー通りの住民は苦境にある人々が多い。ゆえに、「馬」を中心に据えたコミュニティで結束をして、その手で生きがいのある人生を作ろうとした。行政が権威を使って彼らから強引に奪ったのは、単なる都会の手狭な動物小屋ではなく「拠り所」なのである。
住民の追い出しを伴う高級化は、この場所で現実に起こっている社会課題だ。人々の暮らしを尊重する立場と無慈悲に彼らを退ける施政者・投資家との軋轢について作は、事件を住民の目線から描くことでアンチテーゼを提示する。
映画というエンターテインメントは力が強い。人々の記憶に残る力がある。この作品も社会に訴えかける力を持ったようだ。制作過程では、当局が映画の公開に対して圧力をかけるという問題が起こっている。
詳しくは伏せるがプロットに深く関わる形で、フィラデルフィアで活躍したジャズ・サックス奏者ジョン・コルトレーンが登場する。ホースクラブの地域には実際に彼の旧住居があって1985年には史跡にも指定されているが、実は昨今では度重なる火災や再開発によって解体の危機にある。昨年は建築レッドリスト指定やファンディングの呼びかけなど、保存運動も本格化しはじめた。今回の映画化はこの問題への呼び水にもなると期待される。
本作は、民衆の、民衆による、民衆のための歴史、すなわち「パブリックヒストリー」としての力を遺憾無く発揮する可能性を秘めている。「いま」フィラデルフィアのホースクラブに起こっていることを、「民衆の問題」として記憶し伝えるものであり、一方で「カウボーイ/カウガール」という代表的なアメリカ文化における黒人の存在を再考させる、幅広い射程を持っている。歴史とはどこまでも「現在進行形」だ。過去と現在はつながっていると、改めて気がつかせてくれる。
フィラデルフィア映画としての説得力
筆者が一番馴染みがあるアメリカの都市はフィラデルフィアだ。この映画のことも現地の友達が教えてくれた。十九世紀にはアメリカの首都でもあったこの地を舞台にした映画は数あるものの、なかでも本作は、元住人の目線で見ても「フィラデルフィア映画」のお墨付きをあげたいと思った。
路上のリアリティがすごい。この街はダウンタウンから本当にすぐゲットー的な地区になる。また京都のように碁盤目で設計された古い街なのでストリートの幅もかなり狭い。野外に人が座り込みぶらつき、その背景にすぐ高層ビルが見える。いかにもフィリー的だ。(「フィリー」は街の愛称)訛りもこの街の黒人っぽいなあ……と思ってたら、やはり本人たちが演じていて納得した。
この街が舞台の作品でも、訛りがちっとも“らしく”なかったりすることもあるし、ローカルグルメなんかのご当地アイコンをわざとらしく登場させるやり方もあまりスマートじゃない(それはそれで面白いけど)。一方、先のコルトレーンのネタ然り、本作はさじ加減が絶妙だ。この意味では、アメリカ国内で一度くらいはフィラデルフィアを訪れたことがあったり、フィラデルフィア映画をたくさん観たことがある人向けと言える作品かもしれない。
フィラデルフィアを舞台にした映画の系譜から考えても、やはり“らしい”映画だ。『ロッキー』はもちろんその公式リニューアル版とでも言えよう『クリード』シリーズや、エイズ裁判を描いた『フィラデルフィア』や、最近ではDCコミック原作の『シャザム』もある。これらを貫くのは、「血のつながり」という規範を超えて「家族」を再考し、アンダードッグ(負け犬)や「弱きもの」の力強さと再生に光を当てようとする意思だ。Philadelphiaとは元々「兄弟愛(brotherly love)」を意味する言葉である。苦境にある人々が自らの手で作った「兄弟=家族」という居場所の尊さと、それに向けられた権力の告発を描く本作は、まさに「フィラデルフィア映画」の王道をいく。CCは、歴史の中で忘れられていた、「黒人カウボーイ・カウガール」という“ブラザー”たちの“愛”を語り直す物語なのだ。
フィラデルフィアの夏といえば野外上映会。川原や美術館広場で催され、『ロッキー』はその定番。昨年以来数千人の死者も出てしまったが、現在既に半数が二度のワクチンを打ち、飲食店の人数制限や外出時のマスク義務もなくなって普段通りだ(6/27時統計)。今年の夏こそ、ビール片手に『コンクリート・カウボーイ』を野外で観られるかなあ。一点だけ本作が残念なのは、スポンサーなのだろうバドワイザー関連会社のビールや広告がチラチラ見えて興醒めだったよ! フィリーの安ビールといえば、「アメリカ最古の醸造所」イェングリングしかないでしょう。
参考資料
Gregory Neri, Ghetto Cowboy (Candlewick Press, 2011)
Paulina Cachero, “The True Story of the Black Cowboys of Philadelphia Depicted in Concrete Cowboy,” TIME (April 2, 2021)
Christina Hansen, “Clinton Park Stables,” All About the Famous New York City Carriage Horses (November 19, 2015)
Yuengling: America’s Oldest Brewery Good Morning America, ABC News (October 25, 2009)
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