
オスカー・ワイルド(wikipediaより)
アーバスノット夫人:ああ!どうでもいい人だよ。とくにどうってことない人。つまらない男。(オスカー・ワイルド『つまらない女』第4幕502-503行目)
この連載では既にオスカー・ワイルドの名前が何度か出てきており、『サロメ』は詳しくとりあげたこともあります。今回はワイルドの喜劇の中でも一番知られていない『つまらない女』(A Woman of No Importance、日本語では『つまらぬ女』と呼ばれることも多いです)をとりあげます。
最初に引用したのはこの戯曲の最後の台詞で、アーバスノット夫人がかつての恋人イリングワース卿を指して言う言葉です。アーバスノット夫人はタイトルロールである「つまらない女」なのですが、実は全くつまらない女性ではありません。
この作品はヴィクトリア朝において結婚せずに子供を生んだ女性をとりあげた芝居で、男女の性道徳にダブルスタンダードがあること、出産と子育ての責任が女性にばかり負わされること、年齢や育ちにかかわらず人が性的なことがらに関する偏見から逃れるのは難しいことなど、今でもピンときそうなテーマがたくさん盛り込まれています。いろいろ難点はありますが、現代的な問題を鋭い切り口で扱っているのです。
序盤はかなりたるんでいるが…
『つまらない女』は1893年に初演され、かなりヒットしました。ワイルドは前年に『ウィンダミア卿夫人の扇』でヒットを飛ばしており、『つまらない女』も同系列のテーマを扱っています。いずれも当時の性道徳に沿わない行動により社会から排除された女性に対する偏見を批判する内容です。
『つまらない女』は、結婚しないまま息子のジェラルドを産んだレイチェル・アーバスノットがひょんなことからその父親であるイリングワース卿に再会する物語です。意欲作品ですが、ワイルドの他の喜劇である『ウィンダミア卿夫人の扇』、『真面目が肝心』、『理想の夫』に比べると評価が低く、上演もあまりされていません。
不人気の理由としては、第1幕から第2幕中盤くらいまでがダラダラしていてあまり話が進まないという明白な欠点があげられます。第1幕の終わりに、イリングワース卿が手紙の筆跡を見て昔知っていた女性の筆跡に似ていると言った後、誰だか聞かれて「ああ!どうでもいい人だよ。とくにどうってことない人。つまらない女」(525-526行目)とごまかすところがあり、ここが最後のアーバスノット夫人の台詞と呼応するというきっちりした伏線はありますが、それ以外はあまり重要なことが起こりません。
第2幕中盤くらいからやっと話が進むのですが、それまでは上流階級の人々が気の利いた会話に興じているだけです。たとえて言うならクエンティン・タランティーノが『レザボア・ドックズ』(1992)の冒頭用に書いたなんとなく面白いようで若干オフビートでもある会話がえんえんと1幕くらい続く感じで、それだけだと結構キツい感じがします。
さらに、それ以降はいろいろな詳しい事情をすっ飛ばしてポンポン話が進むので、全体的にペース配分がおかしいような印象を与えます。しかしながら第2幕中盤までを耐えれば、その後はかなり鋭いお話が展開するので、早々に諦めてしまうのはもったいない作品なのです。
宇宙に溢れる無責任な父親
この芝居が面白くなるのは、第2幕終盤でイリングワース卿とアーバスノット夫人が対決するところからです。
イリングワース卿は若き日のアーバスノット夫人と同棲して妊娠させたのにもかかわらず、結婚や認知を拒みました。ヴィクトリア朝において未婚の母に対する風当たりは大変なものでしたが、アーバスノット夫人は名前を変えて必死にひとりで息子を一人前に育て上げました。自分が未婚の母なのも、父親が誰なのかも隠していたようです。
イリングワース卿は立派になったジェラルドが自分の息子だと知り、手元に置きたがります。ここでイリングワース卿は「レイチェル」(527-529)とファーストネームの呼びかけを繰り返します。馴れ馴れしくすることで優位に立とうとする様子はハラスメント気味な男性に今でもありがちな振る舞いをリアルにとらえています。育てるのを拒否したくせに大人になった息子に父親面をしたがるイリングワース卿に対して、当然アーバスノット夫人は抵抗します。
このように身勝手な振る舞いをする父親というのは家族もののメロドラマでは定番です。『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ヴェイダーやマーベル・シネマティック・ユニバースの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol. 2』に出てくるエゴなども、ある意味ではイリングワース卿の子孫と言えるキャラクターかと思います。19世紀の舞台劇からスペースオペラまで、物語の宇宙は無責任でいいとこ取りしたがる父親でいっぱいなのです。
アーバスノット夫人は遠回しに息子のジェラルドに対してイリングワース卿がひどい男であるということを伝えようとし、自分のこととしてではなく、昔のスキャンダルとして婚外子がいたことを話します。しかしながらジェラルドはそれに対して「本当に良い娘、本当にまともな考え方の娘なら、結婚もしてない男と家を出て、妻として一緒に住むものかな?」(第3幕465-467行目)と、未婚の母になった女性を責めるような発言をし、知らず知らずのうちの母を傷つけてしまいます。
アーバスノット夫人はこれを聞いて説得を諦め、真実は胸にとどめておこうとするのですが、実はこの直前にジェラルドの恋人ヘスターも同じようなことをアーバスノット夫人に言っていました(第3幕321-341行目)。この展開は、必ずしも若者のほうが先進的、開放的な考えを持っているとは限らず、むしろ人生経験が無くて純粋なのでやたらと厳しい道徳観を持っていることもあるということを示唆しています。
アーバスノット夫人が諦めたところで、ジェラルドの恋人でアメリカから来た敬虔で信心深い若い女性であるヘスターがイリングワース卿から逃げてきます(第3幕475行目)。イリングワース卿の好色は直っておらず、真面目なヘスターに無理矢理キスしようとしたのです。ジェラルドは激怒し、イリングワース卿を殺すと息巻きますが(第3幕487行目)、アーバスノット夫人はカッとなった息子を止めようとしてうっかり相手は父親だと漏らしてしまいます(第3幕490行目)。
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