「日本」と一体化してしまう屁理屈:山尾志桜里の場合

文=早川タダノリ
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山尾志桜里公式サイトより

●日本人のつくり方(第8回)

 国民民主党の山尾志桜里議員が、次期衆院選への出馬を見送るらしい。ご本人のnoteによれば「私には政治家とは別の立場で新しくスタートしたいことがあります」とのこと。その理由については週刊誌上などで取り沙汰されているが、もともと地元選挙区に地盤があるわけでもなく、つぶしが効くうちに転職しておこうという目論見は理解できないこともない。

 とはいえ政治業者でいられるあいだに「しっかり権力を統制できる憲法の緊急事態条項案をつくったり」したいとも表明されているが、いやいやそんな余計なことをせずに、今すぐ即刻辞めてほしいと言わざるをえない。

右派系改憲集会にも連続的に参加

 数年前から、「護憲的改憲」という意味がよくわからない看板をかかげて、安倍政権下での自民党の憲法改悪に対して “積極的に” 関与してきたのが山尾氏だった。立憲民主党の会派を離れたのも、憲法調査会の進め方をめぐる対立があったからだとご本人が明らかにしている。

 ともあれ「護憲的改憲」と言うのだから、さすがに日本会議や自民党右派とは対立するのだろうと思っていたら、2020年・2021年と、日本会議系改憲運動を牽引するフロント組織「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会に参加し、彼らが目論む〈国民運動〉の体裁を親切にも補完してやる役割を果たし始めた。

*2021年5月3日に同会が主催したオンライン公開シンポジウムでの櫻井よしこの発言については、前回の記事で触れた。

「嘘はつかない、それは日本人の美徳」と、櫻井よしこは言った

日本人のつくり方(第7回) 画面の中の櫻井よしこは、一語一語を区切りながら、頭をかすかに前後に揺らして語気を強め、視聴者にこう語りかけた。菅首相…

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「日本」と一体化してしまう屁理屈:山尾志桜里の場合の画像2 ウェジー 2021.05.29

中曽根元首相の言葉に「感銘を受けた」山尾氏

 そればかりではない。今年6月に開催された「令和3年度 中曽根康弘会長を偲び、新しい憲法を制定する推進大会」(主催:新憲法制定議員連盟)にも出席し、そこで「まず何よりうなずいたのは、「国政の一番の基軸は憲法問題であり、この本流の仕事をできるだけ早くやるべし」という言葉です」とまで語ってみせたのには驚いた。このときのスピーチの内容を、山尾氏がみずからnoteに投稿「中曽根元総理を偲びながら、山尾志桜里が語ったこと。」しているが、その中にこんな一節があった。

もうひとつの言葉は「主体性の回復とは、日本が、自分で、私は何だ、と決めること」という言葉です。日本と自分、日本と私、ともすれば「公と私」「国家と国民」というふうに対峙されがちなこの関係性を、どう捉えて、とんとんとんと並列に並べてお話しされていたのか、その深い意図を、もし伺う機会があればぜひお尋ねしてみたかったです。

 いや別にこれは、冥界の中曽根を召喚するまでもなく、「日本と自分」「日本と私」どころか「日本=自分」にまでなっちゃうような、よくいる残念な人に聞いたほうが話が早いんじゃないでしょうか。

 いやそもそも、ここで中曽根は「「公と私」「国家と国民」というふうに対峙されがちなこの関係性」の話をしてるんですか?

改憲派おきまりの屁理屈になぜ感銘?

 この中曽根の言葉は、彼女が読んだという柳本卓治編『愛なくば、政治は死す 中曽根康弘語録Ⅱ』(産経新聞出版、2009年)では、次のように紹介されている箇所である。

国権の回復とは、つまり日本の主体性の回復ということです。このことを、中曽根は、わかりやすく説明しています。
「(主体性の回復とは)日本が、自分で、私は何だ、と決めることであります」
そして、これは、今までの歴史と伝統を背負って、それを次へと伸ばしていくことであるというのです。(前掲書、115頁)

 ここで言われている「国権の回復」とは、敗戦後のGHQによる支配によって奪われた「自主独立国として有すべき当然の権威と権利」(112頁)を取り戻すことを指す。この「国権の回復」が改憲と結びつくのは、最高法規としての憲法がGHQによっておしつけられたものだからだ――という、きわめて古臭いイデオロギー的道具立てを背景としている。もう何十年も繰り返されてきたこのセリフに、山尾氏はなぜか新鮮に驚いてみせたわけだ。

 しかも、編著者である柳本が中曽根の言葉に付け加えている「今までの歴史と伝統」とは、欧米的な「人工的国家」とは違う「自然的国家」である日本の立国(=肇国)以来の歴史を指すようだ。

 柳本はこう書いている。

日本の立国の時期を、二つに分けて考えてみます。
第一期は、天之御中主神や天照大御神が、この日本の地に降りられた時代です。(中略)第二期は、神武天皇による大和の国の建国です。いよいよ大和朝廷による、統一国家づくりが始まるのです。(前掲書、92頁)

 いや、それ神話だから……。これまた古臭い皇国史観で、「日本」の歴史が「二千六百年」などと、不可解な計算ではじき出された皇紀までとびだすありさまだ。こうした思想にも山尾氏は「感銘」を受けたのだろうか。政治業者としてのリップサービスとしても醜悪にすぎる。

中曽根発言の意図的な読み違え

 そもそも「日本と自分、日本と私、ともすれば「公と私」「国家と国民」というふうに対峙されがちなこの関係性を」並列に並べたという山尾氏の読解自身が誤読の産物だ。

 中曽根のオリジナル発言を参照してみると、中曽根はせいぜいのところ「日本国家の自主独立」を訴えているに過ぎないのだが、山尾氏はその文脈を「日本と自分、日本と私」のことを指していると意図的に読み替えている。中曽根の発言はたいして難解なものでもないし、きわめてオーソドックスな反動的改憲派の、しかもよくある主張なのにもかかわらず、山尾氏はアサッテの方向で読解して「感銘」してみせている。

 これは単なる誤読なのだろうか。いや、そうではない。自分の土俵の方へ引き寄せるために、中曽根の片言隻句を利用しているのだ。山尾氏が積極的に言いたいことはその言葉の次に出てくる。

浅学ながら思うのは、この「日本」とか「自分」とか「私」というのは、死者も含めた国民とその国民が形作ってきた国家を意味しているのではないかと思います。

 スピーチはどんどんアサッテの方へと向かう。このあたりから、山尾氏は独自の国家観を披瀝し始めている。「「日本」とか「自分」とか「私」」とイコールに並べる山尾氏の独自解釈に加えて、「死者も含めた国民とその国民が形作ってきた国家」というよくわからないものまで飛び出してきた。

エトノスとしての「国民」観

 山尾氏は同じことをスピーチの後段でもくりかえしている。

よく憲法は「国民が国家権力をしばるもの」と言われますが、「権力を生みだす」のも国民だという点は見逃されがちです。そう考えると、国民と国家を対立関係だけで捉えるのではなく自同性にも目を配るべきであって、そのときの国家とは、日本の歴史と文化を形作ってきた死者も含め国民がおりなす共同体なのではないかと思います。

 この「死者も含めた国民」という概念について、これまでの山尾氏の著書を探してみたが使用例をみつけることはできなかった。

 かつて加藤典洋は『敗戦後論』(講談社、1997年)で「新しい死者の弔い方〔=戦争で死んだ自国の三百万の死者を深く哀悼すること〕を編みだすことの必要、汚れをこそ原点にするような重層的な認識主体の形成、憲法の改正規定を通じての国民投票による現憲法〔=押しつけられた平和憲法〕の選び直し」(103頁、〔 〕は同書からの早川による挿入)という道筋を示してみせた。

 「国民」の範疇に「死者」を召喚し、改憲へと導く山尾氏の論建てにふれるとき、今から25年以上前に書かれたこの論を想起してしまう。しかし『敗戦後論』ではあくまでも「戦争で死んだ自国の死者」という限定に意味があり、山尾氏のように「日本の歴史と文化を形作ってきた死者も含め国民」などと、誰を指しているのかも判然としないボンヤリとしたものではない。

 山尾氏の言う「日本の歴史と文化を形作ってきた死者も含め国民」規定は、どちらかと言えば「民族という自然の所与をまるごと前提としたもの」(樋口陽一『憲法と国家』岩波新書、1999年、7頁)としてのエトノスに近いように見受けられる。憲法学の世界におけるエトノスとデモス(「自然の帰属集合体からいったん解放された諸個人がとりむすぶ社会契約」(前掲書)を基礎として形成される「国民」)両説の詳細にはここでは立ち入らないが、憲法学者の樋口陽一氏は「国民=エトノスの国家は、エスニシティ単位の実在を前提するから、それに包みこまれる個人を、潜在的にであれ現実にもであれ、抑圧するものとなる」(樋口前掲書、73頁)と批判している。

 こうしたエトノス的「国民」規定は、中曽根を始めとした右派の〈自然的国家としての日本〉という国家観と十分に共鳴するものだろう。近代国民国家の成立以前からあたかも〈自然に〉日本国家は形成されたものだというイデオロギーは、日本ナショナリズムの基調をなす主題である。「万世一系」とされる天皇制とワンセットで、「世界最古の王朝」などなど、よくわからない権威や自慢や正統性を国家に付与する重要なツールなのであった。

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