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社会から、とりわけ男性から「女性」に対して向けられる非対称的なまなざしの存在に気がついたのは、いったいいつのことだっただろう。私は、自分のアセクシュアルというセクシュアリティや、高校時代を女子校で過ごしたこと、子どもの頃からずっと同姓の芸能人ばかりを眩しく見つめて追いかけてきたことなどもあって、長年「男性からのまなざし」や「男性から好かれること」にあまり関心がなく、そういった価値観から距離を置いて生きてきた。だから、そのまなざしの存在にはっきりと気がつくまで、人より少し時間がかかったようにも思う。
しかし、大人になり、フェミニズムと出会って学びを深めていく中で、たとえばそれまで無邪気に好きで応援していた女優や女性アイドルたちには、疑いようもなく「男性の(性的な)まなざし」が向けられ、それを意識して外見(装いや髪型やメイク)やイメージが作られ提供されてきたことを実感し、複雑な思いを抱くようになった。
それと同時に、痴漢やレイプなどの様々な性被害やルッキズムは、女性を一方的に性的に消費することをよしとする価値観が社会にはびこることによって引き起こされているのだと気づくようになり、その非対称性や歪さを理解するようにもなった。
そんな、社会の中にある「女性」の身体や容姿を性的に消費しようとするまなざしや価値観の存在を、思わず目を背けたくなるほど生々しく突きつけ考えさせてくれるのが、『ひばりの朝』(著:ヤマシタトモコ 祥伝社)という漫画だ。
『ひばりの朝』の主人公・手島日波里は、14歳の中学生の女の子だ。小柄で、色白で、胸が大きく、制服のスカートから覗く白く肉感的な脚に、上目遣いの潤んだ目、ぷっくりとした唇といった、いわゆる「女を感じさせる」容姿や雰囲気を持っている。
それゆえに、ひばりは小学生の頃から変質者や痴漢の被害にあったり、クラスメイトの男子からは「エロい」と性的なまなざしを向けられ、女子からは「男子に色目つかっててキモい」と疎まれたりして、心を許せる友人もいない。
クラスで「父親から性的いたずらを受けている」という噂が立った時(実際に彼女はそのことで悩んでいるのだが)も、「自意識過剰」「自分から誘ったんじゃないの?」とひどい言葉が投げかけられ、男性教師からも「あんな外見だから噂が全部嘘とは思えない」「ああいう子は自分のそういう部分をわかって女を利用している」などと言われてしまい、誰も彼女を心配しない。
一番子どもを近くで見て理解しているはずの母親からも「あいつは私に似てオンナだから、女に嫌われたり性的な被害にあったりしても仕方がない」「でも男に優しくしてもらうやり方は知っているはずだから心配はしていない」と思われている。実の父親から、夜寝ている間に部屋で身体をじっと見られたり、入浴している間ずっと洗面所に居られたり、といった性的ないやがらせを受けていることを誰にもまともに相談できず、ひとり恐怖を感じながら日々を過ごしている。