インバウンドも開催意義も消滅した東京五輪は直ちに中止すべきだ

文=本間龍
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Getty Imagesより

組織委の現場スタッフは覚悟も責任感もない上層部に振り回される

 7月8日、5者協議で東京五輪の無観客開催が決まった。観客数を決めないまま迷走し、6月21日に一旦は上限1万人と決めたものの、コロナ感染者の急増と都議選で示された世論の強い批判に抗しきれず、無観客となった。

 これにより、組織委の現場は大混乱に陥った。開催1カ月間になってようやく上限1万人で動き出し、スポンサー企業もチケットプレゼントなどに応募した客を入れられると安堵したのに、その全てがパーになったからだ。架けたハシゴを外されるとは、まさにこうした事態を指すのだろう。

 感染増加による第4波到来は様々なシミュレーションで早くから予測されていた。だが政府は政権維持のために楽観的予想に終始して、判断を二転三転させた。

 この混乱は世論の批判に耐える覚悟も責任感もない政府や組織委上層部が引き起こしたものであり、もはや彼らは、五輪を開催することだけが自己目的化している。私はここ数年間ずっと組織委を批判してきたが、さすがにこの仕打ちには、最前線の現場で働く組織委の人々に同情を禁じ得なかった。

本当の意味での無観客開催ではない

 だがこの場合の「無観客」とは、チケットを自費で購入した観客が入場できなくなるという意味だ。開閉会式にIOC貴族とスポンサー関係者、メディアは入れるのだから、完全な意味での無観客ではない。

 だが客を入れないとしても、アスリートに対応し競技進行に携わるボランティアや警備員は必要だし、各会場に配置される警察官(約6万人)が激減するわけでもない。

 約2週間の五輪のために10万人を超える関係者が集まるのだから、感染リスクが高まるのは確実である。すでに7月17日現在で、45人の五輪関係者がコロナに感染したと発表されている。東京五輪は、開催するだけで感染リスクを格段に押し上げる存在なのだ。

 さらに言えば、五輪貴族ファミリーのためだけに数千人のボランティアが歌い踊る開会式というのも気持ちが悪い。テレビ中継があるとはいえ、まるで王侯貴族だけのために奴隷がマスゲームをしてみせるような、どこかの専制国家のような話ではないか。

 むろん、開会式に参加する人々にも、感染の危険性が高まることは言うまでもない。開会など、バッハが一人で式辞を読めば事足りるのだから、数千人が集まる式典など、やめるべきである。

開催意義とインバウンドが消失したのに開催が強行される愚

 前述のように、東京五輪は開催するだけで感染リスクを押し上げるのに、7月11日からは東京に4度目の緊急事態緊急事態宣言が発出された。この状況下でなぜ五輪を開催するのかについては、菅義偉首相はじめ橋本聖子組織委会長、丸川珠代五輪相などは「コロナに勝った証として開催」「開催することで世界に勇気を与える」などと言っているが、納得している国民はほとんどいない。国民は強行開催での感染爆発を恐れているのであり、そこに空虚な精神論をいくら並べても、戯れ言にしか聞こえないからだ。

 そもそも今回の五輪は、すでにその開催意義が消滅している。3月20日、組織委が海外からの観光客受け入れ断念を発表した時点で、「4年に一度、世界中の人々が平和のために一堂に会する」という五輪の根本的な精神的意義が消えたのだ。さらに、IOCと組織委が作成したプレイブックでは選手村での交流も厳しく制限しているから、それに従う限り、選手たちによる友好の醸成も困難になっている。

 来日する世界中の人々と国民が交流するという、草の根的な国際交流の可能性もほとんど消えた。ホストタウン事業などに代表される、選手と市民の様々な人的交流は、五輪終了後に遺産(レガシー)となり、それが後々の経済的・精神的な効果にも繋がると喧伝されてきた。

 だがそのホストタウン事業は登録約500カ所中、すでに100カ所以上が辞退または中止となった。残ったホストタウンの大半でも選手と市民の交流は中止され、選手たちの滞在費だけが今後の市の財政に重くのしかかる。

 観光客を入れなければ、経済効果は消える。政府が五輪誘致の最大根拠として喧伝し続けてきたインバウンド効果も、海外客の受け入れ断念によって消滅した。海外からの観戦客は旅費・宿泊費を伴い、さらに五輪観戦後に国内各地を観光する人が多いため、多額のインバウンドを発生させると期待されていた。その経済効果は数兆円に及ぶと見積もられていたのだから、受け入れ断念の影響は甚大である。

 西村経産担当大臣も9日、「4千万人のインバウンド(訪日外国人客)、8兆円の消費を期待したが、もうまったく考えていない。(中略)全く経済効果は期待していない」と明言している。

 さらに、無観客開催となったため、組織委の貴重な収入源であったチケット代金900億円のほとんどを返金しなければならなくなった。だがすでに組織委には財政的余力が無く、東京都または国の税金による補填は避けられない。

 加えて、空港での検疫強化やアスリートのハイヤー移動など、当初予想していた以上のコロナ対策費が次々に発生しており、組織委幹部がオリパラ終了後でなければ支出総額が分からないと言うほど、経費は増大している。インバウンド消滅によって1兆6400億円の開催費はすでに回収不可能であったのだが、巨額の赤字だけが残ることが決定的になっているのである。

 さらに、見えない経費として、開催強行によって発生する医療費がある。大会期間中に感染者が増え、医療費が増大しても大会経費にはカウントされないが、開催しなければその費用も発生しないのだから、これも隠れた経費と判断するべきではないか。

 再度言おう。「インバウンド(経済的意義)」と「国際交流(精神的意義)」という、五輪開催の根幹が完全に消滅した現在、政府や組織委が強行しようとしているのは「五輪のようなモノ」であり、「似て非なるニセモノ」である。経済的にも精神的にも、五輪開催の意義は消失して、ただの巨大な競技会になったのであり、従って巨大な感染リスクを冒してまで開催する意味など、全くない。というよりも、東京の感染状況は緊急事態が発出されるほど悪いのだから、巨大イベントなど開催してはならないのである。

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