見方、考え方の変化とそのプロセスを記録すること
西森 ハンさんが観たらまたどう見るのか聞きたいですし。
ハン それは今までのホン・サンスとは違うっていう感じ?
西森 えっ……そこはどうだろう。私、今までとどうなのかっていうと正直まだわかってなくて。ホン・サンス作品をそういう目で観てなくて、今までの作品も。そういう目線で観られるようになったのって、最近の話なので。
ハン ん? 分析的に観ようとしていなかったという感じ?
西森 全然できてなかったというか。おかしみがあって、なんか残るな、っていう感じだったので。たぶん今観たら、もうちょっとわかるところがあるのかもしれないですけど。
ハン そこってさ、それこそこの本の中身みたいな話になりますけど、見方が変わったっていうのは、具体的にどういうことだと思いますか?
西森 それはですね、すごく単純に言うと、蓄積がなかったとかそういう意味ですよね。その頃はその頃であったつもりだったんですが、もっと前はもっとわかってなかったこともあるし。でも逆に、今でも思い出すような強いものが描かれているものに対しては、わかってはないけど何かを感じてたかな、っていうのはあるんです。
でも最近すごく思うのは、割とみんながこう見えるはずだっていうのは幻想というか、そんな風に見えないよ、っていうのも忘れたくないなというのもありますね。
ハン どういうこと?
西森 うーん、当たり前のように、背景にいろんなことが描かれていると理解するのにはホントに訓練が要るので。できて当然、みたいな感じでいちゃいけないな、っていうことですかね。これは映画の見方に限ったことではなくて、社会とかが変わって、なんか、意図せず失言をしちゃったりするじゃないですか、それに対して、失言は悪いんだと思っていたんですけど、理解してなくてする人もいるんだろうなと思っちゃうようなこともあったので。私もそういうこと、分かってなかったこともあるので。だから蓄積がないとか、知る機会がなかったっていうのはあるな、って思ったんですね。
ハン 結構、この本ではこういう話もしていますよね。
西森 そうですね。
ハン 映画やドラマそのものからは離れる感じで。
西森 だから、韓国映画あまり観ていない人でも結構この本に反応してくれてるのはありがたいですよね。音楽ライター、批評家のimdkm(イミジクモ@imdkmdotcom)さんとかも反応してくれて。
議論や討論ではなく「おしゃべり」であることの意義をすごく感じたのと、「おしゃべり」であってもなんとなく流れていったりウケを狙ったりではなく、言葉を重ねていくことそのものが大事にされているのがよかった。丁々発止のやり取りとも論争的なケレン味とも違う対話の面白さというか。
— imdkm (@imdkmdotcom) April 6, 2021
でも(まえがき・あとがきを除いて)最新の対談から初めていったん2014年に戻り、そこから徐々に現在に進んでいく、という構成とか、すげーいいなと思ってしまった。「おしゃべり」のなかに示唆に富む考えや見方がつまっているのはもちろんのことながら……
— imdkm (@imdkmdotcom) April 6, 2021
ハン まえがきとあとがきを読んで下さった方は気づくと思うんですが、作る過程でそういうところに気づいて。映画の内容についての話もしてるんだけど、やっぱり7年間(を経ての企画)っていうのもあるし、その変化だったり、プロセスっていうのかな、そこを意識して、それを生かした作りになっていることについての指摘だったので、嬉しかったですね。
西森 そうですね。
ハン 見方や考え方の変化だったり、関係の変化だったり、そういうのが出てるのが面白いな、って。自分で言うのも変ですけど。でもそこはお互いそう思うところがあって、まえがきとあとがきはそういうことをふり返って書いたりしたんですけど。だから、映画そのもののガイド本っていうわけではないから、ガイド本と思われると逆に困ってしまう。
西森 確かにそうですね。
ハン 扱っていない映画はいくらでもあるので。この間、網羅的に観てきたわけでもないし。西森さんはお仕事で、たくさん観ていると思いますけど。私はたまたま観たものについて語っているだけで、話すために観るということはほとんどしていないので。そういう意味では変わった本かも?