ホン・サンスは本当に社会性・政治性を反映していない監督なのか? 西森路代×ハン・トンヒョン

文=wezzy編集部
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実はノンポリではない⁈

ハン ちなみにホン・サンスってめちゃくちゃ多作な人で、年に1本くらい作っている。2014年が『自由が丘で』で、次の年の『正しい日 間違えた日』(2015年 ホン・サンス監督 韓国)がキム・ミニが初めて出た作品で、そこからが「キム・ミニ以降」っていう新しいフェーズに入っていくんですけど。

 そういう中で、『自由が丘で』って、特異とまでは言わないけど、ホン・サンスのフィルモグラフィーの中では面白い位置にある作品だと思っていて。いっぱい作っている中で、まずは唯一日本人が出ている作品です。で、ホン・サンスって一般的な評価としては、さっきも少し話しましたが、いわゆる韓国映画的な社会性とか政治性がない監督だと言われているのですが、改めて観てみると、そうだろうかと思う疑問があって。

西森 そうですね。

ハン 『自由が丘で』を最初に観た時は、むしろものすごくそういうことを感じていました。2014年というのは、当時の李明博大統領が2012年に日本で言う竹島、韓国で言う独島に上陸したことを機に、日韓関係がものすごく悪かった時期なんですね。そんな時期に日本人俳優が出ているということ。あと、声高には言わないけれど、でもはっきりセリフでありますよね。ユン・ヨジョンが演じている宿の主人が、人種的なステレオタイプみたいなことというか、日本人は礼儀正しくて、っていうのを二回繰り返すんですが、最初に言った時に、加瀬亮扮するモリは「そういうことじゃない、韓国人だっていろんな人がいるでしょ」と返すんです。

西森 そうですね。モリが「でも、礼儀正しくて清潔だからという理由で、誰かを愛したり、尊敬したりしません」って言うんですよね。よく、海外の人は日本の人のことを、「礼儀正しい」と褒めてくれるけれど、そんなことで我々が喜んでいてはいけないというか。そういう礼儀正しくて、ぱっと見、人を「不快にさせない」ことが、人とつきあうときに重要なことではないんだなっていうことを、最近すごく思うので。それって、単にうわっつらなんですよね。

ハン そうですね。一見ほめているようだけどステレオタイプな決めつけだし、ホン・サンスお得意の「反復」を使うことでそう思わせる効果が増している。しかもそれを韓国人側にやらせ、日本人が否定するという構図。くどいようだけどあの時期に韓国人監督が韓国映画でそれをやるっていう。

 もうひとつ、英語っていうのもポイントだと思っていて。韓国人が英語をしゃべり、日本人も英語をしゃべり、アメリカ人が韓国語をしゃべっていたりとかするんです。全員がネイティブではない言葉でコミュニケーションしているというのも、なんかすごく、ステレオタイプみたいなものから離れようとしているというか。フラットさを目指しているというか。加瀬亮の言動とかも、日本語だったら言わないようなことを言っているようにも見えて。クレームをつけたりだとかね。宿の主人が自分の身内にだけ朝食を出すことに怒るところとか(笑)。

西森 あと、モリが韓国で語学学校の教師をしていたのに、同僚の教師と喧嘩して学校をやめてるとかって、外国でそんなことをしたらトラブルメーカーだと思われちゃうんじゃないかって思うけど、この映画の中では、そういう気持ちを隠している人よりも、思ったことを言う、ある種の日本人のステレオタイプからかけ離れた人を加瀬亮が演じていましたよね。

ハン そうそう。みんなが英語を話していることで、韓国人もある意味韓国人っぽくないし、日本人も日本人っぽくない。英語だからあまり難しい話はできないけど、お酒飲んだりしてなんとなくコミュニケーションしていて、仲よくなったりセックスもしちゃったりしているという。こういうグダグダな感じ自体はホン・サンスのいつものフォーマットなんだけど、なんか私はメッセージみたいなものを感じて。

西森 私、日本の人の特異性みたいなことを考えたんです。言いたいことを言えずににこにこして、何を考えているのかわからない、っていうのはありそうだから。でも日本の外の人から見ると、怒りというか、腹立ったりしたときにそのまま言うというのは気持ちいいとされるんだな、と思いながら見ちゃいましたね。

ハン うん、西森さんも英語、がんばったらいいんじゃない?(笑)

西森 言語の問題もあるけど、それ以上に、日本の中での気持ち悪さっていうものが最近気になっていて、中からも見直したほうがいいんじゃないかと思っていて。まあ「おもてなし」とかもそうなんですけど。

ハン 2008年の『アバンチュールはパリで』っていう作品があって。韓国語のタイトルは全く違っていて、原題は、直訳すると『夜と昼』。まあパリなんですが、浮気したり、男女がなんやかんやしているっていうパリである必然性はあまりないような映画なんですが、そこに「北朝鮮の人」が出てくるんですよ。北朝鮮からフランスに留学している、という設定で。で、その頃も、南北関係が悪かった時期なんですよ。まあちょっと後付けで言っているようなところもあるけれど、2006年に北朝鮮が初の核実験をして、その2年後なんですよね。そんな時期に北朝鮮からの留学生役を映画に登場させたのも、ちょいちょいちゃんと時代に寄り添うというか、問いかけというと大げさだけど意味はあるのかな、って思ったんですよ。

西森 そうですね、時代時代で、意外と、そのときの感覚が反映されてるんじゃないかってことが、後になってわかる感じはありますね。

ハン キム・ミニが最初に出たのは2015年の『正しい日 間違えた日』で、その2本後が2017年の『夜の浜辺でひとり』で。それ以降は女しか出なくなるという。

西森 男性がしゃべってる映画ばかりだったのに。

ハン そしで2020年の『逃げた女』は、女しか出てません(笑)。監督とキム・ミニとの個人的な関係というのもあると同時に、やはり韓国だけではないですけど、2016年以降のフェミニズムの盛り上がりみたいなものもあって。なんかそこへの、ホン・サンスなりの何かなのかな、というか……。

西森 そうですね。しかもそれが今の時代に共有されているフェミニズムの解釈ともまた違う感じがあるのが。

ハン そうそうそう。

西森 それが面白いんですよね。

ハン 自分のフォーマットでやっているだけなんだけど、そういうかたちで時代性が反映されているというような気がして。で、中期ぐらいの作品は大体情けない男の話を……というか、情けない男が出てくる。でも最近の何作かは、情けない男は出てこない。情けない男や変な男がいたよねっていうエピソードを女たちが話しているだけで、もはや男が出なくなってきている。

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