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ワクチンと五輪に全てを賭けた菅政権
開会直前まで開催中止を求める声が多かった東京五輪。間際に関係者の辞任騒動が続くなど、開催できるのか不安がいっぱいでしたが、何とか開催にこぎ着けました。開会式典自体の評価は内外で分かれるとしても、そこにいくつかの不安材料も見られ、五輪後の日本は大きなお荷物を背負い込むことを暗示したように見えます。
秋の任期満了までに解散総選挙をしなければならない菅義偉政権の支持率が一部で30%を割るまでに低下し、政権内には危機感が募っています。この危機脱出には、ワクチン接種の進展と東京五輪で国民のムードを盛り上げるしかありません。
このうちワクチンではモデルナ社のワクチンが不足し、東京大阪での大規模接種の予約を停止しましたが、職域や大学での接種もできないところが続出。おまけに多くの自治体では予定された量のワクチンが届かず、予約停止などで混乱が起き、河野太郎大臣は謝罪しましたが、大臣や政府への不満は高まるばかり。だからこそ、何が何でも五輪開催での成果が必要でした。
指導力のないトップを露呈
ところが、このなりふり構わぬ五輪強行で、逆に政府の執行力の弱さが露呈し、オリンピックの意義も問われる事態となりました。開会式がいきなり「簡素なオリンピック」、「安全安心なオリンピック」に反するものとなりました。午後8時の開始から12時近くまで、延々4時間も続いたのです。
その間IOCのバッハ会長のあいさつが長かったこともありますが、最後に日本語で「天皇陛下に開会宣言をお願いいたします」と締めくくったのを受けて天皇陛下が立ち上がり、開会宣言を述べ始めた時点で、着席したままだった小池百合子都知事、菅首相が慌てて立ち上がる姿が映し出され、「不遜」との批判を浴びました。最低限の礼儀もわきまえていない政権トップの印象を与えてしまいました。
さらに、安全安心な大会に向けて、ルールブックを作成し、選手関係者に順守を求めましたが、早くもこれが守られなくなりました。開会式の選手入場ではマスクをせずに入場し、周りの選手と談笑する一団の姿が映し出されました。組織委員会はこれを処罰しないと言います。開会式が感染クラスター発生の要因にならなければ良いのですが、不安がいっぱいの開会式でした。
やはりコロナ禍で昨年開催されたテニスの全豪オープンでは、当局の毅然とした対応、冷徹なまでのルール厳守に最大限の労力をかけ、なんとか成功裏に終わりました。そこでは感染者とたまたま同じ飛行機に乗り合わせただけで、2週間の隔離を余儀なくされた日本選手など、厳しいルールが課せられ、外出もできず行動が制限されました。
これよりもはるかに大規模なオリンピック開催では、全豪オープン以上にコストをかけ、厳格なルールのもとで運営せざるを得ないと指摘されていました。ところが、「バブル方式」の安全性を過信し、ルール破りをする選手関係者を放置した結果、選手村も含めて150人近くの五輪関係者の感染が確認されました。外国人には厳しく出られない日本政府、組織委員会の弱さが露呈しました。
その「寛容さ」が逆にコロナ感染を拡大し、安全安心な大会を窮地に追いやることになるのですが、危機感は乏しいと言わざるを得ません。五輪が最後まで続けられるのか、終わった後にどれだけの感染拡大をもたらすのか、それが日本人の生活や命をとれだけ脅かすことになるのか。こうした不安が、素直に競技を楽しめない重しになっています。
選手にも負担
スポンサーが大事なのはわかりますが、米国でのスポーツ・シーズンの合間での五輪中継を優先したために、高温多湿な夏の東京での開催となり、テニスでは大坂なおみ選手も真昼の酷暑の中で1回戦を戦いました。ジョコビッチ選手など有力選手から、少しでも涼しい時間帯に試合時間を移して欲しいとの要望が出るほどでした。すでにアーチュリーの選手が熱中症で救急搬送されています。
そのうえ、放映時間を米国のゴールデン・アワーに合わせるため、競技の決勝時間が調整されました。このため東京では夜に予選を行い、午前中の決勝という変則時間をとる競技が多くなりました。これは選手のコンディション作りにも大きな負担を強いることになりました。
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