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結婚7年目に夫から「子どもつくろう」と言われ、「自分には望まないでほしい」と話してから悪夢に悩まされるようになった著者。それから3年後、新天地へ引っ越したことから、やっぱり子育てしたいと思うようになって……
<この連載について>
特別養子縁組とは、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。
そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、その後、親子になりました。この連載は、アンちゃんが大人になるまでの日々を感情豊かに綴った書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。
※厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
第1章 アンに出会うまで
「子どもをつくろう」という夫の発言に傷ついていた私ですが、やはり自分たちには縁がないことと考えていました。そんな私が養子を望むようになったのは、環境が変わったことが大きかったと思います。
結婚して10年近くは、夫の実家のそばにある舅名義の家に住んでいましたが、一大決心をして独立。ふたりで一戸建てを購入し、実家から離れて暮らすことになりました。
引っ越した先の新天地は、だれにも干渉されずに自由なところ。ここでなら子育てをしてみたいと思うようになったのです。
そんな暮らしの中で、あるとき夫が結婚して初めての長期出張をすることになり、週末以外は別居状態に。ひとり暮らしの経験もあるし、さほど心細くはありませんでしたが、夜中にふと目覚めたときに、とても寂しい将来がみえることがありました。
このまま、ふたりだけで同じような毎日を続けた先にあるのは?
いつか、親も同世代の友人も、夫もいなくなる日が来る?
そしてふいに「養子縁組」の言葉が頭に浮かびました。
自力で家を買い、きちんと税金を納め、とても真面目に暮らしているのだから、両親としてしっかりと赤ちゃんを育てることができるんじゃないかな。もしも家庭に恵まれない赤ちゃんがいるのなら、その子の親になってみるのも、生きた証として経験として、いいかもしれない。私が真夜中に感じる空虚さを満たすには、子育てという大事業が必要なのかもしれない。
結婚11年目にして夫婦としての自信が、やっと芽生えた頃でした。このときも子どものいない寂しさは、もともといないのだから、あまり実感としてはなかったです。でも、ふたりだけの生活を享受するだけで一生を終えるのでは物足りないという気持ちでした。
自分の中でよくよく考え尽くしてから、夫に相談しました。老後の頼りにとか、跡取りだとかは度外視して、とにかく育てることを楽しみ、成人したらその子の人生を歩いてもらえばいい。ふと思い立ったとき、「元気にしてる?」と、電話をかける先があるだけでいい。大変なこともたくさんあるだろうけど、ほかの人たちができるのだから、血のつながりがなくても子育てはできるはず。
こうして文章にすると、なんだか大げさになりますが、単純に言えば、「子どもを育ててみたい! きっと楽しい!」ということでした。
子育てへの期待と夢想でいっぱいーーそんな私の様子に、夫の反応はとても前向きでした。
「女性のほうが長生きだから、ひとり残されたら寂しいだろうと思ってた。子育てをするなら、年齢的にも早いほうがいいだろうから、養子のことを調べたらいい。仕事が忙しくて育児はあまりできないだろうけど、経済的に支えられるよう頑張るから」と。
この言葉を聞いて、この人と結婚したのは大正解だったと再確認したのでした。
特別養子縁組をしただけの普通の家族の話
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