クールジャパンの正体 紅白歌合戦化していた東京オリンピック開会式

文=平河エリ
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写真:ロイター/アフロ

連載「議会は踊る」

 開会式直前の前回記事で私は、オリンピックは「巨大な内輪の敗北」を象徴すると書いた。実際に開会式を(一応はじめから終わりまで)見て、その論評は残念ながら正しかったと言わざるを得ない。

 実際に出演されていた方々の熱演には心打たれるものがあったし、様々なゴタゴタがあり、無観客に切り替わるなど災難続きの中で「まとめた」現場の方々のご苦労には心から敬意を払いつつも、私は「紅白歌合戦みたいだな」という感情を抑えることが出来なかった。

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クールジャパンの正体 紅白歌合戦化していた東京オリンピック開会式の画像2 ウェジー 2021.07.25

紅白的なオリンピック

 紅白歌合戦にはビジョンがない。「あ、次はこの演目なのね」と流れるコンテンツをダラダラと見て、この一年の怠惰な自分に思いを馳せるのが紅白である。演歌の次にアイドルが来て、その次に往年のポップソングが流れる。紅白はそれでいいのだ。

 しかし、オリンピックの開会式というのは、本来その国の未来を示し、ビジョンのもとでディレクションされた、ソフトパワーの集大成となるべきショーのはずだ。

 全体として何を伝えたいのか明瞭ではなく、時々出てくる芸能人に沸き立ち、演出はどこか小劇場的で、史上最大の予算を伴ったオリンピックとして期待した「すごい」ショーはどこにもなかった。

 もちろん、開会式自体の開催が危ぶまれる中で縮小せざるを得なかった部分はあるだろう。それでも、やるからにはすごいものが見たい、というのが人情である。

五輪とゲーム音楽

 そんな五輪の中で(インターネットが)最も盛り上がったのは、おそらく各国の入場曲として「ゲーム音楽」が使われたところではないだろうか。

 とりわけフィーチャーされていたのは、ドラゴンクエストの「序曲:ロトのテーマ」である。他にも、ファイナルファンタジーの「勝利のファンファーレ」やニーアの「イニシエノウタ」などが採用された。

 任天堂作品が使われていないことの理由は定かではないが(一部報道では、もともと任天堂楽曲が使われる予定だったというが)、「ゲーム音楽」と聞いて、全世代が幅広く認識できる音楽は、ドラゴンクエストの「序曲」とマリオシリーズの「地上BGM」くらいだろう。

 その意味で、ドラゴンクエストシリーズの「序曲」が採用されたのは(社会現象となった「ドラゴンクエスト3」の楽曲であることも含め)、国内向けの選曲としては、妥当なところだ。

クールジャパン?

 このゲーム音楽の選挙については「各国選手団の入場行進曲は、日本のカルチャーで世界中で愛されているゲームのテーマ曲が選曲された(日刊スポーツ2021年7月23日)」など、いわゆる「クールジャパン」の一環であるという文脈で報じられている。

 「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」という2つのゲームタイトルは、日本において並び称されるRPGの2大タイトルであるが、実は海外の知名度には大きな差がある。

 海外においてJRPGを広めるきっかけとなったのは「FF7」である。FF7はその美麗なグラフィックで世界を魅了した。以降ファイナルファンタジーシリーズは、北米において安定したセールスを誇り、最新作の「FF15」でも、ミリオンセラーを記録している。

 対して、ドラゴンクエストシリーズは日本においてはFFを凌駕する売上を誇るも、北米での売上は伸びず、最新作のDQ11でもミリオンセラーには遠い成績だ。

 それがIPとしての質を決めるわけではない。鳥山明人気と相まって、DQは日本において広く人口に膾炙している(私はFFはクリアしたことはないが、DQ11はクリアしているので、一応DQ派である)。

 しかし、ドラゴンクエストシリーズの曲は、日本人(主に25-55歳くらい)にとっては嬉しくとも、大半の海外の視聴者にとっては「知らない曲」でしかないのも事実である。

 もちろん、3兆円も払って開催しているオリンピックである。わざわざ海外の視聴者を楽しませる必要はなく、日本人が喜べばいい。そういう感想もあるだろう。

 しかし、その「日本人向け」の演出を「クールジャパン」「世界で愛される日本のコンテンツ」とあたかも海外向けかのように呼ぶのは、明らかに間違いではないか。

クールジャパンの本質

 私はここに、クールジャパンの本質を見る。クールジャパン戦略は「マーケットに合わせたコンテンツを輸出する」のではなく、「海外で話題だ、というハクをつけて日本人を喜ばせる」ために存在していたのではないか。

 今も現役のFFやモンスターハンターといったIPはともかく、グラディウスは1985年、クロノ・トリガーは1995年発売のタイトルである(続編やリメイクはそれぞれ出ているものの)。そう考えれば、「懐古主義」との批判は免れまい。

 紅白であれば、好きにすればいい。90年代ドラマメドレーだろうが、ゼロ年代アニソンメドレーだろうが、盛り上がれば何でもいいのだ。

 しかしこれはオリンピックである。日本の文化のショーケースであり、「クールジャパン」の総決算だったのではないか。

 海外で知名度がないものを使うのはいい。しかし、そこには文脈が必要だ。

 ジャンルも年代も海外での知名度もバラバラのゲーム音楽を延々流されても「愛がない」との印象以外は湧いてこない。お茶の間が「この曲が出てきた!」と盛り上がるのは紅白だけでいいのではないか。

 とはいえ、様々なゴタゴタの末に大きな破綻なく開催されたのだから、それは良かったと言ってもいいのかもしれない。

 本来は8年間の準備期間があったということはこの際忘れよう。素晴らしく「クール」だった(マリオ、キティ、キャプテン翼など、海外で人気のあるIPばかりが選ばれていた)リオオリンピックでの演出のことも頭から消し去ろう。

 私は開会式を見て、猪瀬直樹元東京都知事は正しかったのだ、と考えざるを得なかった。東京オリンピックは、世界一カネをかけていない五輪である。

 五輪そのものにかかった金は、少ないのではないか。つまり、どこかに消えてしまった金のことを考えなければ「値段相応」のオリンピックであると言える。

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