今の日本政府は「男社会」そのもの 『さよなら、男社会』が紐解く性差別と思考力の停止

文=エミリー
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 新型コロナウイルスの感染拡大とその長期化によって多くの国民の命や生活が脅かされていても、権力者である「政府」によって一番に優先されるのは、権力を持つ人たち(それは富と権力を持った政治家や大企業)の利権を守り維持することになってしまっている。

 だから、崩壊寸前である医療現場の状況や国民の反対の声を無視して強行的にオリンピックを開催するし、その結果さらに感染者が爆発的に増えても、それを“ワクチンも打たずに”(予約が取れず打てない人が大勢いる)“外を出歩いている”(在宅勤務が出来ない人も多い)若者のせいにし、十分な補償や対策も提案しないまま、国民にさらなる「自粛」を要求し、感染者には事実上の放置とも言える「自宅療養」を言い渡す。

 そんな状況になっても、政府や都は自らの対策の不十分さを絶対に認めず、オリンピックの開催も頑なに中止しない。ましてや国民の批判の目をそらし、次回の選挙で勝利して政権与党であり続けるために、オリンピックを利用することさえする。

 そこには、国民を守り、この国を良くしていこうというような理想や矜持はまったく感じられず、ただ権力を失わないことだけに執着し、責任も負わず、適切な判断もできないような、なりふり構わぬ愚かさばかりが目立つように思う。

 このまま「男社会」の在り方やルールを容認し温存していったら、もはや性差別の問題にとどまらず、権力者(政府)が権力や利益を維持し続けるために、支配される側である国民はいいように利用され、搾取され、切り捨てられるようになっていってしまうのではないだろうか。現に今、私たちは命や生活の危機に晒され続けているのだから。

 これ以上「男社会」から犠牲にされる被害者を増やさないためにも、権力者たちにこれ以上身勝手な振る舞いをさせないためにも、まずは「男社会」という、社会の中に構造化された価値観や仕組みについて知り、そして感じ、考え、判断することのできる力を自らの手に取り戻す必要があるのではないだろうか。

 今ある社会の構造や価値観を変えていく、というのは、あまりにも途方もないことに思えてしまう。しかし、著者が大人になるまでの間に、どのようにして自分が「男性」であると気づき、男性らしさを身につけていったかという過程を見ていくとわかるように、「男性性(男らしさ)」や「女性性(女らしさ)」というものは、人が元来生まれ持った性質でもなければ、何か大きくて決定的な出来事や体験があったというわけでもない。

 むしろ日々の生活の中で日常的に触れる、親や教師や友人やメディアから発せられる何気ない言動の積み重ねの中で、知らず知らずのうちに影響を受け、身につけ、それが当たり前のものであると思い込むようになってしまうものなのだ。

 だから、多くの人にとって苦しく有害である「男社会」から脱却していくためには、男性たちだけでなく女性たちもまた、自分の子どもや身の回りで接する子どもたちに、「男らしい / 女らしい」言動や考え方をするよう促してしまっていないか、他人に対して、無意識のうちに「男らしさ / 女らしさ」を求めてしまっていないかを今一度振り返り、これ以上「男社会」の構造や価値観を強化することに加担してしまわないよう、注意していかなければならない。

 一つ一つの言葉や体験の積み重ねがその人の価値観となり、そんな価値観を持った一人一人の集合体が社会であるからこそ、社会を変えていくには、一人一人の意識や価値観を地道に変えていく必要がある。まずは自分自身が気づき、意識を変え、よりよい方向へと向かう着実な一歩を踏み出していくためのきっかけとして、ぜひこの本を読むことをおすすめしたい。

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今の日本政府は「男社会」そのもの 『さよなら、男社会』が紐解く性差別と思考力の停止の画像2 ウェジー 2021.07.23

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