ルームシェアは社会運動 京都でシェアハウスを運営するホリィさん

文=藤谷千明
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 ルームシェアという生活形態はまだまだ少数派である。家族に色々な形があるように、ルームシェアにも様々な形がある。とはいえ、それぞれのシェア生活の経緯もルールもバラバラで、「家族ではない」からこそのコツや知見が蓄積されているように感じている。本連載は、そんな「それぞれのシェア生活」の知見を共有するのが目的だ。

 私はオタクのアラフォー女性4人でルームシェアをしている。ほどほどの距離感で快適に暮らす日々を綴ったWEB記事や、エッセイ『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)を昨年上梓したところ、「新しい形の人間関係」的なテーマの取材を受けることも増えた。そんな中でとある編集者の方から、「藤谷さんのルームシェアは“運動”ですね」という感想をもらったことがあった。「運動」というとデモや署名などの、もっと能動的なイメージを持っていたので、その感想は意外に感じたのであった。そしてその後、たまたま実際にシェアハウスやルームシェアを、ひとつの「運動」として捉えている人もいるという話を耳にし、実際に取材を行うことにしたのであった。

第3回 京都でシェアハウスグループを運営するホリィさん

 ホリィ・センさん(@holysen)は京都在住の大学院生。京都大学の学生やTwitterのフォロワーなどに呼びかけ、「サクラ荘」というシェアハウスグループを作ったのは2015年のことだ。

「もともと活動していたサークルに、人間関係に悩みを持った人や生きづらさを抱えた人が集まるようになったんです。そういう人と接しているうちに、親との関係が良くない人が多いことに気づきました。それと同時に、家族社会学を学ぶなかで『家族』という制度自体に限界があるのでは? と感じるようにもなって、彼ら彼女らの問題を解決するには家族とは別のコミュニティが必要なのではないかと考えるようになりました」

 その条件を満たすのが、シェアハウスという形態だった。

 現在「サクラ荘」グループは、京都市内に6軒ほど賃貸物件を借りており、ホリィさん自身も家賃14万円の6DKの一軒家で8人暮らしをしている。庭でニワトリを飼っていたり、今流行のシーシャを導入したり、楽器演奏を趣味とする者がいたりと、ホリィさんの話を聞いていると、それぞれの趣味嗜好が反映された、個性豊かで楽しそうな暮らしぶりが伺える。

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 当初は6人で暮らしていたが、時期により人の増減もあり、現在は一部屋2.5万円前後で、部屋ごとに家賃に傾斜をつけているそうだ。賃貸のルームシェア、シェアハウスというと、大家が住民の入れ替わりなどを理由に嫌がる傾向もあるのだが、ホリィさんらの住む物件の大家にはそれを了承してもらっているそうだ。

 気になるのは、「親との関係が良くない」人たちにとって、家族に連帯保証人を頼むのはハードルが高いのでは、という点だ。ちなみに、私の場合、親との関係はとくに悪くないが、すでに引退しており保証人になれないので、関係の悪くない妹に連帯保証人を頼んでいる。ホリィさんもやはり、「ほぼ全員が親との関係が良くなく、一人だけそうでない人の親に保証人をお願いした」とのこと。現在の賃貸契約において、「家族」という制度が、いかに重要視されているかよくわかる。

 シェアハウスやルームシェアは、人数が増えるとお金まわりのことも煩雑になりそうだが、そのあたりはどういう仕組みにしているのだろうか?

「家賃に加えて、光熱費は毎回折半、ほかには共益費を一部屋2000円に設定しています。最初の入居者だけが初期費用を支払うのは不公平です。なので新しく入居する人には一律で3万円を支払ってもらい、さらに共益費をもらっています。ただ、その他のお金まわりのことは、そんなに明文化していないですね。過去に2カ月くらいの滞納はあったけど、そのくらいならなんとかなりますし」

一方的な「ケア」の関係は続かない?

 ホリィさんのシェアハウス運動の動機のひとつに「生きづらい人が集まるコミュニティを作りたい」というものがあった。私自身がルームシェアを始めるときには、「(経済的だったり精神的だったり)弱い人」同士が集まってしまうと、最終的に共倒れになってしまうリスクがあると考え、自分含めて「ある程度経済的、精神的に自立した人」に声をかけたという経緯がある(もちろん、得意不得意なことは当然あるので、それぞれ補い合ってやっているのが実情だが)。「『弱者』の連帯」は成立するのだろうか?

「僕はこれまで3つのシェアハウスに住んでいます。一番最初に住んでいたときは、サークルクラッシュ同好会の延長線でやっていたので、むしろ生きづらい人を積極的に選んで暮らしていました。僕はそういう人のことが好きなんですけど、暮らしていく上で少し疲れてしまったし、他の人はもっと疲れていたと思います」

 シェアハウスは当事者の互助会ではないということだろうか。

「生きづらい人を排除したいわけじゃないけど、一緒に住むのは相性があるというか。

 サクラ荘とは別に、生きづらい人を集めてなんとか生きて健康になるのを目指すシェアハウスに関わっていた時期もあるのですが、そこでもトラブルが多くて。そういう人にとってシェアハウスが助かるかというと、人や相性にもよるんです。結局揉めまくった結果、誰かが出ていくことも何回かあって……。生きづらい人を集めるシェアハウスを否定するわけではありませんが、サクラ荘ではお互い損しない範囲でやっていこうということで、あまりにも大変な状態の人は、入居を断ることもありました。今はシェアハウスも6軒あるから、場合によっては、どこかの家の空気が合わなかった人が別の家に移るみたいな例もありますね」

 例えば、「生活力」が0.7程度の人間が集まっているケースと、1.2と0.4のケースでは、それぞれの負担が変わってくる(得意不得意がバランス良く分かれている場合、あるいは家事を任せる分多めに家賃を負担するなどの折衷案がはかれる場合もあるが)。先述したような「自立」というか、「生活力」と呼ぶべきものがある程度均等でないと、誰か一人を他の全員がケアするような状態になり不平等感をつのらせれば、長続きしないのではないだろうか。

「ケアすることを、他の全員が合意しているなら、それもありだと思います。子育てを全員でシェアするような共同生活であれば……。そうでない場合は難しいでしょうね」

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