見えざる住まいの境界線
伏線的にも張り巡らされた本作の主題を整理するならば、ひとまずは、「住まいと境界」そして「契約とトラウマ」とまとめられそうである。
まずは「住まいと境界」について見ていこう。
冒頭のキャプションで説明されるのは、「グレートマイグレーション」と呼ばれる1916年頃に始まる黒人大移動である。これは、それまで黒人の多くが住んでいた南部諸州から東部(ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCなど)、中西部(シカゴなど)や西部(ロサンゼルスなど)へ600万人もの人々が移住した現象である。それ以前には全黒人人口のなんと九割以上が南部に住んでいたというのだから、「接触」の衝撃も想像に難くない。南北戦争後が終わり制度上の「奴隷」はいなくなったが、ジム・クロウ法と総称される人種差別法が残った南部州で苦しむ黒人たちは新天地を求めた。
主人公一家は移住して「住まい」を持つが、これは舞台となる1950年代という時代に強く紐づいたモチーフだ。白人の中産階級の多くが郊外に建売の家を買って「幸せなホーム」を有すことが可能になったと信じられた、すなわち「アメリカンドリーム」の時代である。しかしその裏には、繁栄の灯火に犠牲の薪として捧げられた黒人たちがいた。
家を買う契約書に「黒人はお断り」の記載がある。しかし、黒人移住を開発の道具にしたい不動産業者の企みもあり、主人公一家は“契りを破って”引っ越してくる。公民権運動によって法的に正式な公民権が黒人に与えられる前の時代で、当時は公共施設を分けることが適法だった。そんな時代に、エリート技師として社会地位を高め経済的に成功した黒人が、“境を超えて”移り住んでくる。
中産階級の白人たちにとってさえも、家を持ち「何者かに成る」道の兆しがついこないだ見えてきた、そんな矢先である。世間(neighborhood)のマジョリティである白人たちは、黒人が一人移り住んできたら、地価が下がり治安が悪化する、黒人たちの移住は続く……と懸念する。やっと手にした幸せな暮らし、「アメリカンドリーム」の崩壊を恐れるのだ。
突如移り住んできた黒人一家に対し、女性は日々狡猾な嫌がらせを計画し、男たちはガレージで毎晩ホモソーシャルな集会を開いて恐喝の手段を模索する。深夜のうちに軒先に首吊りを連想させる大量の人形を吊るしたり、庭の芝生を焼いて「黒人専用」と書いたり。この描写もホラー的だ。こうした陰湿な方法で「白人地区」が守られて作られるのが、人種的自由が法的に認められた後の「実質上の隔離(de facto segregation ※一般には単にセグリゲーションと呼ぶ)」と呼ばれる構造である。「区別」は「差別」として固定化される。(「幸せなホームのアメリカンドリーム」に縛られた「白人女性」と「白人男性」の苦境も本作は描いているが、それはまた別の話)
差別を背景に生まれる「隔離」状態は、住まいに留まらない。住居における「越境」が始まった時代に、白人社会に入ることができた黒人とは教育の機会に恵まれたものだけだ。秀才の長女ルビーも転校先の白人しかいない高校で、他の生徒が答えられない先生の問いに「ディキンソンの作品です」と明晰に答える。しかし周囲は猿の真似をして彼女をからかい、教師は彼女が授業妨害を行なったと処分をする。このシーンの前年1954年に下されたブラウン判決は公教育での分離を違憲としたが、このように、その後も教育現場の「隔離」状態は続いたのである。
本作は人種主義の残酷さを見せながら、世界が変革する困難を描く。「弱きもの」が「見えざる境界線」を越えたときはいつでも、線を引き合う闘争に巻き込まれ葛藤させられるのである。
「彼ら」に埋め込まれた「トラウマ」と「契約」
本作の主題のもう一つの極が、「契約とトラウマ」である。
シーズンタイトルの「契約(Covenant)」は、聖書では「神と人との約束」を意味する言葉だ。同じ契約でも“contract”は、不履行の可能性も前提されて価値判断を含まない(つまり、ある意味カラッと破ることができる)。一方こちらは、破る“べき”ではない約束、形而上・精神的な価値判断が含まれる言葉である。
この物語は「ルール」や「線引き」という境界を越える話であり、法律で明文化されない“破られざる”見えない契約の恐怖にも焦点を当てている。「こうあるべきだ」という心の境界は、法を変えてもそう簡単に変わらないは既に見た通りだ。
心のありようとして繰り返されるモチーフが、主人公たちが抱えるトラウマである。父ヘンリーのそれは、戦争時に行われたガス兵器による人体実験で植えつけられた。母ラッキーは、白人至上主義者たちにレイプされ、その上我が子を目の前で惨殺された事でトラウマを抱えている。
彼らは、住まいを持ち健康に暮らす事を阻まれただけでなく、心を健全に保つことさえ許されない環境に置かれているのだ。パイのシーンは視聴者にもトラウマ的印象を与える。ガスのトラウマからヘンリーはチェリーパイに異様な吐き気を催す。それは普段紳士的な父が豹変して愛娘にパイを投げつけてしまうほどだ。
それほどまでに、「食べられない」のである。「住」に加え、「食」という生きる術まで奪われている。ここでは心と身体は一体のものであって、心身ともに健康である権利が奪われている事が示唆されている。
人々を蝕む「黒人のトラウマ」は、コンプトンというこの西部開拓地の歴史そのものに根ざしている。核心に触れる点は伏せるが、シーズンタイトルと同じ「契約」と題したエピソードでそのことが明かされる。
神の名の下に黒人を蹂躙した牧師は、「先に痛めつけ殺さなくては自分達がやられる」と主のお告げを聞き「契約」すなわち、神との破られざる約束を交わす。黒人を犠牲にすべきという「信念」と白人の被害者意識が生まれ落ち、この土地の記憶に埋め込めれた瞬間である。特定の人種を踏み台にして「正しい社会」を作れなど悪魔のささやきそのものだが、その通り、牧師は亡霊に堕ちていく。
オカルト・ホラー的に描写される「亡霊」とは、「黒人の心」と「アメリカ社会」二つの領域の憑き物が具現化したものなのである。健全に生きる事を阻害するトラウマとは、アメリカの歴史で黒人が背負わされた「亡霊」であり「原罪」なのだ。
アメリカの歴史において黒人は、心身を健全に保つ権利を奪われてきた。それは現在にまで社会構造に埋め込まれ、生まれた人々の居場所であるべきこの地の成り立ちに遡れるほど根が深いものでもある。この国の黒人は、健全たるための「居場所」を奪われ続け、それは聖書によって彼らの「心」とこの地の「歴史」に埋め込まれた。作品名が示すとおり、根本的に『ゼム=彼ら=彼の地の人々』なのだ。浮かび上がる本作のもう一つの主題である。