お化けと差別に背筋が凍る ドラマ『ゼム』が描く住まい・契約・トラウマの人種主義

文=小森真樹
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ブラックフェイスが「白人への怒り」として現れる

 さらに本作は、「トラウマ」とも呼びえない、黒人が白人社会に邂逅していく際の心理的なアイデンティティ、言い換えれば、心がどのようにコントロールされるのかという繊細な点に切り込み、それをホラー表現に置き換えて描いている。

 ここでいうコントロールとは、何も洗脳のようなものではない。白人中心に作られた社会構造の中で生きていくときに、自己のあり方をどのように確立するのかを、“黒人の側が”悩まされるという問題である。人種が交わり共存する際の対処さえも、弱者に押し付けられている側面がある。本作が秀逸なのは、この極めて繊細な問題を、史実に根ざした非常にコントラバーシャルなアイコン「ブラックフェイス」で大胆に表現した点だ。

 ダ・タップ・ダンスマンは、顔を黒塗りして分厚い唇をメイクで描き黒人のステレオタイプで装ったキャラクターだ。ブラックフェイスと呼ばれる、19世紀白人が黒人の特徴を侮蔑的にコメディ・ショーにした文化ミンストレルショーの舞台化粧の様式である。現代アメリカ社会ではタブー中のタブーであり、ジム・クロウ法はそのキャラクター名に由来する。「奴隷制度下でも呑気に幸せに暮らす黒人」と一見毒気のないものも、これもまた白人が史実を曲げ、自分たちの主流文化に都合よく黒人を利用したという点で、明白に人種主義的なものだ。

 白人が黒人を演じる行為がどのくらい邪悪かというと、古典映画『國民の創生』(1915)の一件が有名だ。KKK(クークラックスクラン)を、黒人悪漢から白人女性を救うヒーローとして描き、それも白人がブラックフェイスで黒人を演じたのだ。KKKとはいうまでもなく愛国主義・白人至上主義思想から黒人やユダヤ人をリンチし続けてきた団体だが、この映画史に残る作品の影響力によって、一時は衰退した組織が全国的に復活。2010年代後半でさえその人数は分かっているだけでなんと3000名を超えるというのだから、ブラックフェイスは単なる差別に由来するアイコンではなく、極めて邪悪で罪深いものなのだ。スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』や、KKKが合流した現代のネオナチの姿を描いた『スキン』も然り、タブーを描いてまでこうした作品を現在作る意義とは、こうした人種主義がまさに今起こる問題であると忘れないという点にあると思う。

 『ゼム』は、これをホラー表現の系譜に位置づけて昇華している。ダンスマンは、主人公ヘンリーの心理描写で現れ、道化師の振る舞いで彼に語りかける。スティーヴン・キングの『IT』のペニーワイズは、子供たちの「恐怖」を具現化したものだ。現実社会でも「道化師」がシリアルキラーの一様式という認識も広めた(し、なんと多くの州で公共空間の集会でピエロ衣装を禁じる法律ができたりもした)。ダンスマンもまたヘンリーの心がある形で揺さぶられた時に現れる。その感情とは、「白人への怒り」である。

 ダンスマンの初登場は、ヘンリーがテレビを買いにきたとき。白人店員がリップサービス的に話しているうちに、うっかり「山ほどいるいとこ達が遊びに来ますよ〜」とこぼす。これは「おじさん」「おばさん」と同様に、実際の血縁出なくても血縁の語彙を使う用法で、「ブラザー」がよく知られるがアメリカ社会では「いとこ」という言葉にもそのイメージがある。ここでは白人が黒人ステレオタイプに触れたことから、微妙な空気になる。その背後に映るテレビで時代錯誤なミンストレルショーが放映され、つまりヘンリーの心理描写としてダンスマンが登場する。ヘンリーがチップを店員に手渡して「おたくも山ほどいるいとこにアイスでも」とうまく切り返して怒りを抑えると、ダンスマンはなんとか消える。

ホワイトフェイスという「心の中の白人」と戦う

 しかしその後も度々ダンスマンは登場し続ける。ヘンリーが、白人社会で白人への怒りを飲み込んで生きているからだ。ダンスマンは白人に刃を向けるよう甘い言葉を囁くが、ヘンリーは何度も拳を上げかけ、踏みとどまる。経済や教育水準が卓越した状況に身を置くことができても、その上さらに、文化でさえも主流である白人社会に合わせることでしか「同化」は認められないのである。

 振る舞いが内面から矯正される。これは、白人に都合の良い「黒人」を演じないければ、まともに言葉を聞かれさえしないと分かっているからだ。それを示すように、次女グレーシーは両親に黒人的な表現ain’tを標準語的なdon’tに矯正される。こうした「声の矯正」場面が度々描写される。

 母ラッキーは、亡霊――社会に埋め込まれた黒人阻害の象徴だ――に取り憑かれ、折に触れ独り攻撃的な行動に出る。そのことで「狂人」とみなされ、しまいには精神病院に収容され、そこでは「治療」という名の下に隔離され、薬殺されかける。これは、差別的なルール自体を変えようと抵抗しても暴力を伴った途端に「犯罪」とされ、支配層が決める“常識”からずれれば「狂気」とされ、「逸脱行動」として弾圧・管理される、そんな現実の写し絵だ。

 この状態が続くと、支配される人々はどのような行動に出るだろうか。長女ルビーは高校でいじめを受け、黒人らしさがなければ彼らと同じになれる、「白く」なれれば楽だと、白いペンキを顔に塗りたくってしまう。

 これは、ダンスマンがヘンリーに囁く怒りの裏返しだ。白人社会に接触した黒人は、「内なるホワイトフェイス」と戦う必要に迫られる。心を「白く」しなくてはと思わされるという最大級の侮蔑的状況を、白人が黒人を演じて差別を強化した「ブラックフェイス」の歴史の裏側として描いているのだ。

 牧師の亡霊、老婆、ブラックフェイス――これらはアメリカに巣食う人種差別の「妖怪」たちなのである。

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