さて、「妖怪」は「楽しむ」ものか?
背筋も凍る描写で背筋も凍る社会を描く本作には、大変嫌な気分にさせられる。だが、気持ちが引き裂かれるような、もう少し微細な感覚も残る。数々描かれる残忍なヘイトの現場を目撃し、こんな恐ろしいことが、しかしホラーで怖がりたい、でもこの恐怖とは黒人の悲惨な歴史そのものではないか、これを楽しんでしまっていて良いのか、苦境を娯楽として消費するモラルに反する行為ではないか……などと、モヤモヤしながら見終わった。
現実に解決されていない社会問題をエンターテインメントにして良いのだろうか? どうすればそれを表現することが許されるのだろうか? あまりに悲惨でリアルな心理描写に、特に当事者でない筆者には、「妖怪を楽しんで良いのか」の問いに、なんらか答えを出す必要を感じた。筆者のひとまずの答えは、最大限表現の自由は守られるべきではあるが、誰がどう観るのかを作り手は十分配慮し、ゾーニングなどの方法で見せ方についても善処するべきだ、というごくありふれたものである。
本作はAmazon Primeの制作による。NetflixやApple TVなど配信サービスが制作も担うことで、主題が先鋭化し描写にも自主規制がなくなり(ゾーニングしやすい)、エンターテインメントでの表現の自由度が増している。他方で、流通の面でも言語や地域の壁を超えやすくもなった。これは、社会的・歴史的な背景を共有していない人々にそれらが届く状況が生まれたということでもある。日本にいる私たちに届いてしまう、そんな環境だからこそ、「差別」を「消費」していると認めて、その背景についても学んでおきたい。
本作はアメリカではあまり評判が良くない。「映像化による二次被害のリスクをとってまで黒人のトラウマを描くほどの意義があるのか」「演出で特に子役に配慮しているのか」など倫理的な批判があり、特に黒人の残酷描写が、「白人中産階級向け」の「黒人トラウマのポルノ」と辛辣に切られた。プロデューサーのリトル・マーヴィンの来歴や階層と結びつけて「彼は当事者として語る権利があるのか」との批判も聞いた。主題を詰め込み過ぎた事や複雑な編集は、本稿で見た主題・奥行きを見えにくくしたのも失敗だったかもしれない。彼らにとって、『ゼム』は「線を越え」てしまったようである。ここにも一種御しがたい「契約」がある。
「ゼム」か「アス」か? ホラーによる社会批評の地平
ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロを挙げるまでもないが、ホラーやオカルトジャンルのエンタメは、鋭く社会を批評するソーシャルコメンタリー表現の土俵となってきた。(少し昔であれば「社会派」と呼ばれたようなジャンル)反レイシズムへの意識の高まりを受けて近年では「黒人史」の視点からの佳作が目立っている。1921年オクラホマ州タルサでの黒人ウォール街の大惨殺事件を描いたリブートドラマ版『ウォッチメン』や、同じく1950年代白人地区に家を購入した黒人の悲劇が、実話のエメット・ティル少年リンチ殺人事件と交差して描かれた『ラヴクラフト・カントリー』(三話は、「何日目……」という演出までそっくり!)などなど多数。『ゼム』はこの流れにあるが、本稿を踏まえて見比べるのも面白いと思う。
特に、人種主義に対する社会批評という文脈においてジョーダン・ピールの貢献は大きい。上に挙げた『ブラッククランズマン』『ラヴクラフト・カントリー』のプロデュースや『ゲットアウト』『Us』(『ゼム』の長女ルビー役のシャハディ・ジョセフも出演)の監督として知られるピールは、人種ネタで知られるコメディアン「キー&ピール」でキャリアを培ってきた。彼の才能は、映画界では人種問題を風刺エンタメ化する一種の王道のようになっている。『Us』は、黒人一家が見た目がそっくりのドッペルゲンガー/クローン人間に襲われるホラー。ピールによれば、この世の中は誰かの犠牲に立って成り立っている事や、強者はなかなか気がつけない特権について批評したもの。Usとは、「私たち」と同時に「アメリカ合衆国」の略称でもある。
エンターテイメントが同時にソーシャルコメンタリーであることが、マイノリティの視座から自分が置かれた足場を理解し直す一歩とならないだろうか。しかしそこでは、何に配慮しながら表現をし、楽しむべきなのかが常に問われるべきである。黒人の視点から見たこの世界を、「アス=私たち」と見るか、「ゼム=彼ら」と見るか。日本にも巣食う「妖怪」を退治するための作品として観たい。
参考資料
折口信夫「夏芝居」『折口信夫全集 第十八巻』折口博士記念会編、1955年。※青空文庫でも公開中。
Carol Stack. All Our Kin: Strategies for Survival in a Black Community. 1974.
Harriet A. Washington. Medical Apartheid: The Dark History of Medical Experimentation on Black Americans from Colonial Times to the Present. 2008.
“Reports – The State of the KKK in the U.S.” ADL. 2016
Lovia Gyarkye. “‘Them’: TV Review” Hollywood Reporter. April 8, 2021
Greg Braxton. “Media images of Black death come at a cost, experts say. And many viewers are fed up.” Los Angeles Times. April 19, 2021
Linda Villarosa. “Black Lives Are Shorter in Chicago. My Family’s History Shows Why” The New York Times. April 27, 2021
Terry Gross. “How Systemic Racism Continues To Determine Black Health And Wealth In Chicago” NPR. May 6, 2021