
写真:REX/アフロ
のりである。
おにぎりに巻いたりするアレの話ではない。菅義偉総理大臣が平和式典で読み飛ばした理由の話だ。
・首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし(共同通信2021年8月6日)
https://nordot.app/796351217012948992
総理の原稿は、のりのせいでめくれなかった……何を言いたいかよくわからないが、つまり、総理の責任ではないということらしい。
このことからいくつかわかることがある。
・総理大臣は、出された原稿を読んでいる
・特に前後の文脈は理解していない
・おそらく、事前に準備はしていない
誰か間違えて「私は総理を辞任します」という原稿を置いてみてほしい。総理は読んでしまうかもしれない。
問題は、これが総理一人の責任であるのか? という点である。
総理の会見を聞いていても、やり取りの意味が通じないことは少なくない。もちろん、総理自身の論理的思考能力や、コミュニケーション能力、あるいは発信力に問題があることは間違いないだろう。
そもそも、総理会見の質問の多くは通告されている。つまり、事前に官邸は準備が可能だったわけだ。にも関わらず、多くの質問に対して、十分な返答が得られていないところに、問題の本質がある。
例えば、総理の読み違いが多ければ事前に確認の時間をとるのも、本来は行政全体の責任であるはずだ。国民への発信が失敗する要因は、総理一人にあるのではなく、それをサポートする行政全体にあるのではないか。
朝日新聞の報道によれば、総理は新型コロナウイルスについて楽観的なシナリオを信じ込んでおり、それに反するデータに耳を貸していないようだ。
読み違いは些細なことかもしれない。しかし、
「総理、読み違いをするかもしれないので、しっかり事前準備しましょう」
「総理、記者会見の事前の質問に対して答えられるようしっかり準備をしましょう」
と言える人が周りに居ないとすれば、それは国家の危機につながる根深い問題なのかもしれない。
ところで、この件はほとんど世間の関心を読んでいないように見える。つまるところ、みんな金メダルに夢中で、数十年前に起きたらしき、原爆とやらの広島の平和式典などに興味はないのである。なんせ、あの公共放送のNHKが、原爆に関する番組の放送を取りやめるくらいだ。
そもそも、総理が何を言ったとしても、もはやそれは国民の大多数にとっては興味関心の範囲の外なのかもしれない。菅総理がオリンピックを開いたことで、誰も総理の言葉に関心を持たなくなったとすれば、これは官邸の勝利と言っていいのではないだろうか。