週1回の乳児院「赤ちゃんハウス」でのお手伝い

文=うさぎママ
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Gettyimagesより

 近所の人や友人、親の反応はそれぞれでしたが、うさぎママにとっては期待に胸ふくらむ幸せな待機期間が始まりました。そんなとき児童相談所のまーにいちゃんのアドバイスで週に1回、乳児院へお手伝いに通うことになります。

<この連載について>

 特別養子縁組とは、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。

 そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、その後、親子になりました。この連載は、アンちゃんが大人になるまでの日々を感情豊かに綴った書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。

※厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

第1章 アンに出会うまで

 赤ちゃんを待っているあいだに、児童相談所のまーにいちゃんの親切なアドバイスを受けて、週に1回「赤ちゃんハウス」に通い始めました。これは私たち夫婦がつけた呼び名で、一般的には「乳児院」と呼ばれる県内唯一の施設です。事情があって親と暮らせない2歳以下の子どもたちは、児童相談所を通して、この施設に託されていました。

 まーにいちゃんによると、「先着順で赤ちゃんを待機里親さんに託すわけではなく、双方の希望や状況で縁組がすすめられます。そのとき、赤ちゃんハウスの園長さんの意見が大きいんです。だから、勉強をかねてお手伝いに行っておくといいですよ」とのことでした。もちろん、行きますとも! 毎日でも! なんなら泊りがけでも!

 ともあれ、週1回の赤ちゃんハウス通いが始まりました。これまで着けたことのないエプロンを新調して、お母さんらしい雰囲気を出そうと気張っていた青臭い私。

 民間の乳児院である赤ちゃんハウスでは、園長先生のもと、明るいシスターや保母さんたち(現在の保育士さん)の愛情と献身的なお世話を受けて、20人ほどの赤ちゃんが元気に育っていました。

 子どもを預かる施設と聞いて、明るいイメージを持つ人は少ないと思いますが、私も最初の訪問までは勝手に暗いイメージを持っていました。でも実際には、とても明るい雰囲気でびっくり! 保母さんたちの元気な笑い声、骨身を惜しまぬ育児、洗濯係の女性まで一丸となって子どもたちを愛していました。

 赤ちゃんハウスでは、新しい赤ちゃんが来ると、ママ代わりの保母さんが決まります。1〜2人の赤ちゃんを担当して、普段のお世話はもちろんですが、お洋服を調えたり(休日に買いにいく予定を立てていた人も)、写真をアルバムに貼ったり(赤ちゃんの私有財産として大切に保管)、とても親身に親代りとなって愛情を注いで育てていました。

 保母ママさんがお休みの日には、ずっと機嫌の悪い子もいて、とても強い絆を感じました。「ほらほら、おいで!」とぐずる赤ちゃんをおんぶして、お仕事をされる姿も見ました。まだ、ベビーベッドでおとなしくしている赤ちゃんでも、手があくと5分でも10分でも抱っこして触れ合っていました。

 そうして座れるようになると、お食事タイムも大変。「2歳でよそに移るまでに、ひとりで食べられるように」と、どろどろのべたべたは覚悟のうえで手づかみの食育です。お風呂も壮絶でした。たっぷりの外遊びとおやつのあと、保母さんたちは腕まくり裾まくりでスタンバイ。20人の赤ちゃんを次々にお風呂へ入れて洗います。のぼせた保母さんが倒れてしまわないかハラハラしました。そして、午後7時には就寝。脱帽です。夏の午後7時はとても明るいので、カーテンを閉め、みんないい子で夢の国へ。

 「少しでも家庭に近い育て方を」をモットーに、赤ちゃんたちとほぼ同人数の方が、キリスト教の奉仕の精神で全力投球されていて、本当に心から尊敬しました。いろいろなことを学び、考えさせられた日々。貴重な体験をさせていただいて、今でも感謝しています。

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