世界最大の刑務所大国
アメリカは世界最大の “囚人” 人口を持つ刑務所大国だ。2010年、全米で約230万人が収監されていた。ちなみに日本の収監者数は約6万人。日米の人口差を考慮してもアメリカの刑務所大国ぶりがわかる。
膨大な収監者のうち、多数を占めるのがアフリカン・アメリカンだ。全米の人種別人口比率では12%を占めるに過ぎない黒人が、刑務所では33%となる。逆に全人口の60%を占める白人は刑務所では30%。それぞれの人口10万人あたりの収監者数を割り出すと、特に男性に大きな差があるとわかる。
・黒人男性10万人あたり:2,272人収監
・白人男性10万人あたり:392人収監

各国の人口10万人あたりの収監者数。色が濃いほど多い(2018)wikipediaより
3ストライク法
有罪となった者に「懲役25年から終身刑」という極度に厳しい刑を課す、通称「3ストライク法」と呼ばれる法がある。野球の三振同様、3回目の有罪でアウト、の意味だ。
殺人、レイプ、銃犯罪など重罪を犯した者に2つの前科があれば、それがたとえ軽罪であっても3ストライク法が適用される。逆に軽罪で逮捕された者に重罪による前科が2つあれば、その償いが済んでいる場合も同様に課される。
同法の有害性を訴える際に語られる、ある受刑者のケースがある。
1995年、カリフォルニア州の黒人男性カーティス・ウィルカーソン(当時33歳)は、ヘアサロンにいる恋人を待つ間、退屈してショッピング・モールに立ち寄った。買い物をした後、ふと目についた白いソックスを、手に持っていた買い物袋に入れた。
その瞬間を警備員が目撃しており、ウィルカーソンは逮捕された。ウィルカーソンは16歳の時に強盗の見張り役を2度おこなったことから逮捕、有罪となって懲役6年を務めており、ソックスの万引きによって3ストライク法が適用された。万引きしたソックスは、わずか2ドル50セントだった。
米国は1980年代にクラックと呼ばれる麻薬が大流行し、麻薬犯罪が爆発的に増えた。麻薬の密売だけでなく、密売組織間の抗争、密売人と警察の応酬が大量の殺人を招き、当時のレーガン政権は「War on Drugs」と称した麻薬一掃政策を繰り広げた。その一環として「100 to 1」と呼ばれる法が作られた。価格の安いクラックの使用者の多くが低所得の黒人であるとして、クラックの所持者にコカイン所持者の100倍の刑期を処す法だった。
【シリーズ黒人史10】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~クラック・コカイン
1950年代半ばから1960年代にかけて全米で公民権運動が起こり、その成果として1964年に公民権法が制定された。その前後にジョン・F・ケネディ大統領、マ…
その延長線としてビル・クリントン政権時代に連邦法に3ストライク法が導入された。それを受け、1990年代に多くの州に同法が取り入れられたが、カリフォルニア州が最も厳しい内容となっていた。2012年、同州は州民投票によって法を緩和し、3ストライク法は暴力犯にのみ適用されることとなった。ウィルカーソンも刑期16年の後に釈放されている。

カリフォルニア州サンクエンティン刑務所(2006)あまりの過密に最高裁は同州に収監人口を減らすよう命じた。wikipediaより
「有罪ではない」囚人~保釈金制度
原則的に、刑務所(プリズン)の収監者は何らかの罪で有罪となり、懲役刑を受けた者だ。留置所(ジェイル)は逮捕され、裁判を待つまでの者(容疑者であり、有罪ではない)が収容される。
2008年のデータでは全米で47万人もの「有罪判決を受けていない」収監者があり、全収監者の20%を占めている。
通常、逮捕後に保釈金の金額が決められ、払えば裁判までの留置を免れる。ただし逃亡の恐れがあるなどと判事が判断した場合は保釈金の設定はなされず、裁判まで留置される。問題となるのは、貧しさから保釈金を払えないケースだ。
近年、保釈金問題が注視されている。きっかけとなったのは、ニューヨーク市ブロンクスの黒人少年カリーフ・ブラウダーの悲劇だ。2010年、高校生のカリーフはバックパックを盗んだ容疑で逮捕された。家族は保釈金を払えず、カリーフは裁判を待ちながら3年間、留置所に留められた。その間、他の収監者と刑務官から激しい暴行を受け続け、2年間を独房で過ごしている。
逮捕から3年後、カリーフの起訴は棄却され、釈放となった。20歳になっていたカリーフは高校卒業資格を取得して大学に進むが、収監中に患った鬱を克服できず、自ら命を絶った。
■Netflix「投獄: カリーフ・ブラウダーの失われた時間」