なぜ『イン・ザ・ハイツ』の評価はわかれるのか ラテン系のステレオタイプと多様性

文=竹田ダニエル
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文化へのリスペクトに欠けるという批判

 本作を絶賛しているのはKarla Rodriguez氏だけではない。この作品はトライッベカ・フェスティバルの初日にワールドプレミア上映された直後から批評家から高い評価を得ていた。

 一方で、実際にワシントンハイツで生活する人々の人種を反映していないと、批判の声も多く集まっている。

 『the GW hatchet』の「“In The Heights” does a disservice to Latinx culture(”In The Heights “はラテン系文化に対して失礼だ)」 での批判を紹介する。

 筆者のKarina Ochoa Berkleyの主張をまとめると以下の通りになるだろう。

 作品の中でアフロ・ラテン系の人々や女性が重要な意味をもって登場しなければ、ブラウン系がアメリカ社会から排除されてきた歴史を描くのは難しいはずだが、『イン・ザ・ハイツ』では明らかにそれが見られなかった。一人のキャラクターをのぞいて主役の俳優にアフロ・ラテン系はおらず、またアフロ・ラテン系の女優たちは、ステレオタイプな、性的な描写で描かれていた。

 つまり、ミランダが描くラテン系の人物像は、目新しさのないアメリカ中心的な価値観に一般化されたものであり、白人コミュニティを楽しませるために、ブラウン系のコミュニティをエキゾチックにしたり風刺したりするようなものだ。こうした描写は排除と抵抗の歴史を消し去るものであり、「文化の盗用」を呼び起こす。

 以上、Karina氏が指摘する違和感や問題提起は、人種差別や格差などの社会問題を題材として扱っている映画だからこそ、向けられるべき妥当なものだと考えられる。ラテン系コミュニティのエンパワメントとして掲揚されている作品が最も抑圧されている当事者をさらに蔑ろにしたり、文化を軽薄に扱うようでは、実際に存在している苦しみを解消することは不可能だ。

 「学ぶ」ための手段として映画を観るのであれば、その学びの対象である異文化や人種に対して自分がどのような偏見を抱いているのか、自覚的になる必要がある。また、作品の中での「わかりやすさ」を追求するために根本的な問題を切り捨ててしまうのも、あまりにももったいないことだろう。『イン・ザ・ハイツ』に対する批判から学び、未来に向けて一歩進んだ観客の能動性が喚起されることが期待される。

肌の色の薄い人が活躍する世界

 この議論の中心は、「カラーリズム」という根深い問題にある。カラーリズムとは「肌の色が黒い人に対する偏見や差別のことで、一般的には同じ民族や人種の間で行われることが多い」とされており、日本国内での「美白」に対する執着や肌の色が薄い黒人が音楽業界で活躍しやすいことなどが例として挙げられる。

 Karina Ochoa Berkleyも指摘しているように『イン・ザ・ハイツ』においても、実際のワシントンハイツはアフロ・ラテン系が多数であるにもかかわらず、作品内で主人公を務めるほとんどの役者が肌の色が薄い、あるいは白い俳優ばかりなのだ。

 映画が公開された翌週、リン=マニュエル・ミランダは謝罪の文章をインスタグラムで投稿した。「私は、自分たちが作った映画に対する信じられないほどの誇りと、自分たちの欠点に対する説明責任の両方を保持したいです。忌憚のないご意見に感謝します。今後のプロジェクトでは、より良いものを作ることを約束します。また、多様で活気に満ちたコミュニティを尊重するために、私たち全員が学び、進化していくことに専念します」と述べている。

 アメリカで一般公開された後の週末にはこの作品とカラーリズムをめぐる議論がTwitter等で繰り広げられた。主な発端は、アフロキューバン人ビデオプロデューサーであるフェリーチェ・レオンが行ったインタビューでの監督や役者の発言だ。

「『In The Heights』が公開されましたが、多くの方がお気づきのように、この映画には主役の黒人ラテン系の人々が不足しています(ただし、黒人ダンサーやヘアサロンの黒人女性はたくさん登場します、おかしいですよね)。」

 彼女は「Representation」を求めているマイノリティたちの心境を代弁するように、「黒い肌のアフロ・ラテン系の主人公たちはどこにいるのか?」という質問を投げかけた

「レオンが受け取った答えは満足のいくものではなかった。

『キャストを検討する際には、その役に最適な人材を探しました』と監督のチュウは言う。彼は、美容院のナンバー “No Me Diga “でダンサーやエキストラとしてアフロ・ラテン系が登場していたことを挙げた。彼が提示したこの「最も才能のある者だけがこれらのキャラクターを演じるために選ばれた」という答えは、特に痛烈なものだ。というのも、カラーリズムの問題の一部は、肌の色が暗い人たちはそもそもチャンスを否定されることが多い。つまり、肌の色が薄い、あるいは白い俳優は、オーディションを受ける前から、肌の色が暗い俳優よりも多くの仕事を履歴書に書くことができるし、経験を積んでいる可能性が高い。肌の色が暗い俳優が傍流に追いやられることは珍しくない。

『In The Heights』は、ラテン系を多く作品に起用するという意味では一歩前進したかもしれないが、他の多くの人々を置き去りにしたままだった。また、有色人種の俳優を雇わない言い訳として、「その役に最適な人を起用しているに過ぎない」という言葉は、白人の映画製作者たちによって使われている歴史がある。」

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