戦後76年を迎え、戦争の記憶をどう語り継いでいくかが課題となっている。
戦争を体験した世代が続々とこの世を去っていることに加え、1年半以上にわたって続くコロナ禍により式典や催しが縮小・中止を余儀なくされた。
人と人のつながりが断たれているいま、記憶を伝承する手段として「本」が重要性を増している。
そんななか、『わたしたちもみんな子どもだった〜戦争が日常だった私たちの体験記〜』(ハガツサブックス)が出版された。この本は、18人の戦争体験者による証言を集めたオーラルヒストリーである。なぜこうした活動を始めることになったのか、著者の和久井香菜子氏に話を聞いた。

和久井香菜子
編集・ライター。70年代少女マンガを読んで育ち、フェミニズムの洗礼を受ける。著書に『少女マンガで読み解く乙女心のツボ』(カンゼン)、日本初のバリアフリーグルメガイド『首都圏バリアフリーなグルメガイド』(交通新聞社)企画・編集がある。視覚障害者による文字起こし事業、合同会社ブラインドライターズ代表。
戦争の教訓は現在にも活かせる
――どうして戦争の証言を集めるようになったんですか?
仕事の関係で特攻隊について取材する機会があったんです。
そこで聞かせていただいたお話がどれも興味深くて。特に、皆さん「戦争で死ぬと思っていたから、こんなに長生きすると思わなかった」とお話してくださったのが印象的でしたね。
いまの日本で生まれ育った若者でそんなこと考える人いないじゃないですか。
――戦争といわれても、「自分には縁遠い話」と考える人がほとんどでしょうね。
ですよね。それで興味をもちはじめてからは、戦争の時代を生きたお年寄りと会うたびに当時の話を聞かせてもらうようになりました。
やっぱり、実際に戦争を体験している人に聞くと、教科書で学んだ印象とはずいぶん違うんですよね。
たとえば、玉音放送をきっかけに「戦前」と「戦後」にバッツリ分かれるかと思っていたら、場所や当時の年齢によって戦争の影響は全然違っていて。
満州から引き揚げてきた人や、シベリアに抑留された人は玉音放送の後の方がむしろ大変だったと言うし、一方、日本国内で家族を支えるために働き続けてきた人になると、「戦前」「戦後」の境目の記憶が曖昧だったりするんです。
――そのなかでも印象的だった話はありますか?
女性ならではの話として、生理に関するエピソードは印象に残っていますね。
奉天で終戦を迎え1年かけてようやく日本に帰ってこられた辛島和子さんは、肌に触れるところにだけ脱脂綿を敷いて、あとは布団の綿を使い生理用ナプキンの代わりにしていたようです。
辛島さんはそういう経験もあるからか、「地震などの非常時には、食べ物よりもまず生理用品を調達してあげてほしいなと思いますね。女性たちにとっては、大きな問題ですものね」と話してくださいました。
――いまにつながる教訓もたくさんあるということですね。
そういった辛いエピソードがある一方、戦時中も松竹少女歌劇団の公演に出向いてミュージカルを楽しんでいた霜登美子さんのお話を聞くと、いつの時代であろうと若者たちの青春は変わらないのだと分かります。今でいうジャニーズやK-POPファンの女の子と同じような楽しみを享受していたと知って、自分の中で戦争のイメージが少し変わりました。
この本では意識して男女比を揃えました。元兵士の証言を集めた本など、男性が戦争について話す本はたくさんありますが、男性と女性では視点が違うだろうと思ったんです。そうしたアプローチによって、より多様な戦争証言が集められたと思っています。
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