
写真:AFP/アフロ
連載「議会は踊る」
菅義偉総理大臣が、次回の自民党総裁選に立候補しないことを表明した。(これ自体は、少なくとも永田町的には)驚くべきことではない。火曜日の夜に突如毎日新聞が出した「スクープ」としての解散総選挙報道に対して党内から反発があり、菅総理は翌朝事実上の撤回を表明することになった。
総理大臣にとって最大の武器は解散権と人事権である。その片方を封じられると、人事も難航し、要となる幹事長人事も決まらない有様となった。
最終的には、二階幹事長などから翻意を促されるも本人の決意が固く、総裁選に出馬しない、つまり事実上の辞任ということになった。
菅内閣は、結局一度も国政選挙で審判を受けなかった。そして、国政選挙なみに注力された都議選や参院の広島補選、横浜市長選などの選挙においては、敗北に近い結果を喫した。つまるところ、安倍内閣から続いて、自民党政権のコロナ対策が国民に評価されなかったということだ。
従前より「菅総理では選挙は戦えない」という声は全国から上がっていた。様々な予測でも自民党は60から70議席程度減らすと見られていた。「減る」議席の議員にとって見れば、総理の不人気は死活問題ということになる。
これから自民党は新しい総裁を選び、その総裁が首班指名選挙において総理大臣となる。新総理は夢と希望に満ちた政策を発表し、いわゆる「ご祝儀相場」で支持率は上昇し、菅内閣の悪い記憶は薄れ、ご祝儀があるうちに総選挙を戦って勝利……というのが自民党の戦略であろう。
事実、選挙区で厳しいと見られていた政治家からは安堵の声も聞こえる。もちろん、危険水域とも言われた不人気の菅内閣に比べれば、新総理は一定程度支持率を回復させることは間違いないが、本当に「選挙のために顔を変える」という戦略は、自民党が期待した程度に機能するのだろうか。
2017年、前原誠司民進党代表は、総選挙の直前に民進党を希望の党に合流させるという奇策に走り、メディアでも盛んに取り上げられた。しか し、「排除」発言や立憲民主党の結党、あるいは首班指名をめぐる迷走などにより支持率は急落し、結果的に見れば野党第一党にすらなれないという大敗北を喫した。
更に遡れば、2010年に鳩山総理が辞任し、国民の高い期待を背負って総理に就任したものの、参院選で敗北を喫し、ねじれ国会を招いた菅直人総理という例もある。
民主党政権誕生の遠因となった、「福田おろし」「麻生おろし」も、自民党の信頼を失墜させる結果となったことは記憶に新しい。
民主党・民進党・希望の党の歴史を振り返れば、選挙のための人気取りとして名前を変えたり、代表を代えるたび、それがことごとく失敗していき、国民から呆れられていった。それが、結果的に政権下野後の野党第一党の長期停滞を招いたのである。
国民はすでにこのような権力ゲームにうんざりしており、加熱する永田町よりもはるかに冷静に総裁選の経緯を見ているのではないか、と私は感じている。
事実、街では「よってたかって引きずり下ろして、みっともない」というような声も少なからず耳にした。
安倍政権が異例の長期政権となったのは、安倍総理というキャラクターが国民から支持されたこと、株価が比較的安定していたことも理由としては挙げられるが、政権交代前の教訓を踏まえて多少支持率が低下しても「安倍おろし」が起きなかった(その一方で野党が代表や党名をコロコロと代え、信頼を失っていった)ことに大きな理由がある。
二階幹事長が投げやりに「総理の支持率がどうだとかね!そんなことだけで選挙が決まるわけじゃありません」と吐き捨てたのも、党内の結束こそが国民の信頼の源泉であることを理解していたからではないだろうか。総理の楽観的予測がすべて外れる中、二階幹事長だけは冷静に総選挙後、議席が減ったあとの内閣の構図を描こうとしていたようにも見える。
国民は予想以上に、永田町の権力争いや選挙のための人気取りと見られる戦略を冷めた目で見ている。少なくとも、このような経緯でトップが変わって機能した例は、第一次安倍内閣以降では皆無と言っていい。
「オリンピックになれば支持率が回復するはず」「ワクチンが普及していけば支持率が回復するはず」という楽観的な観測は全て外れたが、「総裁が代わればご祝儀相場で勝てるはず」という自民党の浮かれた雰囲気は、果たして3度目の正直となるか。私はまだ、趨勢を見極められてはいない。
審判を下す機会を失った菅内閣であるが、その評価と記憶をリセットするかどうかは、総選挙における有権者の投票行動に委ねられている。