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特別養子縁組をご存知でしょうか? 特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。
そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、その後、親子になりました。この連載は、アンちゃんが大人になるまでの日々を感情豊かに綴った書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。
※厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
<前回までのあらすじ>
両親とうまくいかない子ども時代を過ごし、自己肯定感の低かった著者。大人になって思いがけず好きな人と結婚しましたが、不妊症がわかり、悩んだ末に特別養子縁組を希望し、勉強のために乳児院「赤ちゃんハウス」へ通うことになりました。
第1章 アンに出会うまで
週に1回の赤ちゃんハウス通いもすっかり生活の一部になった頃、「8回の流産にあきあきして、養子縁組しようと決めたの」と言う、はきはきとした女性と出会いました。
彼女は、なっちゃん(仮名)という赤ちゃんのママに内定していて、いわば私の先輩。その当時の児童相談所は、さまざまな検査が可能になる生後10か月まではハウスで養育するという方針でした。そのため、なっちゃんママは、月に何度か我が子のお世話をするために、はるばる電車を乗り継いできていたのです。
「初めての寝返りやハイハイを保母さんから知らされてばかりなのが、とても歯がゆくて残念だったの。だけど、歩き始めは私が見られるから楽しみ!」と張り切って、細い身体に丸々としたなっちゃんをおんぶし、慣らしお泊りに連れ帰っていました。その姿を、いつも「早く慣らしお泊りしたいなあ」なんて思いながら見送っていた私。
1月に特別養子縁組希望を決め、6月に里親認定を受け、暑い夏を不安と期待にじりじりしながら過ごした私と夫。
何がつらいって、待つこと。赤ちゃんを育てたいと児童相談所へ出向いた時点で決意はかたく、親心はすでに溢れんばかり。まだ見ぬ我が子への愛情であっぷあっぷして溺死寸前です。里親申請を済ませてから(審査月は3か月も先だなんて!)、養子希望のお子さんがいれば(でも待っている人がたくさん!)ということを知り、ただ待つしかない。自分たちではどうしようもない受け身の状態はとてもつらかったです。
待つあいだの不安感は想像以上でした。ほとんどの養親さんが経験されることだと思いますが、うちの夫なんかは待ち疲れでイライラしてしまって大変でした。
「本当にうちに子どもが来るんか? おい、大丈夫か? まだか? ダメなんじゃないか、うちなんかじゃ」と、まあうるさいこと。
一方、そのとき、私はこう思って悩んでいました。「自分が産めないからって、よその人が産んだ子どもをほしがっていいのかな? だいそれたことなんじゃないのかな?」と。
こう思ったのには理由がありました。じつは里親として勉強会に参加するたび、養子縁組を目的としない養育里親さんの姿勢にふれ、「私たちは私利私欲で子どもを育てたがる困った存在なのではないか」「私たちに親になる資格があるんだろうか。子どもを育てるのにふさわしくないから、神様が授けてくれなかったのかもしれない」と、どんどん悪いほうへ考え込んでしまったのです。
そんな気持ちとは裏腹に、取り越し苦労で養子縁組をすることに反対する母には、強く言い返していました。
今振り返ると、相当に情緒不安定でした。でも、自然に、または不妊治療をして妊娠するのを待つのだって同じだろうと思います。幸運にも妊娠してからだって、心配はあるでしょう。
産まない人も、そう易々とは親になれないってことなんでしょうね。