昔はオシャレだった年上男性との恋愛~『クルーレス』『トレインスポッティング』における問題含みな「カッコよさ」

文=北村紗衣
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『トレインスポッティング』のダイアンとレントン

 ダニー・ボイル監督の作品である『トレインスポッティング』の主人公で、20代半ばでドラッグ依存症のレントン(ユアン・マクレガー)は、クラブでお酒が強くてきっぱりした態度のダイアン(ケリー・マクドナルド)に一目惚れし、声をかけます。ダイアンはナンパ慣れしていないレントンをリードしてその夜、2人は関係を持ちますが、翌朝、ダイアンがまだ中学生か高校生くらいの年齢だとわかります(原作ではダイアンは14歳で、映画では15~16歳くらいに見えます)。レントンは性交同意年齢以下の女の子を成人女性と勘違いして性関係を持ってしまったことに怯えて逃げようとしますが、ダイアンは自分たちの関係を警察に言うと脅してレントンとの関係を続けます。

 ここでポイントになるのは、通常、成人男性と未成年女性の関係として観客が思い描くものと、レントンとダイアンの関係は逆になっているということです。成人男性が未成年女性を脅して関係を持つとか、あるいは成人男性が未成年女性を引っ張るという状況を観客は想像しがちですが、ここでは性関係を始終ダイアンがリードしており、レントンはむしろ自分よりも「大人」な態度のダイアンに惹かれています。さらに法律違反だと思って肝を冷やしているレントンをダイアンが脅して関係を続けています。

 これは非常に曖昧で、複数の解釈が可能な描写です。十代の女の子がやたら成熟していて成人男性に積極的にアプローチしてくるという点では男性の性的ファンタジーを描いているとも言えます。一方で、物怖じしない若い女性に対して成人男性が怯えてしまうという立場の転倒は、よくある性的な支配・被支配の関係を逆転させた諷刺とも読むことができます。

 この曖昧かつ問題含みな関係に2010年代らしい形でオチをつけようとしたのが、『トレインスポッティング』の20年後に同じキャストで作られた続編『T2』(2017)です。この作品では、中年になってエディンバラに里帰りし、シックボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)が起こした法的問題の尻拭いをすることになったレントンが、弁護士として成功しているダイアンに再会します。もともとミドルクラスの家庭で良い学校に行っていたらしいダイアンは立派な弁護士になっており、女連れのレントンにいろいろ法的アドバイスをします。ダイアンは最後にレントンが連れているヴェロニカ(アンジェラ・ネディヤルコヴァ)について、「あなたには若すぎる」とコメントしますが、これはダイアンが前作でレントンから言われた、ダイアンは自分には「若すぎる」というコメントを裏返したものです。

 『T2』は、十代の頃から性的に活動的だったダイアンのほうがレントンよりもずっと安定した人生を築いている様子を見せることで、若い頃から恋愛やセックスのことばかり考えている女の子は成功するわけないとか、他のことに興味がないというようなステレオタイプを裏返しています。全体的に『T2』は、女たちは若いうちから自立しているのに、男たちは中年になってもそれこそタイトルの『トレインスポッティング』が象徴的に示唆しているように、行き過ぎる列車を見ているだけでどこにも行けないというふうに描かれています。ダイアンは計画的に列車に乗りましたが、レントンは乗り遅れました。

 続編との間に20年の間隔があるとは思えないほどマクレガーとマクドナルドの間にはケミストリがあり、『T2』のダイアンとレントンの再会の場面は非常に好評でした。カットされた2人の場面が公開されたこともあって、第一作以来のファンからはレントンとダイアンこそカップルとしてくっつくべきなのでは……という声もあがりましたが、そうはなりませんでした。これは人生はそんなにうまくいくわけではないということを表現するためである一方、未成年のセックスや脅しが絡んだ問題含みな状況で若い時に出会った2人が今さら焼けぼっくいに火がついて……というのはあまりにも1990年代的だからでしょう。

いまはもう90年代じゃない

 こうした作品からわかるのは、1990年代半ばにおいては、十代の賢い女の子はなんとなく同年代の男の子を子供っぽいとバカにしていて、やたら早く大人になろうとしており、知的に対等な関係で恋愛すべく、少し大人の20歳過ぎくらいの男性と付き合いたがるものだ、という考えがあったらしいということです。

 インターネットを通した子供に対する性的搾取などが問題になっている現代に比べると、「いやいや同年代にもまともな子がいるでしょ、そういう子と付き合っては?」と思いますが、25年前はまだ十代の青少年の性行動に対してやや楽観的に接することができた時代だったのでしょう。女の子のほうが男の子に比べて早く大人になろうとするという描写は90年代半ばにはガールパワーの表れのひとつだったのかもしれませんが、今だとちょっと男女を違うものとしてとらえすぎているようにも感じられます。2021年の視点だとこういう「カッコいい女の子」観は時代遅れで、むしろ危険な人権侵害や不必要な男女の差異化を誘発しそうな描写に思えますが、25年ほど前にはそういうのもありだったのです。

 『クルーレス』や『トレインスポッティング』は名作だと思いますし、シェールやダイアンのキャラクターの面白さに文句がつけられるわけではないと思いますが、昔の映画を見る時にはこうした「今ならこれがカッコいいというのは無いよなー」という視点を持つのは重要だと思います。私がとくに1990年代にシェールやダイアンと同じくらいの年齢だった女性として肝に銘じておきたいのは、こういう子供の時に憧れていた描写に今でもなんとなくノスタルジアを抱いてしまって感覚がアップデートされないのはまずい、ということです。

 今でもこういう十代の女の子が年上の男性に憧れるというようなコンテンツは日本で作られていますが、25年くらい前の感覚でその再生産を続けるのは時代遅れと言えるでしょう(ひょっとすると、そういうコンテンツを見て育った私くらいの年齢の人たちが再生産しているのかもしれませんが)。90年代のシェールやダイアンはカッコいい子でしたが、2021年にはまた別のカッコよさがあるはずです。それを考えながら今ここにある映画を評価するのが重要でしょう。

参考文献

アーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング』池田真紀子訳、青山出版社、1997。

ジェーン・オースティン『エマ』上下巻、工藤政司訳、岩波書店、2002。

北村紗衣「「シンデレラストーリー」としての『じゃじゃ馬ならし』――アメリカ映画『恋のからさわぎ』におけるシェイクスピアの読みかえ」『New Perspective』45 (2015):35–49。

Austen, Jane, Emma, ed. James Kinsley, Oxford University Press, 2003.

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