すべてをうるおすような涙が流れた、新生児だった娘・アンとの初めての出会い

文=うさぎママ
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 特別養子縁組をご存知でしょうか? 特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。

 そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、その後、親子になりました。この連載は、アンちゃんが大人になるまでの日々を感情豊かに綴った書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。

※厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

<前回までのあらすじ>

 両親とうまくいかない子ども時代を過ごした著者。大人になって好きな人と結婚しましたが、不妊がわかり、悩んだ末に特別養子縁組を希望し、勉強のために乳児院に通うことになりましたが、待つのはつらく不安になり……

第2章 ようこそ!アン

 朝晩が涼しくなってきた9月下旬、突然、委託の打診がありました。

 その年の4月に児童相談所の所長に就任した方が、「遺伝性の病気などの心配がない場合は、新生児から里親委託を」という方針だったのと、赤ちゃんハウス(乳児院)が定員オーバーだったため、「新生児を受け入れられるようなら、すぐにでも」というご連絡でした。

 新生児の養育には体力が必要だろうと、若かった私と夫に白羽の矢が立ったとのこと。当時、すでに37歳だったので若いと言えるかどうかの私でしたが、里親さんの中では若いほうだったのです。

 先に待っていた里親さんには申し訳ないと思いつつも、真っ暗だったトンネルの先に一筋のまぶしい光が急に差し込んできたようなときのような気持ち。思いがけない希望通りのシチュエーションに大喜びの私と夫でしたが、まだ見ぬ赤ちゃん……つまり私たちの大切な娘となるアンとのお見合いが3日後に決まると、深刻な話し合いをしました。

 たとえば、「かわいいと思えなかったらどうしよう」。いえ、これは姿かたちではなく、いわゆる相性です。自分で産んだ赤ちゃんでさえ、まれにかわいいと思えないこともあると聞くし、ましてや他人様の産んだ赤ちゃんなのだから。待ちかねてじりじりしていた夫でしたが、「もしもかわいいと思えなかったら、赤ちゃんがかわいそうだから諦めよう」と言い、私もうなずきました。

 それから、赤ちゃんの実親と顔合わせをする勇気を持てるかどうかについても話しました。将来、子どもに聞かれたときに「勇気がなくて会えなかった」なんて答える情けない親でいいのか。この問題は、トラブルを避けるために顔合わせはしないという児童相談所の方針でからくもクリアしました。あのとき、もしも「実親さんに会いますか?」と聞かれていたら、どう判断していたのか、自分でもわからないままです。

 いよいよやってきた顔合わせの日、なぜかふたりとも無口になり黙って、何度も足を運んだおなじみの児童相談所へ。あれほど緊張することは、今後の人生で二度とない気がします。

 そして、日当たりのいい相談室のひとつで待つことしばし。職員さんから、赤ちゃんが生まれたときの事情などをうかがいました。赤ちゃんは生まれた助産院を出たあと、乳児院ではなく、個人宅で育てられているとのこと。

 そのとき、やさしそうな年配の職員さんに抱かれて、アンが現れました。生まれて1か月と少しの小さなアン。そっと抱くと、あまりの軽さにびっくりしました。その軽さとはうらはらに、この上もなく重い責任をこのときに引き受けたのでした。

 小さな、小さな命。汚れも罪も知らない、まっ白な、きれいな命。「かわいいという気持ちを持てなかったら」と夫婦で悩んだことなど、すっかり忘れていました。アンを抱いたまま、涙を拭うことも忘れて、ただただ泣いていました。

 うれし泣き? 感動の涙? いえ、それよりもずっと複雑で、すべてを洗いながしてくれて、同時にすべてをうるおしてくれるような涙でした。

 12年間の不妊期間に傷ついたこと、かたくなになっていた心。子どもを産めない私をずっとかばってくれて、養子縁組を受け入れてくれた夫への感謝。不安と期待で限界に近かった赤ちゃん待ちの苦しさ。こんなにも小さくかわいいアンが、祝福よりも困惑の中に生まれ出た不憫さ。手放さざるを得なかったアンの実の母の思い。そんな大人の思惑も知らず、すやすやと眠る、いたいけなアン。

 この子に出会うために、私は生まれてきたのかもしれない。何も知らずにただ生まれてきたアンを、きっと守ると心に決めました。

 夫のマシューは、大きな無骨な手で、産毛にも触れるか触れないかほどのやさしさで、何度もアンの頭をなでていました。

 切れ長の瞳、ふっくらとしたほっぺ、ちっちゃなくちびる、透き通った小さな爪がきちんと並んだ奇跡のような手足。そんな外見のかわいさだけではないアンの持つ何かが、たぶん魂の輝きが、たちまちのうちに私たち3人を家族にしてくれたと信じています。そして無神論者に近い私たち夫婦でも、何か大きな神のような存在に心から感謝の気持ちを抱いたのでした。

 子どもがすべてとは思いませんし、子どもがいなくても実り多い人生を送る方も多いことは重々承知しています。でも、私たち夫婦の場合は確かに、アンの親になれたことでもっと幸せになりました。

 この顔合わせで、正式に里子として委託されることが決定。県内で第1号の新生児委託でした。そして、なんと1週間後にはメイプル家に来ることに。一日でも早くというのは私たちの希望でもありましたが、まあ、その7日間の忙しかったこと!

 普通の親には十月十日の猶予がありますが、私たちの場合は赤ちゃんの月齢もわからないし、かえって赤ちゃんが来るのが遅くなるかもと妙に臆病になっていて、「気持ち」のほかは何ひとつ用意なし。

 前々から「お下がりがあるよ」と言ってくれていた友人宅をまわり、夫とふたりで夜なべして布おむつをちくちくと縫い(当時は布おむつが主流。夫は意外と縫い物が上手でした)、いただいた肌着や服を片っぱしから洗濯し、足りないものを買いに走り、お下がりのベビーベッドを組み立てて、ほっと一息ついたのは前日の午後でした。

 最後に「あ! そうだ! ノエルの散歩にゆっくりいっておかないと。赤ちゃんが来たら、我慢をさせそうだし」と気づいて散歩へ。それまでの5年間に大切な家族になっていた犬です。夫婦で「溺愛するのはやめようね」と話しながら、すっかり溺愛しちゃっていたかも。

 雨上がりの野道をゆっくり散歩しました。「明日、赤ちゃんが来るから、しばらくはいい子でいてね」「ノエルが来るときも、わくわくしたんだよ」と話しながら。道すがら、大きな美しい虹を見ました。吉兆のようにも、祝福のようにも思えて、うれしさと晴れがましさに涙がにじんできました。「いよいよ、明日、私は母親になるんだ!」という思いでいっぱいでした。

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