〈物語編〉 世代をつなぐ、女性のパワー
一方、ショートフィルム仕立てのビデオになっている〈物語編〉は、H.E.R.のYouTubeアカウントから3月に公開された。以下では、このMVを読み解きながら、映画本編にどのようなテーマやメッセージを加えているのかを見ていこう。
H.E.R.ことギャビ・ウィルソンは、ソングライテイングも自身で行い、五つの楽器を引きこなすマルチプレイヤー。22歳で既にエミー賞を4冠してEGOT(=Emmy, Grammy, Oscar, Tony)全冠へまっしぐらと報じられた若き才能のシンガーだ。2016年にH.E.R.のステージネームを名乗って以降は、常に濃いサングラスで瞳を隠し、意識的に匿名化して活動している。
インタビューではその意図について、「私は何者なのかとか、人物像についてのストーリーや感情は、〔顔やファッションなど容姿でなく〕音楽とメッセージだけが伝えてくれる」と答えている。“H.E.R.”とは「全てを明らかにする(Having Everything Revealed)」の略なのだとはなかなか皮肉が効いている。
若くして花開いた彼女のカリスマ性は、まさにフレッド・ハンプトンを思わせる。現代の天才シンガーと、1960年代の若き雄弁家が重なって見える。二人のカリスマは、ともに言葉を武器にする。その一方で、時代を経て二人の性別が異なる構図となっているのは興味深い。これは、「次世代への継承」と「女性のパワーの顕在化」というメッセージ性を帯びる。
このことをショートフィルムに解説を加えながら見ていこう。一度以下の動画を観てから読んでみて欲しい。なお、映画のフッテージとMVオリジナル映像はミックスされて区別しにくい。映画鑑賞前に観るものと仮定して、敢えてそこは分別せずに論じている。
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1971年のニューヨーク、黒人解放運動に参加していると思しき少年が警察に追われているところから始まる。史実ではフレッド・ハンプトンが殺された2年後だ。ポスターを貼る少年を警官が追いかけて銃を撃つ。撃たれた少年が黒い光に変わり空に散る。バックグラウンドでは、H.E.R.がナレーターとして昨晩起こった事件について語っている。頭に銃を突きつけられ、火の手が上がった。「“奇妙な果実のように苦すぎて不味いものだ”っていう父の言葉を思い出してしまった。」
「奇妙な果実」とは、南部諸州でリンチによって虐殺され木に吊るされた黒人の遺体のことだ。1939年のビリー・ホリデイのプロテストソングで有名になった隠喩である。「昨晩」起こったのは、黒人へのヘイト殺人事件だとわかる。同種の「不味い」事件が、父の時代から現在まで続いていることが示唆される。
舞台は50年後の現代へと移る。H.E.R.演じる女性の祖父は靴職人である。作っている靴底に「私は革命家だ(I am a revolutionary)」の文字を刻印している。手にはブラックパンサーのタトゥーが入っている。祖父は彼女に、完成した靴を顧客に届けるよう依頼する。出かける彼女を店員の若い男性が見つめる。アパートの男性、楽しそうにホームパーティをしている中年女性、教会の講堂に座る神父、それぞれ靴を受け取り染み入った表情をする。
血で染まった手を洗う白人男性。二人の白人警官が病院で拘束された黒人男性を運んでいる。昨晩起こった事件だ。祖父の靴屋で働いていた男性が、夜更けに公衆電話で遠くを伺いながら焦った様子で電話をしている。“ユダ”なのか。
1971年。党員の子供たちが「私は、革命家だ」というハンプトンの言葉を学んでいる。若い女性たちは、ショットガンの使い方を学んでいる。蜜柑を食べながらおしゃべりをしたり、ゆったりと踊ってもいる。現代。H.E.R.は歌う。仲間たちと踊り、チルしている。
これまでの映像が再挿入され、過去、現在のシーン、そしてブラックパンサー党を撮影した歴史映像のフッテージが入り混じる。ハンプトンの演説の言葉が重ねられる。「すべての人で“革命”が意味するところは違う。しかし、“戦い”は全ての人にとって同じだ。来る日も来る日も、アメリカで“黒人である”ということ。解放のために戦うこと。抑圧の中で恐怖を感じずにいること」再び、講義のシーン。「私たちは、革命家だ! 私たちは、革命家だ!」。コールアンドレスポンスで、子供たちが先人から伝えられた言葉を繰り返している。
警官たちが祖父の靴屋を取り囲む。祖父が手を上げて出てくる。
H.E.R.と仲間たちは、銃を構えた警官に襲撃される。
50年前の少年がうつ伏せで頭に銃口を突きつけられている。
「私たちは、革命家だ!」
その瞬間、自宅で鏡を見ながら血を洗い流す一人の警官。黒人の娘らしき人物が、彼を見ている。
「The End」の文字が浮かび上がる。
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H.E.R.は「メッセンジャー」だ。刻まれた言葉を届ける。歌われた言葉を届ける。祖父がその手で刻んだ、“歩みを進めるための道具”を人々に届けて、世代を継いでいく。
祖父の時代も父の時代も、そして今も変わらず、アメリカのアフリカ系の日常とは「生死のかかった闘い」なのである。歴史を継いでいくことは、ここでは風化や忘却が問題になるのではない。続く苦境の連鎖をどのようにして断ち切るか、いかにして世代を継いで闘うのかが問題である。
映画本編では「どう生きるのか」、すなわちどう闘うのかの葛藤が描かれている。「革命」をどう成し遂げるか、それぞれの立場で向き合う態度が異なる。〈Fight For You〉のサビのリフレインでは、さまざまなパターンで「自由(freedom)」を歌っているが、これもまた、「自由」の形はあらゆる人で異なるのだと響く(途中「自由は木に吊るされない」という歌詞を、アクセントを変えて歌ってるところは鳥肌もの)。映画を監督したシャカ・カーンも、二人の男の「自由」は意味が全然違っていて、この曲を聴いた時本作の主題歌にピッタリだと思ったと述べている。
この〈物語編〉は映画と比較すれば、女性の存在感が特に強調されている。もちろん主役がH.E.R.でもあるし(「her=彼女」という言葉の意味も改めて思い出される)、1971年と現代のシーンともに女性に焦点が当てられている。このことで、「どう生きるか」という問いに関して、女性や、H.E.R.と同じ若い世代が共感するチャンネルを増やしているように思う。
映画の方でも女性のパワー・主体性や葛藤が描かれてはいる。だが、運動に参加するある女性が妊娠した子供を守れるかという点から語られていて、それも、革命(=社会的使命)に人生(=個人)を捧げる「男性」ハンプトンとの対比から「女性」性が強調されていて(二人が自分の生き方の違いを語り合うシーンがある)、個人的には正直ピンとこなかった。女性の主体性を描くことが常態化している中、若い世代にはH.E.R.のMVが描く「女性」のリアリティの方がしっくりくるのではないだろうか。
二つのミュージックビデオは、映画が描いた「いかに闘うのか」という問いを、前提する知識や、世代やジェンダーの面から間口を拡げている。このように、問いをより普遍的なものとして様々な立場へと開いていくこと、すなわち、「いかに生きるのか」という問いに変換することとは、「この曲を普遍的な自由についての歌にしたい」と言うように、H.E.R.自身が目指すものである。そしてそれは、ハンプトンが「虹色」に拡げた連帯のかたちでもある。
「われわれ」はどう闘うのか? カルチャーを通じて「他者の歴史」に共感する
BLMの世界的拡大はアフリカ系アメリカ人の当事者たちのみならず、非黒人コミュニティでの盛り上がりが重要な役割を果たした。社会全体が、歴史に根ざす構造的差別を「問題」とみなして行動に出始めたのがポイントである。運動が高まる中で、昨年夏頃には「構造に埋め込まれた人種差別(systemic racism)」という言葉が知られるようになった。当事者コミュニティや人権活動家、黒人研究に携わる者にとっては当然基本的な問題設定だが、この映画がアカデミー受賞作までなったという事実は、「構造人種差別」の視座が「アメリカ社会の問題」となったということを示している。
「同情」ではなく「共感」。“他なる人々”に心を重ねること。黒人コミュニティを超えて、次世代の社会全体へと開いていくために、カルチャーの力がある。
『ユダ&ブラック・メシア』とそれを補完する〈Fight For You〉のビデオが開いた視座とは、第一に、暴力が運動において現れた意味を歴史的・構造的視座から理解するという点にある。ブラックパワーの「パワー」の意味を「破壊的行為」のみに短絡せずその力学を捉え直すことだ。
第二に、ブラックパワーの歴史におけるマイノリティ性、とりわけ女性や性的マイノリティの主体性を理解することである。黒人かつ女性、黒人かつ性的マイノリティという幾重にも重なる弱者としての経験、またそこから生まれる抵抗運動への貢献を捉え直すことである――まさしく、ハンプトンがブラックパンサー党において「他者の壁」を超えて連帯したごとく。
ハリウッド映画界という極めて資本主義的な文化産業の中心にあって、大衆文化たる映画とは、当事者を中心に培われてきた視座を文字通りの世界規模に拡げていくチャンネルでもあり、その社会が持つ欲望の反映でもある。これまで幾度となく問われてきたことだが、社会におけるマイノリティのあり方に焦点が当てられる一方で、環境や人権の社会問題を消費者運動として解決するという一種のリアリティが高まっている現在、娯楽性の高い文化芸術が歴史を表象することの意味について再び考えるべき時期に来てはいないだろうか。
参考資料
“The Black Panthers and Disability History” Independence Now February 12, 2021.
Jazz Tangcay, “H.E.R. Releases New Music Video for ‘Fight For You’” Variety April 5, 2021.
Jem Aswad and Jazz Tangcay, “Becoming H.E.R.: How a Prodigy Grew Into a Voice for Her Generation” Variety June 17, 2021.
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