アフリカン・アメリカンの世帯所得の中央値は、今も白人世帯の中央値の61%に過ぎない。
米国:人種別の世帯所得中央値(2020 米国国勢調査局)
・白人:74,912ドル(約824万円)
・黒人:45,870ドル(約505万円)
直接の理由は黒人の就業率の低さ、および高収入職に就くことの難しさだ。背景には教育制度の不機能と、雇用や昇進の際の人種差別がある。
奴隷制の時代、黒人は読み書きの学習を厳禁され、奴隷主の目をかすめてこっそりと学んだ者は鞭打ちの刑に処されることすらあった。奴隷解放後は黒人も教育を受けられることとなったが、白人と黒人の学校は完全に分離され、黒人の学校の校舎や教材は白人の学校とは比べものにならないほど粗末だった。また、貧しさゆえに親と共に働かなければならず、満足な教育を受けられない黒人の子供も少なからずいた。これらは全て社会の仕組みから起こる制度的人種差別(システミック・レイシズム)の典型例だ。
奴隷制の開始から300年以上、奴隷解放後からは90年近く経った1954年の「ブラウン 対 教育委員会裁判」により、ようやく学校の人種分離が違憲とされた。だが、黒人との共学に激怒する白人が多く、黒人の生徒への嫌がらせや脅迫、さらには暴動に近い緊迫状態にもなり、州兵隊が出動するケースまであった。
また、ブラウン裁判では法による学校での人種分離が禁じられたものの、多くの地域で白人と黒人は居住区が分かれており、必然的に学校での人種が偏る傾向にある。この現象は現在も続いており、ニューヨーク市などは教育の場における人種分離がブラウン裁判の時代よりも進んでいると報じられている。
いずれにせよ市や郡の固定資産税が学校予算に当てられる制度であることから、豊かな地区と貧しい地区で教育予算に大きな隔たりがある。すべての白人地区が豊か、同様にすべての黒人地区が貧しいわけではないが、「白人の学校は設備と教材が豊か、黒人の学校には不十分」の傾向が続いている。
アファーマティヴ・アクション
当時から現在に至るまで学校における人種の偏り、および黒人の進学不利を解消するための様々な策がとられている。しかし黒人生徒の入学配慮は白人生徒の権利を脅かすとして強い反発を招いてきた。中でも入学選考に際して人種を考慮するアファーマティヴ・アクションは論争を呼び続けている。
2008年、テキサス州在住の高校生アビー・フィッシャーは州立の名門大学、テキサス大学オースティン校に入学申請を行った。当時、同大学は州内の各高校の成績上位10%の生徒を受け入れており、その枠で新入生の8~9割程度が占められていた。残りの枠は成績や課外活動などと共に「低所得家庭もしくは低予算高校」「ひとり親家庭」「非英語環境の家庭」「人種」を考慮して選考された。
フィッシャーの成績は上位10%に入っておらず、後半の枠での選考となったが、入学を許可されなかった。これを不服としたフィッシャーが訴訟を起こした。フィッシャーは「私より成績が低くても同大学に入学した級友がいる。彼らと私の違いは肌の色だけ」と語っている。
この訴訟は紆余曲折の末、米国最高裁にて2016年に裁定された。フィッシャーは同大学の選考方法が全アメリカ市民の法に於ける平等保護を保障する憲法修正第14条に反すると主張したが、最高裁はこれを否定した。ただし「大学は人種に配慮した審査の必要性を常に見直さなければならない」とも示した。
ちなみにフィッシャーより低成績でありながら入学許可を得た生徒のうち、黒人/ラティーノはわずか5人だった。逆にフィッシャーと同程度または高成績だった黒人/ラティーノの168人が入学を却下されている。この裁判はアファーマティヴ・アクションの強硬な反対派である活動家に導かれて行われており、フィッシャー個人よりもアファーマティヴ・アクションそのものに焦点が置かれた。
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