なぜ市民を痛めつける政治家が国民の代表に選ばれるのか? マルクスがその謎を解き明かしていた

文=白井聡
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Getty Imagesより

●「セカイ」を『資本論』から読み解く(第5回)

 菅義偉首相は、安倍晋三前首相に続いて新型コロナに敗れ、辞意表明。自民党総裁選が国会そっちのけで行なわれています。もちろんこれは、衆議院総選挙を目前に控えての泥縄式の看板の架け替えであり、冬に来るであろう次の感染拡大に備えるという死活的に重要な責務を放棄する所業です。

 とはいえ、自民党政権がヒドイというのは別に新しい発見ではありませんから、どこがどうヒドイのかについてここで書くつもりはありません。2012年の政権復帰以降、国政選挙で与党は勝ち続けてきたのですから、問題は、こんな政党がなぜ国民の支持を受け続けてきたのかというところにあります。

 国民の投票に基づく民主主義制度は、国民の利害を基本的に反映する政治制度である、と考えられています。だからこそ、参政権の拡大も、「みんなの利害を政治に反映させるべきだから、できるだけみんなが参加できるようにするべきだ」という前提から、促進されてきたわけです。にもかかわらず、なぜ、人々は自分で自分の首を絞めるような選択をしてしまうのでしょうか。

ボナパルティズムにみる民主主義の弱点

 このことを考えるに際しても、マルクスが役に立ちます。ただし、『資本論』に民主主義政治論があるわけではありません。1852年に刊行された『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という著作が、こうした民主主義の謎に迫ったものとして重要な仕事です。

 同書は、1848年の二月革命によって始まったフランス第二共和政が、ルイ・ナポレオンの大統領選出とクーデター(1851年)、ルイ・ナポレオンの皇帝即位(第二帝政成立)により、瓦解してゆく過程を分析したものです。そこでマルクスは、「かのナポレオンの甥である」という以外には何者でもないいかがわしい人物だったルイ・ナポレオンが、民主主義的なシステム(国民投票)を通じて皇帝にまで成り上がっていった謎を解こうとしました。

 マルクスの分析の要点は次のようなものでした。すなわち、1848年の二月革命以来、階級闘争が激化するなかで左派も右派も決定的な支配権を握ることができず、「右でも左でもない」、ルイ・ナポレオンが強大な権力を握ることとなったのだ、と。ルイ・ナポレオンは、革命派の代表でもなければ、王党派の代表でもない、誰を代表しているわけでもないので逆に誰をも代表することができるかのように装うことができたというのです。民主主義は人々の代表者に権力を与えるシステムであるにもかかわらず、誰をも代表しないような者に権力を与えることがある、という逆説は、マルクスのこの分析以来、「ボナパルティズム」と呼ばれるようになりました。

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