作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』より

文=北村紗衣
【この記事のキーワード】

 wezzyの人気連載「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」の筆者・北村紗衣さんの新刊『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房)が刊行されました。

 本書は、批評を書きたいという方だけでなく、より深く作品を楽しみたい方にとってオススメの一冊です。さらに、どういった視点で作品を分析しているのか、何が書かれていて、そして何が書かれていないのか、批評の読み方も身につけられるものとなっています。

 実はタイトルがどのように付けられているのかも批評を読み解く上で非常に重要なポイント。発売からわずか2カ月で5刷となり、各所で話題となっている本書の一節「タイトルは自分を縛るためにつける」を試し読みとして掲載いたします。

作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』よりの画像2

タイトルは自分を縛るためにつける

ゲームの名前は何なわけ?
(アバ「きらめきの序曲」’The Name of the Game’, 1977)

 英語で ‘the name of the game’「ゲームの名前」という語句は「一番重要なこと」という意味で使われることがあります。批評でもゲームの名前は大事です。批評自体がゲームのようなものだというのは既に第二章で説明しましたが、作品としての批評一本一本にもゲームの名前、つまりタイトルが必要です。

 内容が肝心、タイトルはどうでもいいと思う人もいるかもしれません。むしろタイトルにこだわるのは薄っぺらいと思う人もいるでしょう。しかしながら、タイトルは以下のふたつの点で重要です。カッコいいタイトルであればあるほど効力を発揮します。

 ひとつめはタイトルを決めると内容が決まることがあるということです。たとえば作品を見て疑問に思ったことがあり、それを解き明かしたい場合はとりあえず具体的な問いをタイトルにしてみましょう。新美南吉の『ごん狐』にはうなぎの描写がたくさんありますが、読んでうなぎが美味しそうだと思ったのであれば、「なぜ、うなぎはこんなに美味そ うなのか— 美食文学としての『ごん狐』」とかいうタイトルをつければ良いのです。こうして先にタイトルを決めておき、しかもそれを具体的で比較的面白そうだとかカッコよさそうだと思われるものにしておくと、書く時に自然とタイトルに縛られるようになります。これは前の項で言及した「切り口をひとつにする」に密接に関係しており、タイトルに関連することだけ書こうという無意識の拘束が働いて、結果的に出てきたものがけっこう一貫性ある内容になることがあるのです。タイトルは自分を縛るために作るものです。 

 ふたつめは、もし書いたものをブログなどで公開するのであれば、カッコいいタイトルがついていたほうがコミュニケーションの観点からは有利だということです。人間はどうしてもキャッチーなものに惹かれます。塔にこもっていて数人の友達以外には批評を読まれたくないというのであればキャッチーなタイトルをつける必要はありません。しかしながら、もし批評を通して他の読者や観客とコミュニケーションをしたいと思うのであれば、 人に読んでもらえそうなタイトルをつけて公開する必要があります。新美南吉の作品に関 する真面目で精密な議論が大人気になる可能性は必ずしも高くはないかもしれませんが、「『ごん狐』論」よりは「なぜ、うなぎはこんなに美味そうなのか— 美食文学としての『ごん狐』」にしたほうがまだSNSでバズりやすいでしょう。これは後者のタイトルは何が書いてあるのかなんとなく想像できるくらい具体的で、しかもちょっと面白そうだからです。「『ごん狐』論」だといったいどういう切り口の何なのかわかりません。

 個人的なことですが、私は学術論文でも商業媒体用の批評でも、たいてい切り口をまず決めて、それからタイトルを決めて書き始めます。この本については、最初は「私のバッグに入ってるトマトはぶつけるためにある」(英語の表現で、舞台や映画があまりにもひどい時に腐ったトマトを投げつけるレベルだとかいうような言い方をすることがあります)というとんでもないタイトルにしようかと思ったのですが、やたら暴力的なのですぐボツにして、「チョウのように読み、ハチのように書く」にしました。ボクシングの名言なのでちょっとは暴力的かもしれませんが、まあスポーツの話だからそこまで剝き出しというわけではないし、このほうがポジティヴな内容になりそうだと思ったからです。

作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』よりの画像4

「作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』より」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。