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昨今、芸能人が情報番組の司会やコメンテーターを務める姿は珍しくない。芸能人の社会的・政治的発言はネットニュースになりやすく、SNS上で多くの注目を集める。しかし、そこに見当違いの発言があり物議を醸すこともしばしばある。本来、政治や社会問題を深く掘り下げることを目的とするならば、専門家同士で議論を行う方が建設的なはずだ。
なぜ、メディアは芸能人を情報番組に起用するのだろうか。
読者・視聴者が芸能人の社会的・政治的発言に注目する背景やその問題点について、メディア文化の専門家である大妻女子大学の田中東子先生に話を聞いた。

田中東子(たなか・とうこ)
1972年横浜生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。政治学博士。現在、大妻女子大学文学部教授および東京大学情報学環・学際情報学府客員教授。専門はフェミニズム、カルチュラル・スタディーズ。第三波フェミニズムやポピュラー・フェミニズムの観点から、メディア文化における女性たちの実践について調査と研究を進めている。著書に『メディア文化とジェンダーの政治学-第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社、2012年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(編著、ナカニシヤ出版、2017年)『足をどかしてくれませんか』(共著、亜紀書房、2019年)、『私たちの「戦う姫、働く少女」』(共著、堀之内出版、2020年)『ガールズ・メディア・スタディーズ』(編著、北樹出版、2021年)など
「親しみやすさ」の功罪
——芸能人の社会的・政治的発言が注目を集める背景にはどのような構造があると思われますか。
まずは、メディア側の問題であると分析しています。というのも、さまざまなメディアを通じた芸能人の発言が取り上げられて記事になることにより、私たちの注目を集めている構造があるためです。芸能人のテレビでの発言やツイートを切り取っただけの記事が安易にメディアによって大量生産されているため、注目されていると感じてしまうのではないでしょうか。
また、社会運動の当事者や学識のあるタレントではなく、チャラチャラした雰囲気の若い芸能人やギャルとして売っているタレントの発言を取り上げることが散見されます。これらは単にPVが取れるからということもあるでしょうし、「若い芸能人が社会・政治に関心を持っている」といった視聴者へのメッセージを伝えようとしているのかもしれません。
——では、テレビ局がワイドショーの司会やコメンテーターに芸能人を起用するのには、どんな理由があるのでしょうか。
「ポピュラリティ」の獲得という理由があると考えられます。つまり、視聴者に親しみやすさを感じさせる芸能人を起用した方が、視聴者は見てくれるし視聴率が上がるに違いない――作る側にそのような安易な思惑があるのでしょう。
大学で教えていると、学生から「普段はあまりニュースを見ないけれども、ある情報番組は好きな芸能人が出ているから見ている」といった声を聞くこともあります。親しみやすさやとっかかりを作る意味で、芸能人の起用は重要な役割を果たしているとも言えることから、一概に芸能人が情報番組に出演することが悪いことではないと考えています。
ただ、そこで問題となるのが、勉強不足の出演者がいることです。日常的な感性とともに社会問題や政治の問題に関心を持つのはとても大切なことです。しかし、テレビの影響力の大きさを考えたときに、知識のない人が無責任にコメントしていいものかと、疑問に感じることもあります。出演者自身が、自分自身の影響力をどれだけ自覚できているのか疑問です。また、出演者の発言に対して制作側のチェック機能がはたらいていないことも問題です。もちろん、出演される方の中には深いところまでしっかり勉強して臨んでいる人もおり、無責任に日常感覚で喋っている人と、社会的正義や社会的責任を果たそうとしている人との間にはグラデーションがあります。
本来、メディアはそのグラデーションに対し、批判的に取り上げたり、発言を分析したりする役割があるはずですが、一部のメディアでは無責任な発言を点検することなく、拡声器のようにばらまいているだけというケースもあります。
また、テレビ局と芸能事務所との蜜月関係もあると思います。いまや情報番組の司会やコメンテーターの仕事が、全盛期を超えたアイドルや、お笑い芸人のキャリアのひとつになっています。
——私はエンタメが絡んだ記事と、真正面から社会問題を捉えた記事と、どちらも執筆することがあるのですが、前者の方が読まれやすい傾向にあります。興味を持つきっかけは大事だと思いつつも、エンタメが切り口になっていないと読まれにくい構造には問題意識を持っています。
そうですよね。ここ20~30年で、日本社会全体での教養――特に社会科の知識の低下を強く感じています。高学歴の人であっても日本国憲法や政治制度について理解していなかったり、歴史を知らなかったり――義務教育までで習っているはずの知識であるのにきちんと身についていない、という話をよく聞きます。
大学進学者のなかでも、入試科目に社会が含まれておらず、歴史や政治経済について勉強していない学生もいますし、入試科目に社会科が含まれている大学でも、合格するために勉強するだけで、政治や人権の話を自分ごととして捉えられていない人は多いと感じています。
そういう背景の中、ライターや編集者がどうすれば社会問題に興味関心をもってもらえるのか、頭を悩ませていることは理解しているつもりです。社会全体の知識と教養の質が落ちている現在、「親しみやすい芸能人の話をきっかけに、社会的な話題に関心をもってもらえればよい」と書き手が考えがちであるのはやむを得ない側面もあるのでしょう。
とはいえ、「読まれやすい」ことだけしか考えなくて良いのか――その点についてはしっかり議論していただきたいです。出版社には、媒体の成長と共に読者を育てる役割があると思いますし、社会をより良くするための媒体であろうというビジョンをつねに持っていてほしいと感じています。
とはいえ、媒体に対してその時間を与えられる余裕が会社に有るか無いかによって、注力できるエネルギーは違ってきますよね……。
——真面目な内容を読む余裕がないほど、人々が疲弊しているとも感じるのですが。
それはあるかもしれません。「ブルシットジョブ」——「クソどうでもいい仕事」と訳される言葉があるのですが、インターネットの発達により、私たちは全体的に「クソどうでもいい仕事」の量が非常に増えているんです。
Webの記事もサイクルが早いですよね。丁寧に書かれた記事を、みんながじっくりと読むことができればいいのですが、矢継ぎ早に新しい記事が流れてくるため、つい手に取りやすい記事――例えば、好きな芸能人が発言しているとっつきやすい記事なんかをクリックせざるを得なくなっている。
平成以降の労働環境の劣悪化、及びインターネットの異常なまでのサイクルの速さとがあいまって、「真面目な記事をじっくり読もう」という時間的・心理的余裕が読み手の側にもなくなっているのかもしれません。
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