芸能人の社会的発言に注目が集まる問題点 情報は「コントロールされている」という自覚を

文=雪代すみれ
【この記事のキーワード】

「選んでいるつもり」でも視野は狭まっているネット上の情報

——「芸能人の発言に注目させられてしまう構造」がある前提で、読者・視聴者はネット上の情報を消費する際、どのような点に気を付ければよいでしょうか。

 見てしまうこと自体は仕方ない部分があります。大学の先生の中でも、「論文執筆中についつい芸能ニュースを見てしまう」と話している方がいたり、私自身もTwitterのトレンドに好きな芸能人の名前が出てくると、ついクリックして読みふけってしまうことがあります(笑)。

 さらに、利用者は自分の力で情報を選択しているつもりでいるかもしれませんが、実際にはトレンドやアルゴリズムによって厳選された「あなたにオススメの情報」の中だけからしか選べていないというのが実情です。「フィルターバブル」という言葉があるように、クリックすればするほど「好みの情報」が突き付けられ、入手される情報と世界が狭まっていく――現在のメディア環境がそんな風に構成されていることを知っておくだけでも違ってきます。

 このように、インターネットを介して閲覧している情報が、自分自身で選んでいるのではなく選ばされていること、自分自身でコントロールしているのではなく、制御されているということを自覚し、情報提供者と利用者の間には大きな権力関係があると知る必要があるでしょう。

 私は少し前に「Googleがオススメする情報ばかり見ていると、特定の情報にしかアクセスできなくなっていく」という危機感を抱くようになったため、Googleが薦める記事を地道にブロックし、アルゴリズムに反抗するようにしています。その結果、Googleを開いても、大手新聞社と一部の趣味関連の媒体の情報しか表示されないようになりました。

 実は、テレビを見ている際にも同じことが起きていると言えます。テレビでは多様な情報が放送されているように見えるかもしれませんが、そこで放送されている情報も、実際にはテレビ番組を制作している人たちの取捨選択によって情報が制限されていたり、特定の方向に誘導されていたりします。テレビに映っているものだけが、世界の全てではありません。

 テレビが何を放送していて何を放送していないのかは、視聴者のコントロールの外にある——従来から、視聴者はテレビが見せたいものを見ることしかできないという権力関係の差があることは指摘されてきました。そういった権力格差への自覚を持つことが、芸能人の発言に注目させられ、踊らされてしまう構造の中で、視聴者が身を守る一つの方法になるのではないでしょうか。

——芸能人に限った話ではないのですが、著名な人の発言に対して、「○○さんが言っているのだから正しいだろう」といった判断をしてしまう人も多いと感じます。人は間違えることもあるので、そのような判断基準だけでは危険だと思うのですが、情報の受け手はどう意識したらいいでしょうか。

 ネット上の情報における真偽の見極めは困難なこともあり、知識人と呼ばれる人がフェイクニュースをリツイートし、後になって取り消すといったことも起きています。

 昔は権威になる媒体が明確で、読者はそのニュースがどの媒体の情報であるのか意識しながら読んでいました。しかしネット上では、どの媒体の記事でも並列して情報が届けられます。「〇〇新聞」や「〇〇誌」といった媒体の看板が外された状態で、記事そのものを人々が読むような環境になっていることを自覚することがまずは肝要です。

 一方で情報が並列化されることによって、それがどんな媒体に掲載されているのかということにはとらわれることなく、記事単独で評価される可能性もできています。たとえ小さな媒体の発する情報であっても、その内容が鋭く、社会において重要な情報を伝えるものである場合には、大きな注目と関心を集めることも可能になってきました。

 結局、ひとつではなく複数の媒体が出している記事に触れ、読み比べてみることによって「この人が言ってるなら正しいだろう」という短絡的な発想から自分自身を守ることができるのではないでしょうか。

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