『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』から考える、マイノリティを描くことの価値と懸念

文=エミリー
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ドラマ『大豆田とわ子』で途中退場させられた「綿来かごめ」

 私自身の話になってしまうが、ゲイやレズビアンとは比較できないくらい、アセクシュアル(他者に性的欲望を抱かない・抱きにくい)/アロマンティック(他者に恋愛感情をい抱かない・抱きにくい)の主人公が登場する物語は、極端に数が少ない。実際に、私はまだ両手で数えられるくらいしかアセクシュアル(と思われる)キャラクターが登場する作品を目にしたことはなく(マンガ:『きみのせかいに恋はない』伊咲ウタ、『初恋、カタルシス。』鳩川ぬこ、小説:『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生 など)、当事者として心から「救われる」とか「楽しめる」「実態に即している」と思うような作品にはほとんど出会えていない。そもそも、描かれる要素や特徴から「アセクシュアルなのではないか」と想定できるキャラクターが登場しているだけで、明言されないことも多い。

 だからこそ、たとえば今年の4-6月に放送されたテレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ系)で、主人公・大豆田とわ子(松たか子)の幼馴染で親友の綿来かごめ(市川実日子)が、アセクシュアル/アロマンティックである(人生に恋愛を必要としない)と思われるような人物として造形されていたことがとても嬉しかったのと同時に、物語の途中で突然死んでしまう(異性愛者が中心の物語から退場させられてしまう)ことには、かなり大きなショックを受けた。

 「誰にでも死は平等に訪れる」「そもそもアセクシュアルの人物を描くことが本筋ではない」「死んでしまったとしても、かごめはとわ子にとって唯一無二の大切な存在であり関係性であることが丁寧に描かれている」など、かごめの死を取り立てて悲しんだり批判したりすることは不当だと、異議を唱える声もあるかもしれない。

 けれども、表象が極端に限られているマイノリティの一当事者として、その数少ない作品の中で、自身と同じマイノリティの属性を持った登場人物が「(わざわざ登場させられておきながら)死ぬ」ことの意味や影響の大きさを、その扱いによって軽視されているように感じられることを、当事者でない側から「取るに足らないことだ」と軽んじられるべきではないと、改めて強く実感させられる体験だった。

 ちなみに、フィクションにおいてゲイやレズビアンといったセクシュアル・マイノリティのキャラクターが悲劇的な死に見舞われたり、殺人犯などの悪役を担わされたりする傾向が高いこと、それが異性愛規範的な価値観と結びついていることは、すでに様々な場所で語られている。(『BL進化論』でも、p.279-の「補遺2 応用編―『BL進化論』と映画における男性同性愛」の中で詳しく言及されている)

 また、最近では、マンガ『作りたい女と食べたい女』の作者であるゆざきさかおみ氏が、“レズビアンの人物をレズビアンとして描かないことは、現実にいる女性同性愛者の存在を透明化することに繋がるのではないか”という懸念から、主人公の野本さんと春日さんの関係をGL(ガールズラブ)であり、「レズビアン」の物語として明言して(キャラにも明言させて)描いていることを、担当編集者がインタビューで語っていた。

現実のレズビアンに目を向けたGL作品を『作りたい女と食べたい女』編集者インタビュー

 ゆざきさかおみ先生による漫画『作りたい女と食べたい女』(KADOKAWA)。ComicWalker(COMIC it)にて連載中のこちらの作品は、料理…

『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』から考える、マイノリティを描くことの価値と懸念の画像1
『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』から考える、マイノリティを描くことの価値と懸念の画像2 ウェジー 2021.10.01

 このインタビューの内容からは、作り手側の誠実な姿勢に勇気づけられるとともに、ここ数年SNS上などでも頻繁に目にする、同性愛が主題であったり同性愛カップルが主人公の作品を読んだり見たりしたマジョリティの観客、あるいは批評家が「これは普遍的な愛の物語だ」と、自分たちが受け入れやすい在り方に引き寄せて解釈し表現してしまうことや、「ゲイ」や「レズビアン」といった、同性愛を描いたものであることを明言する言葉を用いるのを避けようとすることの背景にある意味や問題点についても、改めて考えさせられる。

 先ほどと同じ鈴木みのり氏によるテキストの中で、たとえそれが自分のための物語ではなかったとしても、異性愛主義的で男性中心の社会の中で求められる「家族像」や「女性像」との間でもがき葛藤する異性愛女性の姿に、ジェンダー/セクシュアル・マイノリティの人々が、社会で生きる上で抱える困難を重ね合わせて共感することが出来る可能性について語られている。

 それは反対に、現実には異性愛女性でありながら、異性愛規範的で家父長主義的な社会の中で「女性」として生きることへの抑圧を感じているBL愛好家の女性たちが、男性同士のラブとセックスを描いた物語や主人公たちの関係性に惹かれ、癒され、救いを求めることとも通じているだろう。

 どんな属性の人も、「自分のためではない物語」に共感したり、勇気付けられたり、大切に思ったりすることはある。その思いは誰からも否定されるべきではないし、尊重されるべきものだ。しかし、それが社会の中でのマイノリティ(ゲイ・レズビアン・アセクシュアル・トランスジェンダー・ノンバイナリーなど)の姿を描いた作品であり、自分がその当事者ではない場合、とりわけマジョリティであるシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と性自認が一致)・ヘテロセクシュアル(異性愛者)である場合には、その内容に差別的な部分がないか、あるいは当事者である人々の表象や声を奪おうとしていないかを、その都度丁寧に考えようと努める誠実さを、持つ必要があるのではないだろうか。

 いずれにせよ、BLをはじめとして、セクシュアリティやジェンダーのマイノリティが登場する物語が増え、社会の中の多くの人の目に触れて積極的に楽しまれるようになることは、間違いなく良いことだ。女性たちが自らの快楽を追求することが、女性自身やセクシュアル・マイノリティの人々を社会の抑圧や差別から解放していく手がかりへと繋がっていく「BL」を発展させていったように、それ以外のマイノリティを描いた作品についても、楽しさや愛や誠実さをもって、同じように発展していく未来を、願わずにはいられない。 

 BLの素晴らしさや楽しさを再認識し肯定しつつも、マイノリティのことを描いた作品を当事者でない立場から作ったり見たり語ったりするときに、不当に当事者を傷つけ消費しないために「誠実な想像力」を働かせることの大切さと、そのための具体的な視点やヒントを丁寧に教えてくれる『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』は、BLやクィアな物語を楽しむすべての人の必読書として、ぜひおすすめしたい一冊だ。

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