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<前回までのあらすじ>
特別養子縁組で、我が子に出会えた著者夫妻。偏見を恐れることなく、養子縁組をしたことを周囲に報告します。実親と同じように恐ろしいほどの母性愛や父性愛を感じたり、養親ならではの自分たちに出会うまでの子どもの日々に思いを馳せたりして……。
第3章 アンの子ども時代:乳幼児のアン
アンを迎えた直後はとまどったこともありましたが、すくすくと成長するアンに合わせて、夫と私も親として少しずつ育っていました。
乳児院である赤ちゃんハウスには、1か月に一度くらいのペースでアンと一緒に訪問していました。この施設にアンが預けられることはなかったのですが、私たちが親子になったことを園長先生をはじめ、シスターや保母さん、洗濯係の女性たちまで、みなさんがとても喜んでくださいました。いろいろなことを教えていただいたし、親しくなった保母さんもいたし、何より懐いてくれた赤ちゃんたちに会いたくて、「いつでもいらっしゃい」との言葉に甘え、育児相談がてら寄らせていただいていました。アンが寝ているあいだにお手伝いもできたしね。
アンが8か月になる頃までは、毎月、夫のお給料が出ると気持ちばかりのおみやげを用意して、うきうきと車を走らせたものです。小さなお兄ちゃんやお姉ちゃんもたくさん。アンも大喜びで、楽しい時間でした。
ある日、いつものように遊びにいくと、プレイルームのテレビの前にみんなが集まって座っていました。少し前のひな祭りの様子を映したビデオが流れています。ハウスでは、季節ごとのイベントもたくさんありました。それぞれの保母ママたちは「ほらっ、ひまわりちゃんだよ!」「さとるくん、映ってるよっ!」と膝にのせた担当の子どもたちに一生懸命に呼びかけています。ところが気がつくと子どもたちは、私の膝にのったアンが大喜びで画面を指して大きな声を出し、服をひっぱってはニコニコしてはしゃいでいる様子をめずらしそうに見ていました。私は少しショックを受けました。
本当は赤ちゃんハウスへの訪問を続けたかったのですが、私に甘えるアンの様子が他の子どもたちの目にどう映るのかが気になり始めると行けなくなりました。それに次々と2歳のお誕生日を迎えた子たちが、別の施設に移っていくのを見送るのもつらすぎました。女の子は、赤ちゃんハウスの隣の「女の子のおうち」へ移れるからまだいいけれど、シスターたちが管理する施設に男の子はとどまれないのです。親代りの保母さんは、引き継ぎのあとも心配して、移った先の児童養護施設によく連絡していました。
その後も、幼稚園に入る前にアンの特別養子縁組が整ったことを報告に行ったり、小学生のアンと玄関でご挨拶したりと何度か立ち寄りました。が、以前のように子どもたちとの関わりはありませんでした。というより、弱い私は関わりを持てなかったのです。
こうしてアンが来て時が経っていきましたが、近所には「もらった子を育てるなんて……」とひそひそ言う人もいたようです。でも、「どうぞ、なんでも言っちゃってくださいな」という気持ちでした。よそはよそ、うちはうち。アンのかわいさですべて帳消しだから、うわさも平気! 初めてのカゼまで記念写真を獲っちゃう親バカの夫と、自分でもあきれるほど強靭な母に変身した私は、アンが1歳のお誕生日を迎える頃にこんな話をしていました。
「かわいいアンが大人になって年を重ねて、その頃には私たちはいないんだね。結婚して自分の家族をつくっているかもしれないけど、ひとりっこのアンは寂しいね、きっと。アンのためにも、もうひとり赤ちゃんを育てることを考えてみようか」と。
早速、児童相談所のまーにいちゃんのところへ。活発に歩きまわるアンのかたわらで「なるべくアンと年齢の近い妹を育てたいのですが」と希望を伝えました。ところが、まーにいちゃんいわく「待機里親さんは今5組で全員女の子希望ですから、妹は難しいですね。ただ男の子の希望はないので、それでしたら次ですよ」とのこと。後継ぎだなんだと重圧をかけたくないので、アンのときも女の子を希望した私たちでしたが、帰宅して夫とじっくり相談です。自分で産むなら選べないんだからと、男の子を受け入れたいと連絡しました。
ところが、しばらくして、まーにいちゃんから連絡がありました。
「女の子希望の待機里親さんたちが待ちくたびれて、どの方も申し合わせたように“男の子でも、女の子でも、とにかく受け入れたい”と児童相談所に相次いで言ってこられたので、残念ながらメイプルさんには新しい委託はないでしょう」
こうして小さなアンは、小さなお姉ちゃんにはなれなかったのです。このときに聞いた話では、待機里親が多く、なかなか赤ちゃんと養親の縁が結ばれないのは、実の両親を説得するのが難しいという事情があったようです。特別養子縁組どころか、一時的に里親に預けることさえ、なかなか保護者が納得してくれないとのことでした。
残念ながら、アンに弟をつくってあげることはできませんでしたが、その後、アンが小学校3年生の頃から自宅でベビーシッターを始めました。お泊りもあるという赤ちゃんと、親戚の赤ちゃんをふたりまとめて預かったことも。私は赤ちゃんが大好きだし、もちろん増収も魅力でしたが、いちばんに考えたのはアンのことでした。ひとりっ子のアンのためにいいんじゃないかなって。夫は、のんきな私のことを心配していましたが、アンは大喜びで「いつからお泊り〜?」と待ちきれないほどでした。
ベビーシッターをしていたふたりとアンの3人姉妹の時間は、ふたりが小学生になるまで続きました。いつもにぎやかだったこの時期は、アンにとっても、私にとっても大切な思い出です。(続く)
次回更新は10月18日(月)です。