「そやな」で気づいたアイデンティティー アジア系でニューヨーカーで日本人で大阪人のわたし 

文=堂本かおる
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GettyImagesより

 大阪弁で会話する “ツイ友” が、わたしには何人かいる。日本にいた時からの友人だけでなく、ツイッターで知り合った関西出身のアメリカ永住者たちだ。

 関西人の場合、普段は標準語でつぶやいていても時に関西弁が混じってしまう。それを目にした他の関西人は無意識に関西弁で反応する。このパターンを繰り返しているうちに仲良くなり、以後、ツイッターの会話はオール関西弁となる。相手がわたしにではなくフォロワー全体に標準語でつぶやいた時もわたしは関西弁で「そやな」とリプライしてしまい、相手も「せやろ」と返してくる。

 もう何年も前に始まったこのやり取りが、わたしに大阪人の自覚を呼び覚ました。

 大阪人の自覚などと言うと、おもろい人、芸人、みたいに解釈されるかもしれないが、そうではなく、単に大阪出身者、大阪が故郷であり、大阪の言葉がわたしの第一言語という意味だ。

生い立ちは、根無し草

 わたしは生粋の大阪人ではない。両親は神戸と岡山の出身だ。わたし自身は京都で生まれ、2歳で大阪に越している。父親が転勤族だったために、以後も父の会社の本社があった大阪を起点に関西以西の数カ所に住んだ。香川県の高松に暮らした時期もあり、うどんのコシと出汁には今もうるさい。こういった具合なので、出身地を聞かれると一応、大阪と答えてはきたものの、大阪人という強いアイデンティティーは無かった。

 もっとも、東京で2~3年勤めた時には周囲から思いっきり大阪人扱いをされた。同僚に関西人がいて、彼とわたしの会話が「ナチュラルにボケとツッコミになっている」などと言われた。単に日々、仕事の打ち合わせをしていただけなのだが。

 そんなふうに周りから面白がられたが、母語である大阪弁を「直す」などという気にはついぞならず、関西人の同僚とは関西弁を使い続けた。東京の方言は覚えなかったが、標準語のイントネーションは難なくマスターし、いつの間にか新規の取引相手はわたしが大阪人とは気付かなくなった。大阪弁と標準語のバイリンガルになったのだ。

 思うに、子供の頃から根無し草的に引越しを繰り返したため、異なる環境に無意識に適応してしまうようになったのではないだろうか。20年以上も前にニューヨークに住み始めた時もホームシックにかかることもなければ、アメリカやニューヨークに特段の違和感を持つこともなかった。

ニューヨーカーの複数アイデンティティー

 ニューヨークではブラックカルチャーを専門とするライターとなった。当初は目にするすべての事象が新鮮で、警察暴力、人種差別、音楽、映画、ファッション、コミュニティー、教育、政治、犯罪……と、とにかく書きまくった。アドレナリンが出まくっていたのだろう、執筆量は相当なものだった。

 おのずと黒人社会内部の多様性にも着目せざるを得なかった。日本にいた頃になんとなく得ていた知識では、アメリカの黒人は「奴隷の末裔の、いわゆるアフリカン・アメリカン」だった。ところがニューヨークに来てみると、アフリカ諸国、ジャマイカやハイチをなどカリブ海諸国からの移民も多かった。それぞれにコミュニティーがあり、アフリカン・アメリカンとは共通項もあればまったく異なる面もあり、その関係性は複雑にして微妙だった。

 やがてライターとして移民も取材の対象に加え、黒人に限らず、中南米、アジア、ヨーロッパなど世界中からニューヨークにやってきた移民たちをインタビューした。ひとくちに移民といっても子供の頃に親と共にやってきて訛りのない英語を話す人もいれば、大人になってから移住し、英語で苦労しながらもビジネスを成功させた人もいた。問題なく永住権や市民権を取得できた人もいれば、ビザ無しで不法入国した人もいた。

 インタビューの最後に必ず、「あなたは自分をなに人と思いますか」と聞いた。答えはさまざまだった。米国市民権を取得済みの人なら書類上はアメリカ人だが、「心はいつまでもアフリカ人だ」と言い切った人がいる。「もう20年もアメリカに暮らしているから半分アメリカ人で、半分ジャマイカ人かな」と考えながら答えた人がいる。しばらくの沈黙の後、「アメリカで成功したくて来たからアメリカ人と思ってほしい」と言った人もいる。

 だが、どの人もコミュニティーの中では母語を話し、自宅や、人によっては職場でも祖国の料理を食べている。不法滞在者でない限り、ある一定の間隔で国に帰り、親や親族に会っている。誰も自分を「100%アメリカ人」、または「100%メキシコ人」などとは思っていない。皆、それぞれに複数のアイデンティティーを併せ持っているのだ。

 ハイチ出身の女性がいるとしよう。彼女は「ハイチ人」であり、「カリビアン」であり、「西インド諸島人」でもある。人種は「黒人」で、今はアメリカに住むことから「アフリカン・アメリカン」でもある。ルーツにこだわる人であれば、祖先は「アフリカの〇〇族だった」とまで言う。「移民」ではあるが、市民権を取得した「アメリカ人」でもある。かつ「ニューヨーカー(ニューヨーク市の居住者)」であり、ハイチ人コミュニティーのあるブルックリン区に住む「ブルックリン民」だ。アメリカでは「英語話者」として暮らしているが、「ヘイシャン・クレオール話者」であり、ハイチのもう一つの公用語の「フランス語話者」の可能性だってある。「クリスチャン」であると同時に「ヴードゥー信者」かもしれない。もちろん性的指向・性自認についての自覚もあり、他にも本人しか認識していないアイデンティティーがあるかもしれない。

 1人の人間がこれほどたくさんの異なるアイデンティティーを持っていて、これらは本人の中でなんの矛盾もなく、すっきりひとつに収まっている。もちろん、そこに至るまでに「わたしは一体、何者?」と、模索と葛藤を繰り返して来たのかもしれないが。

アジア系の強烈な自覚 in アメリカ

 わたしはニューヨーカーのこうしたアイデンティティーの複雑さを聞き取り、描写するのに忙しく、自分自身のアイデンティティーの模索に時間を費やすことはしなかった。そもそも日本で日本人の両親から生まれ、日本語しか話さずに育ったゆえにアイデンティティー模索の必要も無かった。

 だが、アメリカで暮らす年月が長くなるほど日本人、というよりアジア系としての自覚が強まっていった。人種の多様な国だけに自身の人種民族は良くも悪くも日々の生活にかかわってくる。ドラッグストアのレジの女性がわたしの前の客には愛想よかったのに、わたしには不躾なのはわたしがアジア系だから? 映画やドラマでアジア系のキャラクターが前髪ぱっつんのステレオタイプなのはなぜ? 通りすがりに「ニーハオ? あれ、違うの? じゃあ、アンニョンハセヨ!」って言われるの、もう何回め? とどめは言うまでもなく、トランプの「チャイナ・ウイルス」に触発されてのアジア系へのヘイトクライムだった。これは命にもかかわるだけに冗談では済まなかった。

 同時に、先に挙げたジャマイカ人女性のように「日本人ではあるけれど、半分はもうアメリカ人かな」という気にも、いつしかなっていた。日常生活のすべてがここアメリカにあり、家族とは英語で話し、税金もここで納めている。大統領が変わり、法律が変われば、それが自分の生活にダイレクトに反映する。並行して日本の時事にはどんどん疎くなっていく。

母語の重み~大阪の言葉で思い知ったアイデンティティー

 こんなふうに自分のアイデンティティーがぼんやりしていた時期に、ツイッターで大阪人たちに出会った。大阪弁でやり取りをしているうちに、自分にとって最も自然な言語がじわりじわりと心と脳内に染み込んでいった。「わたし、大阪人やったんや」と思えた。初めてのことだった。

 アメリカも州はもちろん、州内の細かく分かれた地域ごとに文化や風土だけでなく、言葉すら異なる。ニューヨーク市内にしか住んだことのないわたしは、ニューヨークしか知らないという意味でニューヨーカーだ(ちなみにここは住むにはなかなかキツい場所で、ニューヨーカーはオシャレなヒトの代名詞では決してない)。

 と言うわけで、アメリカに住むわたしは今や「アメリカ人」でもあるが、絶対的に「アジア系アメリカ人」であり、かつ「ニューヨーカー」だ。同時に「移民」であり、もちろん「日本人」でもあるのだが、日本という大きな括りより、「大阪出身者」なのだと感じる。ツイッターで大阪弁を使い始め、母語の重みに気付いたがゆえの大阪人アイデンティティーだ。ツイ友たちよ、心から、ありがとう。

 言葉て、ほんまに重要やねんな。
(堂本かおる)

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