
Gettyimagesより
前回までのあらすじ
特別養子縁組で、かわいい我が子に出会えた著者夫妻。偏見を恐れることなく、養子縁組をしたことを周囲に報告します。もうひとり子どもを引き取りたいと思いましたが、待機里親が多く、その願いは叶わなかったのですが、子育ての日々は充実していて。
第3章 アンの子ども時代:乳幼児のアン
かわいい娘・アンと法律上もきちんと親子になるには、里親になるのとは別に、特別養子縁組の手続きが必要です。
当時の児童相談所の方針だったのか、まーにいちゃんはのんびりしていて、「しばらくは里親で様子をみましょう」「急がなくてもいいでしょう」と、特別養子縁組の手続きはなんとなく先送りになっていました。ですから、このときはまだ私たちとアンの名字は違っていたわけです。
でも、アンが3歳になった頃、こちらから児童相談所に「なんとかアンが幼稚園に入園する4歳までには間に合わせたいです」とご連絡し、いよいよ特別養子縁組の申し立てを始めました。家族でのお出かけや行事のときの写真だとか、戸籍謄本などの書類を整えて、2、3回はアンと一緒に家庭裁判所へと足を運んだように思います。
また、裁判所の方による家庭訪問もあり、思いがけず二階の寝室までチェックが入り、片付けが苦手な私は赤面することに。ああ、今思い出しても恥ずかしい。「あんな思いは二度としたくない!」と、そのときは猛反省しました。
そしてアンが4歳になる直前、裁判所から特別養子縁組が成立したとの通知が届きました。0歳からもう4年も一緒に暮らしていたので、気持ちは完全に「うちの子」だったのですが、はっきりと「長女」と記載された住民票を手にし、夫とふたりでしみじみうれしく眺めたことを覚えています。
もう遠い昔のことなので、細かい手続きのことはほとんど覚えていないのですが、その折に裁判所の方にアドバイスされたことは印象に残っています。
「裁判所という言葉は記憶に残るので、あまり口にしないほうがいいですよ」
「血液型は両親のどちらかを(嘘をついて)子どもと同じにしておいたほうがいい」
つまり、せっかく特別養子縁組をするのだから、養子だということはかくして育てたほうがいいということでした。だまって聞いていましたが、私は内心とてもあきれました。
そんなことをしたら、あとで大変なことになっちゃうでしょう。かくすような悪いことでも恥ずかしいことでもないでしょう。特別養子縁組をしてくださる立場の方なのにずいぶんおくれているのでは……などと思ったものです。
特別養子縁組をして、うちの名字になったアン。じつはアンの名前は、実父がつけたものでした。特別養子縁組をする際、改名することもできるので、私もアンの名前をそのままにしておくかどうか、ほんの少し考えました。が、ちょっぴり古風なアンの名前が案外に好きだったのと、生命を別にして、たったひとつ産みの親からもらったものだと考えて改名はしませんでした。
手続きのときに、子どもの名前を変える方もけっこう多いみたいで、そのお気持ちもよくわかります。自分たちの願いを込めた新しい名前で呼びたい。それも真摯な親心ですから、ケースバイケースでいいですよね。(続く)
次回更新は11月1日(月)です。