投票の前には「まだ見ぬアメリカの夢」を観る――選挙と〈アメリカン・ユートピア〉

文=小森真樹
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GettyImagesより

 デヴィッド・バーンは「ヨーロピアン」で「アート」的。ファンのあいだでは、たしかそんなふうに形容してた。

 1980年代ニューヨークのニュー・ウェイヴを代表するバンド、トーキング・ヘッズ。フロントマンのバーンは、スコットランドで生まれアメリカの名門美大を経てニューヨークの音楽シーンへ。これがロック史の教科書的な語り。『アメリカン・ユートピア』は、この語りの問題点をアーティスト自ら乗り越えようとしたような作品であり、数十年の時を経たアメリカ社会の変容を写す鏡にもなっている。

 本作は、デイヴィッド・バーンによる2019年初演の舞台の映像化である。元は2018年に同名で発表されたアルバム作品とライブツアー。そこからブロードウェイへと移って物語性を高めたミュージカル作品へと展開し、さらに舞台を撮影した素材を編集し映画として再構築された。映画版の監督には、アフリカ系の社会問題を挑発的に問うてきたスパイク・リー。アメリカでの公開は、コロナも吹き荒れる2020年秋。日本では2021年春公開となった。

「ヒート」と「クール」のバランス感覚

 本作はミュージカル映画だ。バーンのソロ作表題アルバムの曲に加えて、トーキング・ヘッズ時代の曲も含めて構成されている。象徴的なポエトリーのような歌詞が作品世界をつむいでいく。ダンスがある。シャープでコミカルだ。シンプルで見ていると踊りたくなる。計12名の演奏者は、すべて身につけた楽器を弾く。高い音響技術でノイズもなく音が拾われる。衣装は薄めのグレースーツに裸足で統一。照明によって消える色だという。

 曲と曲のあいだに時折り挟まれるのが、デヴィッド・バーンの独白劇。歌詞世界やダンスと同じく、洒落た笑いと軽快なタッチで、シリアスな社会問題を観客に問う。

 例えば投票率のネタ。

「地方選挙も問題だよね。なんと投票率は約20%。目で見えるようにするならこう。はい」
舞台が暗くなり、2割の観客席にだけ照明が当てられる。
「彼らだけが我々の将来決めてます。子供たちの将来も」
笑いが起こる。
「あとちなみになんですけど。投票者20%の平均年齢、57歳。(観客の一人がイェイ!)おめでとう!」
会場は爆笑だ。ほとんどスタンドアップコメディ。

 インディーロック発のアート映画が投票を促す、と聞くと驚く読者もいるだろう。特に盛期のトーキング・ヘッズのファンは、シニカルな彼らの印象もあってそう思うかもしれない。

 選挙や政治や社会課題という熱っぽくなりがちなものがクールに表現され、きゃっきゃと面白がってるうちに、なんだかグッときて最後は朗らかな気分になる。こういう経験ができる作品はけっこうめずらしいのではと思う。「ヒート」と「クール」の好バランス。

歴史を今につなぐ「プロテスト・ミュージカル」

 他にはどのような主題が扱われるのか。下に挙げてみよう。

「選挙の意義と投票率の向上、民主主義について」
「国籍、人種やジェンダーの多様性が社会に与える意味」
「警察機構の腐敗と歴史に遡る人種差別、とくに黒人差別。反人種差別運動」

 まさに現在、アメリカを含め世界中で突きつけられている問題だ。これらが先の要領で、とても軽やかで知的に言葉にされていく。爽快感がある。

 「過去と現在のファシズム批判」に触れたところを取り上げよう。クルト・シュヴィッタースやフーゴ・バルといったダダイストのエピソードで織りなされる。ナンセンス詩で知られるアーティストたちだ。

「彼らは理解不能な世の中を、理解するために、理解不能を使ったんだ。ちょっと説明が必要だよね。」
(バーン、意味不明な言葉を喋る)
「これが40分間続くんだ」
(会場笑い)

 シュヴィッタースが書いた音響詩《ウルソナタ》だ。不条理な現実を描く芝居は、このように「理解不能」な様になってしまう、というわけだ。

 バーンが説明を続ける。「これが上演された頃1930年代のドイツでは、経済不況に陥るなかでナチスが台頭し、ファシズムが人々の間で影響力を蓄えていきました。」ポピュリズム的指導者を大統領にした、現在のアメリカの影が重なる。

「フーゴ・バルは言いました。「戦争」や「ナショナリズム」のようなリアリティと別の次元で生きる、独自の価値観を持った人々が世の中にはいる――アーティストです。彼はこう訴えました。」
観客が喝采する。
〈I Zimbra〉の演奏がはじまる。ブライアン・イーノの勧めで、バーンがバルのナンセンス詩を引用した曲だ。

 現在アメリカ社会が抱える課題はファシズムだけではない。先に挙げたような様々な問題を引き起こした要因の大きな一つは、トランプ大統領の台頭がある。見方を変えれば、こうしたアメリカ社会の窮状を示す「症状」として現れたのがトランプだ。製造業衰退と交代するように跋扈する金融資本主義。こんな状況に嫌気がさして、人々の関心は排外主義やポピュリズムへと向かってしまった。当時のドイツでダダイストが憂いたように。

 1937年ナチスドイツは宣伝相ゲッペルスの元、シュヴィッタースを含めた近代美術の作品に“税金を無駄遣いしている”とキャプションをつけて「退廃芸術」として展示し、大衆の怒りを煽った。それに対比して開催された「大ドイツ芸術展」は「アーリア人的」で「正しい」ドイツ芸術を教育するものだった。アーティストは、こうした動きに表現で対抗する存在だ。

 本作が制作されたのはまさにトランプ政権下。映画の公開は、トランプ政権が続くか否かが問われた2020年の大統領選の真っ最中である。だからバーンは観客に選挙への参加を促す。

「2016年のツアーではね、まだの人は選挙人登録をしてねって声をかけたんだ。登録済みの人は投票してねって」

 アメリカでは、日本のように投票権が自動で送られてこない。投票にはまず登録が必要だ。

「ここでも同じことをしよう。HeadCountの協力で、ロビーで簡単に選挙人登録ができるようにしました。どこの州でもね。」

 HeadCountは、特にミュージシャンたちと連携して選挙や民主主義への参加を促進するNPOだ。

「あと、選挙人登録をしますという宣誓書を書くためのブースも設置しました。誓いに法的な拘束力はないけどね。自分への約束ってとこ」

 プロテスト・ソングならぬこの“プロテスト・ミュージカル”は、普遍的なメッセージを目指すいわば“芸術のための芸術”に留まらない。芸術の今と昔をつなぎ、具体的に政権交代につなげるため、民主主義を立て直すための社会運動の芸術である。

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