投票の前には「まだ見ぬアメリカの夢」を観る――選挙と〈アメリカン・ユートピア〉

文=小森真樹
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社会を語る、共に語る

 映画を監督したスパイク・リーは、まさしく芸術と社会運動の交差地点で活躍する急先鋒である。映画化のときに強調された大きなポイントは、人種差別是正を訴えるメッセージだ。バーンたちは、ジャネール・モネイによるプロテスト・ソング〈Hell You Talmbout〉をカバーする。

 タイトルの「何言ってんの?(”what the hell are you talking about?”の略)」に続いて、「名前を呼ぼう!(Say her/his name!)エリック・ガーナー!」と、名前を順に呼ぶコール&レスポンスが続く。警察によって命を奪われた犠牲者の黒人ひとりひとりの名前を記憶しようというメッセージだ。この曲は、数々の差別発言にも関わらずトランプが大統領に当選した直後、世界各地で行われた(日本でも)抗議集会「女性の行進(Women’s March)」のスピーチでモネイが歌って以降、人種差別に抗議する代表的なものになった。

 映画は、警察暴力の犠牲となった数十名の肖像・名前・生没年月日が、次々に浮かび上がる演出が施された。その中には、公民権運動も前夜の1955年夏、白人によって目玉をえぐられる程のリンチで惨殺された14歳の少年エメット・ティルのような人物もいて、悲劇の歴史が今に続くものであるということも伝える。ともすると黒人当事者からの反感を招く可能性もあるカバーが、「黒人・活動家」というリー監督の当事者性によって、より広い観客層の共感を誘うものになっているだろう。むろん映画だけでなく、そもそも演者たちにも人種や国籍の多様性が高い。

 2020年5月ミネアポリスで、黒人男性ジョージ・フロイドが警官に9分ものあいだ首を地面に押しつけられて殺され、それを目撃していた人々が撮影した映像がSNSを通じて世界へと広がった。この事件以降、ブラック・ライヴズ・マターは世界規模に拡大し、より普遍的な人種差別・格差の構造を批判する社会運動へと展開した。映画版では、2019年初演を撮影した時には存命だった三名の被害者の名前がリーの手によって加えられ、ラストシーンでは画面を被害者名が埋めつくしAnd Too Many Moreの文字が示される。昨年はコロナ禍で延期になっていたが、今年9月から来年の3月までブロードウェイで上演中だ。そこでは三名の名前が歌われている。

 リー監督とバーンが協働したことで映画版は、さらなる当事者性と同時代性が加えられ、歴史が今に続く連続性を体現したものとなった。2020年のBLMの拡大は、人種を超えて広がったことに依るところが大きいが、バーンとリーが「共に語る」本作は、反人種主義運動が人種で分断されることなく、過去から現在、未来へとつながるという「ユートピア」を示したものになっている。

自分の「今」を見せ、歴史を語り直す

 さらに考えたいのは、デイヴィッド・バーンのアイデンティティである。人種差別に対する訴えでは、語りの中身とは別に、その声が当事者かという点が大きな意味を持つ。白人のスコットランド系アメリカ人(そして、貧しくもないだろう)のバーンが発するメッセージは、不可避にその属性を背負う。

 当事者性という点では、バーンが2012年にイギリスとの二重国籍を捨てアメリカで国政への投票権を獲得したことは大きい。「アメリカ市民」となり、彼自身、政治参加が「自分ごと」になったとインタビューに答えている。

「確かに世の中のシステムは全然完璧じゃない。政治不正もゲリマンダリング(不平等な選挙区割り)も、投票妨害もある。でも同時に、これらの課題解決に取り組んでくれる私たちの代表に投票することでしか、変化は起こらないんだ。私たちは“声”を持ってる。路上でデモをすることもできるけど、すべての市民は投票する権利という声を持っているんだ。これは長い時間をかけて勝ち取ってきたものだ。そこには失われた命があった。投票権を軽く扱っちゃダメだ。投票ができない国も山ほどある。私たちは、投票しなくちゃいけない」

 「アメリカのユートピア」という主題は、彼にとって民主主義の上でも「私たちの世界の話」となった。

 本作で用いられた楽曲も含めて、バーンはこれまでアイロニカルで風刺的な作品世界を生み出してきた。彼が、過去の楽曲も構成に入れて、アメリカ合衆国のユートピア=この世のどこにもない桃源郷について物語るならば、そこに否定的なシニシズムを読まれることは避けがたいかもしれない。しかしバーンが本作で実現したいことはそうではなさそうだ。実直に人々が協働して、新しいアメリカがユートピアになっていく可能性を見出したい、そんなポジティブなものである。

 これにはバーン自身の表現、また同時にアートヒストリーへの反省を必要とした。彼の過去の作風に付随するイメージを連続させつつ、現代社会において差別的であったり浅はかにならないよう工夫したようで、先に指摘したバランスの良さもこの結果ではないだろうか。現代の人々に誤解を持たれず、かつ自身のスタイルにも落とし込まなくてはならない。例えば、ライブツアー版で歌ったトーキング・ヘッズの代表曲〈Psycho Killer〉は猟奇殺人鬼の心象を扱ったものだが、ミュージカル版では、安易な社会悪批判または礼賛などと矮小化されるおそれがあるとして演奏するのをやめた。こうした微調整をしている。反人種主義運動を象徴する〈Hell You Talmbout〉をカバーするにあたっても、自身の非・当事者性が暴力として受け取られないか、モネイに直接「自分はこの曲を歌うことができるだろうか?」と相談したという。上演の中でも、女性の行進のときにその場にいてモネイが歌うのを聴いた、と触れた箇所がある。

 当事者性と対象との距離の取り方が非常に繊細な問題と受け取られる現在、「他者」が外側から安直な表現を行うことには共感が得られにくい。さらに、トーキング・ヘッズ時代にはプロモーションビデオの作中でブラックフェイス(=黒塗り。白人が黒人を演じた差別の歴史がある。過去記事の解説も参照)をする「失態」を犯したことも背景にあったと思われる。インタビューでも、無知だった当時の自分を反省していると述べている。

 これには、当時のニューヨークのアートシーンにおける、アバンギャルドとして「民族芸術」を扱う風潮について補足しておくべきかもしれない。例えば、1984年からニューヨーク近代美術館で催された「20世紀におけるプリミティヴィズム展:部族的なるものとモダンなるものとの親近性」では、キュレータのウィリアム・ルービンが、ピカソなど西洋美術史への非西洋芸術の影響や両者の類似性を強調する展示を企画した。これは「自文化」の近代西洋のアートの中に「異文化」を「発見」したり、また並列に見せようとする態度であり、文化相対主義と呼ばれる。文化人類学界隈などを中心に批評家たちからは、温情主義的な(=上から目線で過保護的な。パターナリズム)西洋中心主義だと批判された。この歴史の中でアメリカン・ユートピアを理解すると、アメリカ社会の多様性の高まり、あるいはアメリカ社会が「多様性」についていかに理解するようになったのか変化がよく見える。

 トーキング・ヘッズはミニマルなパンクに「民族音楽/ワールドミュージック」を取り入れたスタイルで知られた。1970年代後半からブライアン・イーノとのコラボレーションをきっかけにその傾向が高まり、アフロビートの名を世に広めたナイジェリアのフェラ・クティなどの影響下、ウェスタン・アフロ・ポリリズムなどの「民族音楽」的表現を多用した。植民地主義と帝国主義で非西洋を蹂躙してきた上に成り立つ西洋文化の実践において、「非西洋」を安易に“素材”にすることそれ自体の暴力性に自省的であれ――これがルービンの展覧会に対して文化批評家たちが投げかけた問いかけであるが、ポップミュージックシーンにおいてはこの批判はまさしくトーキング・ヘッズに対して問われるべきものであった(なお、クティは黒人解放運動にも参加して政治的な表現でも知られる)。

 しかし、美術界と比較してもポピュラー音楽界ではこうした「ポスト植民地主義批評」的な問いかけはあまり大きな声になってこなかったように見える。今回の『アメリカン・ユートピア』はバーンにとって、自身の表現やアートシーンにおける白人性への向き合い方を再提示する好機になったと言える。

 先にも触れたように、12名の演者には、肌の色や化粧など見た目からも多様性が伝わってくる。途中出身地を紹介するところがあり、アメリカでも東部・南部・中西部と様々で、国籍もフランス、カナダにブラジルと多様である。男女、女性、クィアを自認する演者もいる(とくに「多様性」を高めようという意図で演者を集めたのではないというが、とかくタテマエ的になりがちなこの点が目的化していないところもよい)。〈Hell You Talmbout〉のパフォーマンス前のトークでバーンはこう言う。

「この曲は可能性の歌です。変化する可能性。不完全なこの世界で。そして不完全な自分自身も。私もまた、変わらなくてはならない」

 バーンがブラックフェイスを行い批判されたのは、『ストップ・メイキング・センス』(1984)のプロモーションビデオだった。興味深いことに、これは多様な人物に扮したバーンが劇の主人公であるバーン自身にインタビューをしているというものだった。今回『アメリカン・ユートピア』で行った反省は、過去の自己を振り返ることでもあり、過去の自分が自分自身を見つめる仕方への反省なのである。この奇妙な符合は、「同時代の歴史」とは、主観からは逃れえないということへの省察をも示している。

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