トランプを落選させたのは私たちかもしれない〜わたしが米国市民権を取ったワケ

文=堂本かおる
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GettyImagesより

 10月31日の衆議院選挙はいろいろ波乱があったようだけれど、アメリカも11月2日が選挙だった。こちらは毎年11月の第1火曜日が投票日と決まっていて、つまりバイデン vs. トランプの、あの大統領選から早くも1年が経ったのだ。コロナ禍での選挙戦、揉めに揉めた「不正投票」疑惑、トランプ支持者による今年1月6日の米国議事堂クーデター未遂事件……思えば、いろいろあった。

 今年、ニューヨークでは市長選、マンハッタン区長選etc. とさまざまな地方選挙があった。わたしは投票所の小学校に出向かず、早々に郵便投票で済ませた。コロナ禍ということで、ニューヨークでは希望すれば誰でも郵便投票ができたのだ。

 さて、ここでわたしの黒歴史の告白です。

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 ええ!? 渡米以後、政治に関する記事を偉そうにバンバン書いてきたくせに、なんと。

政治に関心ゼロ

 バブル世代の最後をかすめていたわたしは、政治にまったく興味がなかった。CDとビデオの卸し会社に勤め、連日が残業残業また残業。遅く帰ってすぐに寝るのは耐えられず、帰り道にビデオ・レンタルのアコムで映画のビデオを借り(商品であるビデオを持ち帰ることは出来なかった。アダルト作品のサンプルは担当者が男性社員に貸し出していた)、1本観てからベッドに入るのが習慣だった。それ以外のことをする時間と気力がなかった。

 前回のコラムに書いたように、引越しの多い根無し草だったために地元への愛着が薄かったことも多少は影響していたのかもしれない。

 これらは言い訳に過ぎない。あの時代、自分の暮らしに直接に関わる政治的な危機を感じなかった。異常なほど残業をしなければ回らない勤務先の業態は大きな問題だったと今なら理解しているものの、そこそこの金額の残業代が出ていて、それを貯金して渡米することができた。今の若い人の年収では無理なのでは無いかと思うが、結局、「お金をもらえれば、それでよし」とマヒしていたのだ。

アメリカ生活を変えた市長選

 1996年の秋にニューヨークに渡ると、すぐにビル・クリントン2期目の大統領選があった。

 政治に無関心だったとはいえ、これはきっと盛り上がるのだろうなとイベントじみた興味はわいた。けれど安定の勝利が見込まれていて、大した盛り上がりはなかった。実際、共和党候補のボブ・ドールに大差をつけてクリントンが再戦を果たした。大統領選の10日ほど前にニューヨーク・ヤンキースがワールド・シリーズで優勝し、ニューヨーカーもそれで興奮し過ぎて、選挙は「どうせクリントンが勝つし」と思っていたのかもしれない。そもそも当時のわたしには政策を読 んだり、聞いたりして理解するレベルの英語力もなかった。

 わたしがアメリカの政治に強烈に惹かれたのは、翌1997年のニューヨーク市長選からだった。わたしの「アメリカ観」を根幹から変えた事象のひとつとなった。

 白人男性の現役市長に対し、ユダヤ系女性とアフリカン・アメリカン男性の対抗馬が出ていた。

 現役市長とは、その後トランプの個人弁護士となり、昨年の大統領選後に「不正選挙」裁判を仕切っていたあのジュリアーニだ。裁判中はいろいろと目を疑う不審な挙動があり、F.B.I.による家宅捜査を受け、起訴こそ免れているもののニューヨーク州の弁護士資格を停止されている。

【シリーズ黒人史11】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~ジュリアーニNY市長

 1997年8月9日。ニューヨーク市ブルックリン。ハイチ移民の黒人男性アブナー・ルイマ(当時31歳)が警察署のトイレで白人警官4人にリンチされ、重傷を負った…

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トランプを落選させたのは私たちかもしれない〜わたしが米国市民権を取ったワケの画像2 ウェジー 2021.07.15

 当時は人種差別的な政策からアフリカン・アメリカンに強く反発されながらも、少なくとも言動はシャープで行動力もあり、荒廃したニューヨークの「クリーン化」を進めていた。そのジュリアーニが続投すべく2期目も立候補していた。

 リベラルの牙城であるニューヨーク市で共和党の市長に2期も務めさせるわけにはいかない。民主党の予備選ではハーレムを拠点とする黒人活動家のアル・シャープトンと、当選すれば初の女性市長となるルース・メッシンジャーが競い、メッシンジャーが勝った。ソーシャルワークを土台に、子供、貧困層、ホームレスの救済を訴えていた。

 政治が、政策が、人種や性別(当時のわたしには「ジェンダー」の意識もほとんどなかった)によって異なり、ここまで激しく衝突するのかと大きなカルチャー・ショックを受けた。言い方を変えると、社会のマジョリティーである白人男性が仕切る中央社会から、人種的マイノリティーや女性は意図的に取りこぼされてしまい、同等の権利(というか、ごく当たり前の暮らし)を得るには相当に強い意思を持って立ち上がらなければならないのだと学んだ。

 本戦ではジュリアーニとメッシンジャーの戦いとなり、ジュリアーニが勝った。アメリカでは選挙結果が出た直後に敗者も演説をする。勝者を称えながらも自分が目指す社会像を語り、支持者に今後も同じ理想を追うよう訴えるのだ。

 この日、メッシンジャーは女性として初の民主党市長候補となったことを誇りに思うと言い、続いてこう語った。

「このメッセージは私の演説をどこかで聞いているであろう幼い女の子へ、です。今夜、私は市長になれませんでしたが、ヤング・レディ、けれど、あなたはなれます」

 この後、メッシンジャーはティッシュで目元を拭った。あれから24年。今、この記事のために当時のニューヨーク・タイムズを読み直したわたしも、また少し涙ぐんでしまった。今日、ニューヨーク史上2人目のアフリカン・アメリカンの市長が誕生したけれど、女性市長はいまだにいない。

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