もう一つ、われわれ市民が見過ごしてはいけないのは「再調査」という言葉です。
この言葉は、普通は「過去にすでに徹底的な調査が行われた状況で、再度調査を行うこと」という意味で使われます。これを、森友学園問題で使うのは正しいのでしょうか?
2021年6月24日、自殺した赤木俊夫さんの妻・雅子さんは外国特派員協会で記者会見を行い、「再調査される側の人間である麻生財務大臣が、自ら再調査をしないと言い続けるのはおかしい」との考えを述べました。安倍氏と麻生氏は、すでに検察の捜査が済んでいることを理由に調査しないとしているが、「検察の捜査は刑事処分のためのもので、真相解明の調査とは別のもの」だから、というのが、その理由でした。
雅子さんはこの会見で「夫の死の真相を明らかにするため、第三者委員会による再調査を求める電子署名を始めた」とも話しましたが、論理的に考えれば、いずれも筋の通った主張だと思います。麻生氏は「調査される側」であり、また「検察の捜査」は立件が可能かどうかという範囲の調査に過ぎないのですから、真相解明の調査とは見なせません。
これに対し、麻生氏は2021年7月7日の記者会見で、雅子さんの主張について問われて「検察当局による捜査は『第三者』であり、再調査を行う必要ない」と切り捨てました。
ほとんどのメディアは、こうした議論を報じる際に「誰々、再調査はしないとの考え」という風に「再調査」という言葉を使います。安倍氏や麻生氏、自民党の閣僚らが異口同音に口にしているのですから、その言葉を使うことは「政治的中立」を逸脱しない、という風に、記者やデスク、政治部長は考えている、あるいは言い訳するかもしれません。
けれども、この「再調査」という言葉をメディアが留保無しに使い、見出しなどで繰り返し社会に拡散する行為は、「すでに捜査は完了した」という、自民党が国民に信じさせたい「ストーリー」の宣伝(プロパガンダ)に、実質的に加担する行為に他なりません。
森友学園問題について、過去に行われた「調査」は、財務省の調査と、検察による捜査の二つですが、前者は「不正の当事者である組織による内部調査」であり、立件の可否を前提とする後者の捜査と同様、事件の全体像を隅々まで明らかにする中立的かつ本質的な「真相解明の調査」としてはきわめて不十分なものだと言えます。
実際、雅子さんは一年前の2020年6月15日に、第三者委員会による再調査を求める署名を当時の安倍首相と麻生財務相に提出しましたが、その署名の数は約35万筆に達していました。これほど多くの人が「過去の調査は不十分だ」と見なしているという事実を、麻生氏は正面から受け止めず、翌6月16日に「再調査は考えていない」と答えました。
職務に忠実で正義感の強い、公務員の鑑のような赤木俊夫さんの死という悲劇を引き起こした森友学園問題は、このままウヤムヤにされてしまうのでしょうか?
報道でさりげなく使われる「再調査」する「お考えは?」という問い方は、問題をウヤムヤにすることを望む政治家と、それに気づいていながら加担する報道記者が、国民の心情を「幕引き」へと誘導する「不誠実な詭弁芝居」だと言えます。こうした詭弁にだまされないよう、われわれ市民は報道で使われる言葉に細心の注意を払うべきでしょう。
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