V6、26年の歴史に幕 デビュー時から追い続けてきた記者が6人の魅力を改めて振り返る

文=秘密のアツコちゃん
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V6公式サイトより

 11月1日、V6が幕張メッセで解散ライブを行い26年の歴史に幕を閉じました。デビューから成長を見守り続けてきたアツは感慨もひとしおな様子。今回はラストライブの様子も交えつつ、6人との思い出を語っていただきます。

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 皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!

 11月1日、V6が解散しました。デビュー26周年を迎えたこの記念すべき日に行われたラストライブには長年、彼らと共に歩み続けてきた大勢のファンの皆さん、そしてTOKIOやKinKi Kids、松本潤、二宮和也、櫻井翔、加藤シゲアキ、関ジャニ∞、亀梨和也、なにわ男子ほか多くの後輩たちが集結。

 またオンラインの有料生配信で見守ったファンの方々も数多く「泣かないと決めていたのに」と言いつつやっぱり涙・涙。「26年間、ずっと好きでいさせてくれて本当にありがとう!」と泣き笑いしながらも口にする彼女たちを見ていて、こちらも涙を堪えきれず。

 V6のファンって懐深いって言うか、本当に優しいのよね。めちゃくちゃ大人なのよ。ファンの年齢層が高いからってことじゃなくて(だってライブには若い人たちもたくさん来場していたしお子ちゃまたちも来場OKだし)、年齢関係なく何しろ誰もが、いつ何時だろうと完璧なマナーを携えて対応。

 メンバーもいつも「俺たちのファンは凄い。そこだけは本気で誇れる!」って言っていたんだけど、その言葉通り、最後の最後までルールを守って最大限の愛をWAになってV6に届けていたなぁと思って、未だに感動冷めやらずの日々なのです。

 それにしても、いつもいた人たちがいなくなる……って、いや正確にはもちろんいなくなったワケじゃないんだけど。「解散」発表から約8カ月。心の準備はできていたはずなのに正直まだ実感がわかなくて、気持ちの整理もできていない状態で。いろいろな思い出が走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え…。

 1995年の11月1日にシングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビューした彼らは同日に国立代々木競技場第一体育館前の特設会場でデビューイベントを行なったの。

 V6と言えば何と言っても“代々木第一体育館”というイメージだけど、ラストライブは諸処の事情から千葉・幕張メッセ  幕張イベントホールでの開催に。コロナ禍での決行とあって万全の対策がなされ、残念ながら声を出す応援はナシに。手拍子や手話での応援となり、コンサート後も、車内などで大声で感想を語り合うのではなく、興奮も各自お持ち帰りに。完璧なる感染対策、この憎いまでの心遣いには頭が下がるばかりよ。

 デビューから誰ひとり欠けることなく、6人で活動を続けてきたV6。もうこれだけでも十分すぎるぐらい偉大だけど、解散コンサートをしてくれたことじたいが何よりも尊いわ。だってここ最近、ジャニーズ事務所に所属していたグループが解散(時に消滅!?)するにしても、解散コンサートなんて出来ずじまいだったじゃない。まぁ少年隊はちょっと別格として、SMAPもTOKIOもなーんにもなくて、消化不良を起こしてモヤモヤ&ザワザワしっぱなしだったものね。

 どんなに辛くても悲しくても「ちゃんとしたお別れ」をすることって、お互いにとりとっても大切で、そうすることで前を向いて新たな一歩が踏み出せるってもんじゃないかしら? そうゆう意味でもV6がラストライブを開催してくれたことは、長く一緒に歩いてきたファンにとっても、後輩たちにとっても、彼ら自身にとっても重要で、大きな意味合いを持ったと思うのよね。

20th Centuryはデビュー時から人として成熟していた

 アツが初めて彼らをインタビューしたのはデビュー直前。確か薄着だったから1995年の夏ぐらいだったかな。事前にいただいた資料にはプロフィールとアー写が入っていたんだけど、編集部でも「剛健は知ってるしイノッチも顔を見たことがあるけれど、後は誰?」という反応で。今更だけど不勉強でごめんなさいね。

 坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、森田剛、三宅健、岡田准一の名前と顔を頭に叩き込んで、撮影スタジオで彼らをお迎えしたんだけど、一人ずつスタジオ入りしてきて、その度に口々に「宜しくお願いします。V6です」と言いながら入ってきて。その礼儀正しさにまず驚いちゃってね。アタフタしながらお出迎え。

 その時、これは後にも先にもないことなんだけど……、大事な初対面で、何故か長野博くんの名前を間違えてしまうという大失態を演じてしまったの。アツ、失敗しかしないので。間違って呼びかけたのに長野くんったら優しく「そんなに謝らないでくださいよ。僕たちこれからデビューするんですから。今日、名前を覚えていただければ十分ですよ。それに先に自己紹介をしなかった僕が悪いんですから」なんてフォローしてくださって、もう穴があったら入りたいと思い穴を探していたアツの気持ちを一瞬にして軽くしてくださり、もうもう初対面から「神さま仏さま博さま」状態だったのよ。

 その後も折に触れ、ありがたい博さまトークで盛り上がったり。例えば「最近、お肌が乾燥しちゃって」なんて相談すると「〇〇を食べてみて」とか、僻地ロケでのランチに悩んでいたりすると「近くに〇〇というお店があるよ。電話番号は〜」と教えてくれたり、そりゃあもう至れり尽くせりで「ちょっとした女子トークができちゃう」のが博くんだったのよね。

 あれ、そう言えば「長野くん」と呼んでいたのが、いつからか「博」呼びになっていたのは何故かしら? 穏やかで自分が前へ前へと出ずに周りを立てて、歩調を合わすのがうまい人。でも松岡昌宏くんは「長野くんには敬語なんだ、俺」と言ってリスペクトしていたっけ。一度も怒った顔を見たことがないのよね。

 そんな博くんは「本当に皆さんの笑顔が大好きです。皆さんの心の中に僕らの笑顔があるように、皆さんの笑顔も僕たちの心の中にあります」と優しい笑顔でコメント。食へのこだわりが強い彼にはグルメ道を突き進んでいって欲しいなと思ってるの。

 リーダーの坂本くんは、デビュー当時は後輩たちはもとより岡田くんからも「怖かった」と恐れられていたけれど、アツたちにとっては酸いも甘いも噛み分けた「本物の大人の男」という感じで、取材でもどれだけ助けられたことか。

 撮影の趣旨やテーマ等を話すとすぐに理解してくださって、どんな相談にも乗ってくれて。「困った時のマーサ頼み」は業界内の合言葉。歌唱力&ダンス力も半端なく、ジャニーズ事務所の後輩たちに「歌が上手い人は誰?」と聞くと、大抵の後輩は「坂本くん」って答えていたの。

 かつてお父様は大田市場で仕入れをされていて、八百屋さんの間では「坂本くんのお父さん」として有名だったそう。自分からは自慢なんて一切しなかったそうだけど、聞かれるとボソボソと嬉しそうに息子の話をし始めて、ほんわか仲良し親子だったそう。

 堂本光一くんも坂本くんの舞台は足繁く観劇していて毎回「スゲ〜」を連呼していたけれど今後もミュージカルでの活躍が楽しみ。「リーダーはニックネームでした。何とか頑張ってこられたのは5人のおかげです。皆さんがもし自分に自信を失ったら、ぜひ周りを見てください。助けてくれる人や笑顔にしてくれる人がいっぱいいますから」としみじみコメント。アツは坂本くんの笑顔にいつもパワーを貰ってたけどね。

 初めから自分自身でも「年齢的にもちょうど真ん中で、グループやメンバーをつなぐ中間管理職みたいな役割だよ」と言っていたのはイノッチ。坂本くん、長野くん、イノッチの20th Century(トニセン)はこれからも活動を継続してくれるから感謝感謝だけど、このトニセンと、剛くん、健くん&岡田くんのユニットComing  Century(カミセン)の橋渡しをしていたイノッチは、仕事面でも俳優としてもMCとしても大活躍。バランス感覚に優れた唯一無二の人。

 ずっと会っていなくても、いざインタビューが始まると、まるで昨日も一緒にいたような親しみやすい感じで会話を続けてくださって気遣い万全。「歌に助けてもらってここまで来た気がする」との言葉にはみんなが納得したわ。だってV6って楽曲が最高なんだもの。デビュー曲も、子供たちが「ピーポーダンシング」と歌っていてすぐに覚えちゃったし「WAになっておどろう」や「愛なんだ」、「Darling」は国民的ヒット曲だからみーんな知ってるし歌えるしね。かつてはジャニーズJr.の定番のカバー曲と言えばV6の「Can do! Can go!」だったしいい曲がいっぱいなのよ。「やっぱり俺たちらしく歌で、みんなに愛を伝えたい。26年間、いつも笑顔を見せてくれてありがとう」とコメントしたイノッチのたれ目具合が愛おしい〜。

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