
『女の体をゆるすまで(上)』(小学館)
理不尽な加害行為によって尊厳を傷つけられると、人はどのような状態に陥るか。どうすれば加害行為に立ち向かうことができるのか。そして、損なわれた心身はどうすれば回復できるのか……。
『女の体をゆるすまで』(小学館)は、アシスタント先でのセクシャルハラスメントにより、PTSDに陥った著者のペス山ポピー氏が、専門家との対話や加害者との対峙を通し、尊厳を取り戻すまでの過程を描いたエッセイコミックだ。
ハラスメントの横行する社会の現状とその変化。著者が抱く葛藤や社会的不和。トラウマからの回復から、自分自身の肯定……。
シンプルな線で人物の表情を生き生きと捉える描写力と、複雑な感情や概念を適切に言い表す言語化能力により「社会とは何か」「尊厳とは何か」を読者に深く訴えかける。
風をつかむような複雑な社会の変化を可視化させる一方、個人の心の奥深くにとどまっている感情を優しく解放し、ハラスメントに立ち向かう勇気を与えてくれる本書について、著者のペス山ポピー氏に話を聞いた。
ペス山ポピー
漫画家。性別欄に“どちらでもない”があると安心するトランスジェンダー(FTX周辺、ノンバイナリー)の漫画家。2018年に『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)でデビュー。今作、『女の体をゆるすまで』が2作目となる。

『女の体をゆるすまで』より
社会の変化が判決を変える
ーペス山さんは2013年に「精液を飲ませたい」「入浴中にドアを開けようとする」などのセクハラを受けて、嘔吐や自傷などを行うような状態に陥ります。そして、7年後に加害者であるX氏にスカイプチャットで怒りを訴えます。その7年の間にどのような変化があったのでしょうか。
2016年頃、伊藤詩織さんのことや#KutooのことなどがどんどんTwitterのタイムラインに流れてくるようになったんです。書店の店頭にもフェミニズムやジェンダーに関する本が並んだり、多様なセクシャリティーを描いた海外のドラマや映画が観られるようになった。どんどん酸素が増えていく感覚があって、「私も」という気持ちになりました。
ー最初の方に、ご自身が受けたセクハラを「告訴したらどうなるか」と弁護士に聞く場面があります。そこでも、「2013年なら勝てなかった。でも、社会通念が変化した今なら勝てるのでは」と答えられ、驚く場面があります。これも変化の一つですよね。かつては社会や法が間違っていたという。
「7年前なら敗訴していた」と聞いた時、やるせない気持ちもあったんですけど、実は「そうだよな」という思いもありました。私自身も7年前はひどいテレビ番組とかを観て笑っていたし、今思い返すとひどいことを言ったりしていたと思います。
X氏は2020年には私に謝罪し、職場にハラスメント規定を貼っている。彼を変えたのは内面の倫理ではなく、社会通念の圧力でした。逆に言うと、社会通念が「たいしたことない」と認めてしまえば、普通の人でもひどいことができてしまう。もちろん個人の責任は存在するんですけど、社会通念が不確かなもので、怖いものというのは描いておきたいと思いました。
ー本作はWEB連載でしたが、連載中コメント欄に誹謗中傷が殺到し、承認制に切り替えることになります。その際に「セカンドレイプを許さない」と声明ではっきり表明しています。
「最初は見ないようにするしかないのかな」と思っていたんですけど、早い段階で「マンガで言っていることと矛盾してしまう」とは考えていて。できることがあるなら、その中で一番いい選択をしようと思いました。声明は編集のチル林さんらが考えてくれたもので、おんぶにだっこだったんですが。
ーちょうど1年くらい前からYahoo!ニュースのコメント欄に対する批判も高まっていて、作品のテーマが現実の行動と同機しているように感じました。

『女の体をゆるすまで』より
どうして怒ることができたのか
ーペス山さんは怒りを表に出して戦う人ですよね。小学生の頃に幼なじみにスカートめくりをされて、「私の人格と体が他人の楽しみのために勝手に使われた」と激怒する場面があります。性被害に限らず、あらゆるハラスメントの本質をうまく言語化していて、読んでいる人に戦うための言葉を与えてくれる力があります。一方、これは本人にとってはとても大変なことだとも思いました。
怒るって本当に体力を使うことで。ただ、私は割とみんなにどう見られようと怒るタイプなんです。これは母の影響が大きいと思います。小さい頃は周りの大人が他人に怒る姿を見ていない人が多いと思うんですが、私の母は怒る人なんですよ。
ー作中でも、お茶くみを拒否したり、ペス山さんの生理が始まったことを「オンナになってきて」と言う近所のお母さんに怒りを燃やしたり。
母が通っていた自動車教習所の教官に、女性に対して威圧的な人がいたんですが、それにブチ切れて通路上で「お前とはやってられねえ。知らないから通ってきてるんだろ!」って出てきちゃったことがあるんです。そういうのを見ているから、怒ることに対するハードルは下がりますよね。
ーご本人は大変だと思いますが、勇気づけられます。
逆上されてひどい目に遭うことも考えられるし、推奨とかはできないんですが。でも、最近、逆に自分は怒らない人に対する想像力が足りない部分もあると感じています。
ー本作でも「世の中の女性がちゃんと嫌がらないから私のところにしわ寄せがきたくらいに思ってた時期があって」という場面があります。これは過去の話で、もちろん今のペス山さんはそういう心境ではないですが、怒る人だから怒らない人のことを誤解してしまうという。
最近、臨床心理士の信田さよ子さんと対談したんですが、信田さんは怒らない人を「体温調節ができる人」と表現していて。嫌なことやつらいことがあっても、それにあわせて自分の体温調節ができる。で、私は体温調節できなくて怒りを表現する生き物なんですね。それはタイプの違いであって、良い悪いではない。だから、「怒る/怒らない」に対して「できる/できない」という言い方はしたくなくて。怒ってきた人がいるから女性が参政権を手に入れてきたとか、そういう部分もあると思うんですが、だからって両者の間で分断が起きてほしくない。
ー友人であり、幼い頃からのハラスメント被害者のゼラチンがまさに怒らない人ですね。ペス山さんは彼女が受けたひどいハラスメントを見て憤るけれど、彼女は「ポピーちゃんが繊細なんじゃない?」といい、むしろ、ペス山さんに「作品を通して心の傷を引っ張り出しているようで心配」という。
ゼラチンは体温調節ができる人で、自分の被害を「心にしまっておける」と話している。それは、つらい状況を生き抜いてきた人だからでもある。それをいい悪いで表現したくないし、彼女を描くことにはすごく葛藤がありました。私は、「つらい状況にいるならそこから逃げてほしい」と思っていたんですが、それは彼女にはお節介なのかもしれない。でも、やっぱりゼラチンのことも、彼女の隣にいることで見た「被害」も、無視できないと思って。編集のチル林さんと二人で悩んでいる状態がそのまま作品になっていると思います。

『女の体をゆるすまで』より
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