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前回までのあらすじ
特別養子縁組で母になった著者は、自分の言葉できちんと真実告知をしようと考えていました。初めての告知ではやんわりと自身が産んでいないことを伝え、2回目は「産みの母」のこと、本当の母は自分であることを伝え、何でも聞きやすいよう心を配りました。
第3章 アンの子ども時代:乳幼児のアン
2度目の真実告知を終えた頃、児童相談所のまーにいちゃんから「次回の里親大会で、体験発表をお願いしたいんです」との連絡がありました。
それまでに里親大会で聞いてきた体験発表はすべて経験豊富な養育里親さんたちのものでしたから、内心、「え? 私が? ちょっと違うんじゃないかな」と思いました。
でも、まーにいちゃんは「いえ、今回は方針を変えまして、養子縁組を前提に委託されたケースを発表していただきたいんです」とのこと。夫にも相談しましたが、「発表させてもらったらいい。がんばれ」と言いました。おいおい、我が身に火の粉がかからなければ、ええ格好しいなんだからと思いましたが、「強い母」を目指していた私はお引き受けしました。
私の体験発表の内容はごく平凡なものでしたが、とにかくアンへの真実告知を無事に始めることができた安堵を、同じ立場の人たちにぜひ伝えたいと思ったのです。
大会全体のプログラムは、こんな感じでした。
1 専門家によるお話
2 各県の里親による体験発表(私の発表を含む)
3 質問コーナー
ここ、この3の質問コーナーのところですよ! 毎回、質問者は1人か2人で静かなものでした。「委託児に対する国からの補助金の増額の件は?」など。そのあとは、私がいつも楽しみにしていた会食の時間です。
ところが、その日に限って次々と質問があがり、そのすべてが真実告知に関する質問でした。
「すでに中学生になった子に、いつどんなふうに話したら?」
「8歳の娘が急に暗い表情を見せるようになって、何かを知ったらしいのですが」
養子里親さんたちの最大の悩みは、やはり真実告知というか、まだ真実告知をしていないことでした。東京から来た専門家の先生は、次のようなもの。
「かくすことは絶対にすすめません。確かな親子関係は砂の上には築けません。何歳でも遅くはないですが、成長すればするほど難しくなります。1日でも早く告知すべきです」
活発な質疑応答のきっかけは私の体験発表だと、まーにいちゃんに褒められました。そのうえロビーで会った専門家の先生からも「真実告知、とてもいいやり方でしたね!」と認めていただいてうれしかったです。しかも「ほう、このお子さんですか」とアンは先生からちゃっかりお小遣いをいただいちゃって!
こうしてアンのおかげで、私の世界はどんどん広がりました。後日、おとなりの県の里親会から連絡があり、私の発表を聞いてくださった会員さんからのご希望で、会報で紹介してもらいました。その県は、アンを溺愛する私の母が生まれたところで、これも何かのご縁だととてもうれしかったものです。(続く)
次回更新は12月6日(月)です。
【特別養子縁組について】
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。